【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿

終戦70周年記念出版 『大東亜戦争と本土決戦の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅(すいさいげきめつ)に帰結したのか―』(260ページ 定価1600円+税 並木書房)

【第1回】桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿

(「太平記秘伝理尽鈔巻第十六 正成兵庫へ下向の事」より)

 

楠木正成、兵庫へと向かう

 

 1336(建武3)年1月、京都から九州へ敗走した
足利尊氏は、光厳院の院宣を得て建武の新政に
不満を持つ諸豪族を味方に付け、4月3日、京都に
向かい大宰府を発進した。途中、四国の水軍を加え
総勢5万の軍勢で陸路と海路の二手に分かれて
進撃した。姫路で足利方の白旗城攻略中の新田
義貞はこの進撃を阻止するため、要害の地である
摂津(今の兵庫県)に退き、朝廷に急を報じた。

 

 同年5月15日、朝廷に召された楠木正成は、
「京は守り難く、攻め易い地形なので、先ずは帝に
義貞の守護下で比叡山へと避難していただき、
足利尊氏の軍勢を京都に引き入れて無血占領させる。
その後、敵の糧道を断ち、騒乱を起こして弱らせ、
南北から挟撃する」ように提言したが、京を離れたく
ない公卿・坊門清忠の猛反対に合った。そして、
後醍醐天皇からも兵庫へおもむき、新田勢と合流
して朝敵を討つよう命ぜられた。

 

 直ちに総勢8千余騎の軍勢を率いて京都を出発した
楠木は、同時に根拠地である河内へと人を向かわせて、
11歳になった嫡男の正行(まさつら)に「桜井の宿
まで出向きなさい。面談して話したいことがある」と伝えた。

 

正行に遺志を継ぐよう教え諭す

 

 やがて、正行に千早城に残しておいた郎従たち
8百余騎がお供してやって来た。桜井の宿で正行と
対面した楠木は、たいそうむつまじい様子でそば
近くまで正行を呼び寄せて、このように語った。

 

「今、お前を呼び寄せたのは、私との最後の対面の
ためである。今の官軍側の戦い方では、いかにしても
朝敵を亡ぼすことは難しい。正成がこの度討ち死に
したならば、天下は尊氏の代となるであろう。
そうであっても、一時的に御家を守ろうとか、身命を
助けようとして、父の忠烈を捨てて降伏するようなこと
があってはならない。そのためにも一族若党の多くを
河内に置いておくから、彼らを召集して備えを固め、
敵が攻め寄せてきたならば金剛山の城に籠って戦え。
所領を欲するのも、家を栄えるようにするのも、全ては
人に人と呼ばれんがためであるぞ。いやしくも降参
したり、不義の振舞いがあったりすれば、栄えても
人に指をさされることになってしまうのだぞ。
それでは領主になったところで、何ができるであろうか。
無道の富貴は恥である。くれぐれも大君に対し奉り
後ろめたいようなことが有ってはならない。これこそ

お前がなすべき孝行である。そして、幼い弟たちを
不憫に思って、水と魚のようにむつまじくせよ。・・・」

 

「それと、家の子・郎従たち(親類縁者の部下たち)を
扶助するのは、父(正成)がやったようにせよ。
我一人が富んで、郎従を辛い目に遭わせるような
ことがあってはならない。郎従は我を頼み、我は郎従
を頼みとしてこそ、大君の御大事にもしっかり応じら
れるのであるぞ。・・・」

 

 そして、兵法や国政などについて自ら書き置いて
あった巻物を箱に入れて、正行に渡した。郎従たち
数百人は、この神聖なる光景を前にして色を失い、
ものも言えず、顔ももちあげず、うつむいたまま泣いていた。

 

正行に祖父伝来の刀を譲り、桜井から河内に帰す

 

 正行も父が言い遺すことの一つ一つを肝に銘じて
いたが、巻物の箱を渡されるとき「はっ」と声を発して
叫んだ。父も郎従たちも、それぞれにこれをなぐさ
めたり、諌(いさ)めたりした。しかし、正行は声を大にして言った。

 

「父から離れて河内へは帰りません。是が非でも
戦(いくさ)の御供をいたします。」

 

 正成は大いにこれを諌めて、「よいか。お前を留め
置くことは、お前がかわいいからではない。大君の
御為であるぞ。これくらいのことを聞き入れないのは、
なんとも愚かである。大君のお役に立つことすら
できないぞ。後には降参や不義の思いを抱くことになるだろう」

 

などと、あるいは怒り、あるいは和やかに語りながら
説得した。正行は幼い心ながらもこれを聞き入れて、
「そうであれば、仰せに随います」と言った。正成は
大いに喜び、「これは、祖父正晴から伝来の刀である。
私が今まで肌身離さず持っていたものだ。私を恋しく
思う時には、これを見るようにせよ」と云って手渡したのであった。

 

正成が息子に遺した最後の言葉

 

 正成は、これまでの戦でも信頼の厚かった
恩地左近太郎、和田和泉守、矢尾の別当の3人に、
正行とともに河内へ帰るように命じ、後のことを託した。
恩地、矢尾らは、この先、正行をしっかり補佐していく
ことを誓った。そして、正成は自らの手勢3800騎の
内から、5百余騎の精兵を選りすぐると、「さあ、今は
思い残すこともない」と云って立ち上がり、正行の
手を取って、たいそう名残惜しげに語りかけた。

 

「くれぐれも郎従たちをしっかり扶助しなさい。
このことが一番大事なことだ。郎従にうとまれたならば
弓矢を取ること(戦をすること)さえできなくなるのだぞ。」

 

 そして、「弟たちと仲良く、助け合うのだぞ」との言葉を
残して出発した。

 

 正行は涙に暮れて顔ももたげず、父の後ろを道まで
出てきたが、ただ涙をぬぐうだけであった。後見人で
ある安間七郎が「御門出に忌むべきことでございますぞ」
と諌めたが、むだであった。和田も恩地も、これを最後
の別れと思えばこそ、堪えきれずに忍び泣きに涙を流した。

 

正成とお供の兵、一族らと最後の別れ

 

 正成にお供して出陣することになった郎従たちも、
これを最後と思い切っていたので、妻子らへの手紙を
細々と書いて名残を惜しみながら、これを河内の国
に帰還する者たちに託した。帰る者たちは皆、
親類縁者なので、名残惜しいことのみ思い、出陣する
者たちと互いに手と手を取り合って、思い思いに
心と心を通わせながら、こののちのことなどを申しあっていた。

 

 こうして戦場へ向かう者を気の毒だなどと感じるのは、
愚かなことである。なぜならば、5百余騎の兵(つわもの)
たちは「一人も生きてかえりはしまい」と互いに誓って
いたので、あるいは親子・兄弟で国へ帰ることになった
者たちも、こう言って彼らを励ましたのである。

 

「殿と一緒に帰るのでなければ、帰ってこられるなよ。
なんともうらやましい御供の人々ではないか。誰もが
御供の列に加わりたいのに、これにて御免しなければ
ならぬ不甲斐なさよ。どうかよい敵と当って討死なされよ。
臆しなさるな。この後は、故郷のことなどを思われるのは
臆病の至りでありますぞ。妻子のことは我らにまかせて
くだされ。・・・」

 

 このように取り取りに語り合いながら、涙のうちにも
勇気を奮い起こしたのであった。そして、正行は7600余騎
を随えて河内への帰路につき、正成は5百余騎にて兵庫
へと向かった。弟の正氏も妻子に宛てて手紙を細かく
書き遺し、手勢2千余騎の内から2百余騎を選りすぐって正成に同行した。

 

 建武3(1336)年5月21日、正成兄弟と郎従たちの軍勢は、
志貴右衛門・生地・高安・安間・平野・丹下らを先陣として
総員7百余騎、皆が義の心を金石のごとく強固にして、
骸(かばね)を戦場にさらそうとの覚悟で湊川へと向かった。
なんと立派なことであろうか・・・。

 

良将の手の者に臆したるなし

 

 河内の国に帰還した者も含めて郎従数千人が皆、正成の
為に一命を捨てることを望んだのであった。普通であれば、
数千の郎従の中には臆していた者も有ってしかるべきだが、
一人としてそうした様子は見られなかった。「良将の手の者に
臆したるなし」という言葉があるが、それが目の前に実在したのである。

 

 楠木正成は、常々郎従に情け深く、人の道さえも説いていた
ので、このようなことができたのである。将たる者は、五常の道
(人の守るべき五つの徳目)をよく覚えて、郎従たちにも道を
教え、その身の行跡(ふるまい)をも良くせよということである。

 

(「桜井の別れ~最もよく統率された軍勢の姿」終り)

 

 

(以下次号)

 

 

(2014年5月23日配信)

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