【第21回】 千早から退却する敵を追撃

終戦70周年記念出版 『大東亜戦争と本土決戦の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅(すいさいげきめつ)に帰結したのか―』(260ページ 定価1600円+税 並木書房)

【第21回】 千早から退却する敵を追撃

ごあいさつ

 

こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

 楠木正成がわずかな兵で守る千早城を、幕府の大軍が落とせなかったことは、人々に幕府の衰えを感じさせ、後醍醐天皇に味方する武家を増大させる結果となりました。その中でも、源氏の子孫である足利高氏は、執権・北条高時への反感が強く、京都へ上る途中で天皇のもとへ使者を送り、密かに討幕の綸旨(天皇からの命令書)を受けました。高氏は、各地の武士に密書を送って六波羅攻めに協力させ、ついに六波羅探題を攻め亡ぼしました。これにより、幕府による千早城の攻略は中止させました。

 

 千早城の寄手(=攻撃軍)は、奈良方面に向かい退却しましたが、その間に楠木勢に追撃され、野伏に襲われ、あるいは山野に迷い、数多くの死傷者を出しました。

 

 今回は、この時の楠木正成による追撃について紹介いたします。

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

 

【第21回】 千早から退却する敵を追撃

 

(「太平記秘伝理尽鈔巻第九  千葉屋城寄手敗北の事」より)

 

 

千早の寄手、奈良へ退却

 

 元弘3(1333)年5月10日の午の刻(正午頃)に、六波羅が攻め落とされたという話が寄手側に広まると、それぞれの陣はあわてふためき、兵の中には東西南北に走り散る者もいた。千早城内では、その日の朝卯の刻(午前6時頃)、正成が京の近くに忍ばせておいた野伏が来て、このことを報告していた。

 

 楠木は城の正面のやぐらに兵を上らせて、「六波羅では珍しい御遊(宮中などで催される歌舞や管弦の会)がございまして、東の方へと向かわれておられますなあ。そなたの陣ではご存じないのでしょうか」と大声で叫ばせた。

 

 これを聞いた寄手の人々には、「城では何かを叫びながら、勇んでいるようだが。気がかりだ」と言う者もあった。

 

 「どうせまた、楠木が何かを仕掛けているのでしょう。用心しておいてください」とのことで、諸人が不安になっているところに、京から諸大将のもとへ次々と報告が来たのであった。その日の未の下刻(午後3時頃)には、それぞれ陣を撤収して、奈良へと退却した。

 

 

勇も智謀もない寄手の退却ぶり

 

 千早から奈良までは、六里(約23.6Km)の道のりである。軍勢を進めるのに、一日の路程である。疲れた敗れた兵が夜中に引くとすれば、どうして散り散りにならずにおられようか。また、兵は10万に少し足りないぐらいであれば、近国の野伏など何ほどのことがあろうか。そうであれば、その日は陣を取ったまま静かにしていて、次の日、卯の刻(午前6時頃)に備えを堅くし、手順を守って嶺々を占領しながら軍を前進させようとすれば、何の問題があるだろうか。

 

 また、京を攻めた軍勢が一日か二日中には、よもやここまで攻め寄せることはないのを、

 

 「高氏が今夜に到着いたしましょう。赤松が明日には後詰めすることでしょう」

 

 と雑人・下部が語るのを本当のことと思って、夕暮れが近づいてから兵を引き、山地を越えるのは、大いに間違ったやり方であろう。兵はこのような時に、臆病になるのだ。

 

 将に謀と勇があれば、兵に向かって決して死にはしないということ、京勢が三日や五日のうちには攻め寄せてこない理由、さらに、京勢が寄せて来たならば、全部が集まらぬうちに迎撃して、十死一生の(死中に活を求める)合戦をするような戦い方を説いて、諸大将がうちくつろいでおれば、兵の心は落ち着くのである。その上で敗れるとき、遠国の兵は将から離れないものである。その付近の地理を知らず、親しい人もいないからである。近国の兵とは散りやすいものである。それは、地理を知り、また、親しい人が周辺の近いところにいるからである。

 

 寄手の兵は皆、東国の者たちであるから、どうして散ることがあろうか。あのように引いてしまったのは、勇と智謀が無いからである。

 

 

正成が説く「正しい退却の仕方」

 

 正成はやぐらに上って、東国の兵が敗走するのを見て、家の子・郎従に語った。

 

 「あれを見てみよ。数十万の兵でも、将の心が臆病で愚かならば、全く役に立たないものであるぞ。

 

 正成ならば、今夜は無理だとしても、城を攻めて強烈な一撃を与えてから引き退き、翌日の辰の刻(午前8時頃)に軍勢を出して、嶺々を占領して兵を備え、多くは谷を退却させよう。兵のうち3千を後ろから定められた編成どおりで退却させ、それ以外の兵は軽快に編成にこだわらず、峠に登らせ、備えを堅くさせて、先に嶺々を占領していた兵はまた、その嶺から向かいの嶺まで引き上げさせるならば、野伏であれ正成の兵であれ、出て行って追尾することはありえないだろう。

 

 敵にとっての難所(=地形的に克服困難な場所)は、退却する際には味方にも難所である。そうであれば、条件は同じである。去年からここに滞在していれば、地理にも精通しているであろうから、へたに城から出れば寄手にとって格好の撃破目標となるだろう。こうした備え、こうした手順で戦う敵であれば、城までも落とされることになるぞ。

 

 人の家が富みながら、その子孫が武を知らないことほど、遺憾なことはない。」

 

 楠木がこのように言うと、湯浅彦六が「峠より彼方(あなた)では、どのように退却するのでしょうか」と尋ねた。

 

 そこで、正成は答えた。

 

 「峠のあちら側にも砕けている(峠を越えて通過する)嶺々が多い。峠よりこちら側にて列の後ろから引いてくる兵には、峠で備えを堅くさせ、その前に峠に上げていた兵には、その先の嶺の砕けている場所を占領させて、備えを堅くする。嶺が広いか狭いかによって陣取る勢の多い少ないも異なる。

 

 このようにして峠に3千を残して備えを堅くし、残りの軍勢は、先に述べたようにして引け。そうすれば、城を出て追尾する軍勢が峠を下ろうとするところを討とうと反撃するのに、あちら側の嶺に備えていた兵と、3千余騎の備えを乱さずに引いてきた兵が一つになって戦いを決すれば、たちまちにして勝つことであろう。」

 

 郎従たちは皆、心底から納得したのであった。

 

 

正成、追撃を命じる

 

 楠木は、敵が引くのを見て、300余人を千早城から出撃させ、敵を追尾させようとして、次のように下知した。

 

 「各々、あれを見よ。野伏が嶺々に満ちているではないか。あの者たち100人ずつに、我々の前で敵を追うようにさせよ。

 

 『手柄があれば必ず恩賞があるぞ』と楠木殿が仰せられて遣わされたのだと叫んでみたまえ。欲心深い野伏どもが追わないことなど、よもやあるまい。その後ろについて、三百人を百人ずつ三つに備えて、敵の反撃が容易な場所では、遠くから矢を射るようにせよ。敵の反撃が困難な場所では、分散して走り寄って、射ったり、切ったりして敵を倒すようにせよ。

 

 万一、敵が全力で返してきたならば、城に駆け入ったりしてはならない。あの深山を目指して引くようにせよ。とにかく早く風のように動かれよ。」

 

 そして、

 

 「見ておられたように、石弓・大木を数多く岸(=城の急斜面)に準備してあるので、城のことはあなた方がおられずとも、ご安心なされてよい」

 

と言って出撃させた結果は、『太平記』のとおりである。

 

 寄手は一度も反撃することなく、隊列も組まずバラバラに引いていったので、数えきれないほど多くの者が討たれた。それにもかかわらず、大将たちは兵より先に連れ立って退却したので、一人も討たれなかった。しかし、このようなことになって、どうして無事を喜ぶことなどできようか。

 

 

(「千早から退却する敵を追撃」終り)

 

(いえむら・かずゆき)

 

 

(平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)10月10日配信)

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