【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る

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【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る

 こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

 前回に引き続き、敵の返り忠(裏切りを促す謀略)への対応策についての楠木正成と足利高氏・赤松円心との問答をご紹介いたします。

 

 今回は、楠木正成が千早城外の賀名生(あなう=現在の奈良県五條市にある丹生川下流沿いの谷)の奥にある観心寺に極秘のうちに隠し置いた別働隊(注)が活躍します。

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

 (注)詳しくは、第13回掲載文「千早における楠木の諜報活動」をご参照下さい。

 

 

【第16回】 敵の「返り忠」工作を逆手に取る

 

 (「太平記秘伝理尽鈔巻第七 千剣破(ちはや)城軍の事」より)

 

 

敵将・金沢右馬助の謀を封じる

 

 楠木正成の郎従である早瀬吉太に対する足利高氏の「返り忠」工作が失敗した話のついでに足利尊氏が言った。

 

 「さて、その後の夜討ちこそ、見事に謀られてしまいましたな。」

 

 それを聞いた赤松円心も、「ほう、是非ともお聞かせ願いたいものです」と言ったので、正成は語り始めた。

 

 「長くなりますが、お話いたしましょう。

 

 正成の知る限りでは、千早城を攻めていた敵将の金沢右馬助殿は、謀を廻らして、ややもすれば城に様々の困難なことをもたらしてこられました。そこで、こうした謀の手立て(作戦)を止めさせようとして、観心寺の別働隊長・和田七郎正氏のもとに軍使を遣わして、このことを相談しました。

 

 その結果、弟の七郎は別働隊の木沢平次・日井(ひのい)小藤太という二人の兵に、『吉野(大塔宮方)の落人であるが、今は商売をする者』との触れ込みで商人になりすまし、敵陣のあちらこちらに往行させ、さらには金沢殿の陣の近くに住むように、と命じました。

 

 数日後に金沢殿の家の子、岩城右近助という者に味方になるように誘われた木沢と日井は、金沢殿に面談して申しました。

 

 『城の有力な将の一人である恩地左近太郎の下へ、密かに参じて寝返りの勧めを告げましょう。』

 

 これに対して、金沢殿が『いかにして城へ入ることができるか』と問うたので、両人は答えました。

 

 『必ず入れる方法がございます。大塔宮の令旨(命令書)を一通作って賜るようにしましょう。これを持って参るのです。そうして、正成に参会して、楠木には宮の仰せを談じ、恩地殿にこの寝返りの勧めを申しましょう』

 

 こうして金沢に信頼された両人は、城に来ることになりました。

 

 

恩地、「返り忠」を演じる

 

 千早城内に入った両人は恩地の役所には行かず、直ぐに正成のもとに来て、先ずは懐かしさに涙を流して睦まじげでありました。

 

 そして、この謀について語っていると、正成は恩地を呼んでこのことを密談してから、木沢・日井の両人を帰しました。その際、両人が恩地の言葉として、金沢殿に対し次のように伝えることにいたしました。

 

 『仰せのごとく千早城は、日本国中に味方の無い城であるからには、やがては落城すること疑いなしと思いながらも、ただ今まで主と頼みにしてきた正成を捨てることができなかっただけでございます。それ故、この度の仰せは誠にありがたいものでございます。

 

 これで楠木の跡継ぎが絶えるようなことになれば、恩地家の数代にわたる義理であればこそ、先祖代々に対する義理も果たせぬこと。なんとしても金沢殿の仰せに随わねばなりません。

 

 もしも、国中の武家を敵に回した無謀な正成という男一人が不義の者だといたしますれば、彼が亡びて後も、その子孫が楠木の家を御立てていこうというのであれば、家の為は末代、正成に対しては一代の恩義にございますれば、家の存続を重んじて、何としても御心遣いに従うことと致しましょう。』

 

 そして、この旨を恩地に自筆で書かせました。これを受け取った木沢・日井の両人は、正成の令旨に対する受取状も身に帯びて城を出たのです。

 

 

敵の要求に応じて長谷平九郎を人質に差し出す

 

 恩地からの書状を受けた幕府方の諸大将は、密かに会議をして決定しました。

 

 『正成一人さえ討ち取ることができれば、御家の事は恩地が要求するとおりにしてやろう。』

 

 これに対して(木沢・日井)両人が、

 

 『神や仏に御誓いの文言が無いのであれば、恩地殿は、決して誠意があるとは思われません。約束を取りに参りましょう』

 

 と言ったので、諸大将は再び密談して、誓いの詞について書き加えました。この恩地への誓文を身に帯び、また宮の令旨を作って城中に入ってきました。

 

 恩地は届けられた書状を開かずに、両人を連れて正成とともにこれを見ると、

 

 『六箇条の希望条件の内、人質の事(恩地側から人質を出さないという条件)は、いかにも受け容れがたいことである』

 

 とありました。敵も以前の早瀬に対する「返り忠」工作の失敗に懲りて、

 

 『人質が無いならば、恩地殿を城内に入れることはできない』

 

 と書いてある。そこで正成は、力量が人に勝れて早業にも賢い長谷平九郎という者を恩地の弟と称して差し出すことにいたしました。この男の力量は、普通の五人十人とは比較にもならないほど勝れておりましたが、これで敵陣に入るのは木沢・日井の両人に城兵である長谷を併せて3人となりました。

 

 長谷は何の異義も唱えないで、『しかと承りました。御意のままに随いましょう』と云うので、合図などその後の様々なことを打ち合わせて、長谷を遣わしました。

 

 

恩地との約束により金沢は少数精鋭で襲撃

 

 長谷を人質として手に入れた金沢は、宗徒の一族8人、屈強の侍32人を忍ばせて、恩地の役所に遣わせました。このような小勢であったのは、

 

 『大勢ではかえって見破られる。衆を当てにせず、少数精鋭であたれば、恩地が正成に腹を切らせましょう』

 

 との金沢と恩地との約束があったからです。

 

 それのみならず、『当座の引出物である』として、金剣三振り、黄金三百両、白銀千両が恩地に届けられました。しかし、恩地は

 

 『これらは、この間の苦労をなされた郎従の方々にお与えください』

 

 と云って受け取りませんでした。そして、城のきり岸に石弓を多数張り、大木を崩し懸けようとして待ち構えていたのです。

 

 

金沢の襲撃隊と幕府軍をだまし討ち

 

 そうして、金沢の襲撃勢40人に『恩地勢が楠木の役所を襲撃するので、すぐ後ろの櫓を占領していただきたい』と告げ、案内者二人を添え、合言葉を定めて連れて行きました。

 

 定めていた時刻になると、表からは恩地の兵が切り入るまねをし始めました。そこで、40人の兵が恩地の兵に劣るなとばかりに櫓に上ろうとする所を、楠木勢が上から散々に射伏せ、切り伏せました。そこへ『恩地の勢が通るぞ』と(楠木軍との同士討ちをさけるために)叫びながら駆けつけ、金沢の襲撃隊を前後から討ち取ったので、40人の兵は一人残らず、一箇所で戦死しました。

 

 その後、城内に合図の鐘を鳴らし、鬨(とき)の声を発しました。

 

 この鐘は、幕府側には「楠木を討ち取った(襲撃成功)」という偽りの合図であると同時に、長谷には「脱出せよ」という合図でした。そうとは知らない幕府軍の寄手は、これを聞いて数万が雲霞の如く城へ攻め上って来ました。これに紛れて、人質である長谷の警護に付き添っていた12人の侍が、城へ攻め寄せる軍勢に気を取られている間に、かねて用意していた楠木の兵8人が労せずに入り込み、12人の侍をひたひたと切り回ったのです。

 

 『何事だ』という間もなく、長谷もその場で立ち上がり、太刀を手に取って切り回ると、6人を切り伏せ、その他の多くを負傷させて、木沢・日井の両人・楠木の兵8人・長谷、合わせて11人がうち連れて姿をくらましたのです。

 

 このことも知らず、寄手が我先にと攻め上りながら、切り岸の下まで到着したところを、大木・大石を次々に投げかけ、散々に射ったので、将棋倒しのように崩れて、四方の谷は死人で埋もれました。これより後、敵は千早城への返り忠の謀略を一切止めてしまったのです。」

 

 正成がこのように語ったのを聞いた円心は、「実にあっぱれな謀でありますな・・・」と深く感心したのであった。

 

 

(「敵の「返り忠」工作を逆手に取る」終り)

 

(いえむら・かずゆき)

 

(平成26年(2014年)9月5日配信)

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