【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1
ごあいさつ
こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。
今回から数回にわたり、大阪平野を臨む要衝・飯盛山を攻略した楠木正成の名作戦についてご紹介いたします。
この話の中には、戦わずして勝つことを狙った楠木の智謀や、敵を知り己を知るための情報活動、敵を油断させ、その意表を突いての急襲、戦場において軍法を厳守する意義など、現代にも通用する様々な実戦の教訓が描かれています。
それでは、本題に入りましょう。
【第25回】 飯盛城攻略作戦 その1
(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十二 安鎮国家の法事付諸大将恩賞の事」より)
旧鎌倉幕府の残党が挙兵
伝えられるには、南都(奈良)の住僧である憲法僧正は、今は亡き北条高時とは従兄弟(いとこ)の関係にあった。
去年(注:1333年 鎌倉幕府滅亡)、降参して討たれてしまった関東の大将たちの郎従の中でも主だった者どもが、これを無念な事だと思って、密かに集まって協議していたところ、大仏の奥州(大仏陸奥守貞直。鎌倉合戦で討死)の親類である大仏藤太(とうた)光正という名の者が申した。
「今のところ、天皇方についた武士には、誰かが首領になろうとする様子もない。おそらく諸国の兵卒たちは皆、北条高時に敵対したことを後悔していることであろう。こうした時こそ、こちらに大将さえ一人おられるならば、誰がその命令に同じないことがあろうか。そうであれば、憲法僧正を取り立てて大将と仰いで、亡くなった方々の恨みを晴らすことにいたそう。」
その場にいた人々は皆、「それはもっともなことだ」と云って、この僧正を還俗させ、相模の左衛門助時光と名乗らせることにして、隠密に軍勢を集めたところ、紀伊国の玉置庄司を始めとして、大和国の筒井浄春ら与(くみ)する者23人、それ以外にも関東にいる旧鎌倉幕府の余党などがあちこちからはせ集まって、軍勢1万8千余騎となった。
河内国飯盛山を占領し、河内・大和を奪う
始めは大和国平群(へぐり 現在の奈良県生駒郡)という所で旗を挙げたが、兵力が強大になるにしたがって、河内国飯盛山に登ってこれを陣取り、河内・大和の両国を奪った。しかしながら、河内においては、楠木が優れた兵を所々の城に置いていたので、北条方の残党である時光勢はこれを攻めようとはしなかった。しかし、大和国の半分以上は時光勢が支配することになった。
その頃、正成は京都にいたのであったが、この要衝の地である飯盛山を敵に先に取られてしまった。敵がまだ平群にいた時、その挙兵について聞いた正成は、二条の関白殿下(道平)が大将を兼ねておられたので、急いで参内して、申し上げた。
「大和国の朝敵につきましては、私が出向いてこれを退治いたしましょう。今ここで、この追討を誰に命じようかなどと検討して時間をかけていては、ゆゆしき事態となりましょう。」
殿下はこれをお聞きになられて、「天皇への奏聞を経なければ・・・」と仰せになりながら、月の宴・花の御会と云った行事に時が過ぎて、数日を送られたので、楠木も徒(いたずら)に数日を京都で送った。この間に敵は飯盛山に城を構築し、さらに河内へ進出したのであった。
正成、祈祷(きとう)の警固役に任命される
ほどなく朝敵退治の御祈りのために大法が行われた。
「楠木もこの大法の警固役である」との勅諚があったので、楠木は申した。
「かしこまって承ります。ただし、御祈りの役人は別にもおられましょう。朝敵が帝都に近い所に城を構えて、万民が不安になっております。幸いにも正成が所在する国でございますれば、すぐに下向して退治いたしたく思います。もしも、御祈りの警固役をこの正成に仰せ付けられるのであれば、代わりに大和国の朝敵についても、しかるべき器量の人に討伐を仰せ付けていただきたく存じます。この二つのことを伝奏(天皇への取り次ぎ役)まで申し入れてください。」
後醍醐天皇は正成がこのように申したことをお聞きになられ、
「大法の御祈りの行事を終えたならば、正成がすぐに下向して退治いたせ」
と仰せになられたので、楠木も「これ以上は私の力ではどうすることもできない」と考えて諦めたのであった。
隠密に飯盛の敵を懐柔
そうではありながら、楠木は家の子・郎従たちにいくつかの下知を与えて、賊徒が河内において略奪しないような方策を講じていたので、敵は飯盛の城にありながら、近くの郷里をも侵犯することはなかった。それはどのような策かと云えば、正成が恩地左近太郎を飯盛へ遣わして、次のように云わせたのである。
「騒乱をおこすかのように兵を集め、国家を悩まされることは、謀反とは申しながら、少し引下ってその思うところを推察いたしますれば、なるほどそれなりの道理もございます。
今は亡き高時入道殿は、先祖の行跡(ふるまい)とは違って、思うがままであられましたがゆえに、天下はこのようになってしまったのだと、皆様もお思いのことでしょう。先祖の怨心を鎮めんがために、今また、御旗を挙げられることは、敵ながらも感動いたします。
おそらく二条関白殿下からの御討手として、私こそが参り下ることになりましょう。合戦はあくまで時の運によるものでございますれば、それを前もって申すのは難しいことです。しかし、民衆に禍(とが)はございませんので、兵糧に事を寄せて遠くの郷里で略奪されるようなことは、納得できません。諸人の恨みもいかほどになりましょうか。ですから、どうか兵糧を略奪しないよう軍勢に仰せ付けていただきたい。
敵も味方も皆、世を理に適わせ、国を安らかにするためにこそ、こうしておるのでございましょう。今の状況に相応しい御用を承りましょう」
そして、飯盛の敵に米100石・酒樽50荷・肴10種を贈ったのであった。
飯盛の敵軍勢、楠木の所領を侵犯せず
また、正成の郎従で敵の中に知り合いがいる者は、皆これらと音信を取っていた。これに気づいた朝敵らは、
「例の古狐が何事かをたくらんでいるのだろう。その使いを見つけ次第、切って捨ててしまえ」
などと言う者も多かったが、大将を始めとして宗徒の人々は、
「いや、正成は道に違うような武略はしない男であるぞ。ただ情け深いがゆえに、また国が乱れ悩むのを悲しんでこそ、このように言ってくるのであろう。その上、元弘の戦であれほどの大忠があった楠木が、今になってこれほどまで恩賞に授かれなかったことで、内心では大君を恨んでいるのではないだろうか」
と云って、親しく返信をしたためたのであった。これにより、楠木の分国へはあえて侵犯することもなかったのである。
何とも賢い謀であるものと、後に思い知らされたのであった。
(「飯盛城攻略作戦 その2」へ続く)
(いえむら・かずゆき)
(平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)11月7日配信)
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