【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6
ごあいさつ
こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。
さて今回は、「飯盛城攻略作戦」の最終回、いよいよ飯盛城を攻略します。
それでは、本題に入りましょう。
【第30回】 飯盛城攻略作戦 その6
(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十二 安鎮国家の法事付諸大将恩賞の事」より)
楠木の軍法の厳格さにより飯盛城が落ちる
楠木勢が飯盛城を落とすことなく数日を送っているうち、ある夜のこと正成の陣所に火災があった。この時にいたって飯盛城は即時に落ちたのであった。その理由は何かと云えば、楠木の軍法の厳格さによるものである。それは次のようなものであった。
楠木軍の禁制八箇条
一、軍勢の中の誰であろうと、命令なくして行動を開始すること。
一、戦闘中に命令を待たず、私的な用事を処理すること。
一、進んだり退いたりする行動が将の太鼓と違っていること。
一、軍使が戦場に到着して、遅くに帰ること。
一、将の作戦方針(基本的な考え)に背いて、自分の考えに固執すること。ただし、将がその立場において自分の作戦に対する考えを認めたならば、その限りではない。
一、戦場において、自他の郎従らが主に随わず、雑乱を起こすこと。
一、戦陣の中にあって兵士どうしで雑談すること。これに関連して、主が郎従を離れ、兵士と一緒にいること。
一、命じられた陣形を取らないこと。
これらの条項に背いた場合は、謀反の重罪と同じものとして扱う。
楠木軍の掟六か条
また、掟(おきて)として次のことがあった。
一、陣中において、夜昼に限らず、喧嘩口論はいかなる理由があろうとも、その一軍(部隊)の中で解決しなければならない。他の一軍はたとえ親子であったとしても、自分が介入することは言うに及ばず、人をも遣わしてはならない。これに関連して火災について、これが発生した場合も、その一軍の中で消火しなければならない。それ以外の軍は、武具を完全に装着したままで、それぞれの陣所にあって、上からの下知を待つこと。
一、夜討ちがあった場合も、これに同じである。
一、戦場における喧嘩は、平常時と同じに扱ってはならない。これは味方が敗れる発端となるからである。そのため、理非によらず、どちらも陰謀の罪と同じものとする。もしもまた、一方が感情を抑えて堪えたのであれば、その者にはそれまでの所領の上に半分を与えるものとする。仕掛けた側の者については、陰謀の罪と同じに扱うこと。
一、軍陣において、道楽を好み、美酒を愛し、人より前に食糧を失い、将の下知を待たずに敵味方の占領する土地を収用あるいは放棄し、郷里の民家を強制的に取り立てること。これに関して、軍陣において酒に酔うことは、大いに武人の道に反するものである。敵前において酒に酔ったならば、どうして物の役に立つであろうか。武家に生まれた者は、戦場において苦しいことに堪えねばならない。武家でありながら、こうした苦労を避けるようであれば、盗人と同罪とすること。
一、軍陣において女を召抱えることは、大なる罪禍である。これは軍務に対する怠りの発端となり、けしからぬことである。
一、軍陣における食事は、上下で同じものとしなければならない。遊興に来ているのではない。どうして主人であるからといって、善を尽くし、美を尽くして、下の者をして苦しめることが許されようか。これは味方が戦に敗れる発端となる。また、礼を破るという罪でもある。
これらの条項を全て厳守せよ。けっして怠ってはならない・・・というものである。
正成は自ら率先してこれらの法に背かぬようにし、家の子・郎従である者でも、少しでもこの掟に背けば、法に定めたとおりに処罰したのであった。
正成、軍法に違反した親類を見逃さず
例えば、この合戦の最中、和田和泉守の弟・小車妻(おくるめの)新三郎が、手柄のあった者への賞として摂津国尼崎から陣中へ女たちを召し、自分もこれと遊ぶこと三日に及んだ。正成はこれを聞いて、新三郎の兄・泉州(和田和泉守)のもとへ使者を遣わして、
「このような不思議なことがあった。おそらくご存知ではないことでしょう。そなたの舎弟ともあろう者が、かくも無法にふるまわれたことは、ひとえに正成の運が尽きたという証である。正成の子であったとしても、軍法を破れば罰するものである。まずは、そなたの胸中(正直な気持ち)をお聞かせいただきたい」
と伝えさせたところ、泉州は大いに驚き、
「全く異存はございません。私の弟ともあろう者がそのように無法な行為をして、それを諸人が見聞きしているとは、なんとも恥ずかしいことでございます。罪科を重くして当然のことと存じます」と申した。
正成は、「よくぞ仰られた」と云って、新三郎からその領地や財産を没収したのであった。
和田、弟を死罪にする
泉州は重ねて願い出て、
「私もなまじっか楠木正成の一族として、末座のちりを払う身となっております。弟の新三郎もそうでございます。女色にふけって法を忘れるような事は、私にとっても面目がございません。楠木殿のお考えと違うことは百も承知の上、かわいそうではあるが国のためでございますれば、死罪といたします」
と申した。正成は涙を流しながら、
「通常の法であれば、どうしてそこまで厳しくするのかと言いたいところだが、ほんの少しであっても軍法を犯すことは、味方の敗北の発端であり、国を亡ぼす根元であれば、一人の親類を助けて万人を不幸にさせることがあってはならない。ともかくも・・・」
とのことで切らせたのであった。常々は情けがあって、下民を憐れんだ正成といえども、軍の法を破る者だけは免(ゆる)すことがなかったのである。
この小車妻は正成の妹の子、つまり甥であった。泉州にとっては同じ腹の弟であった。泉州は楠木の一陣をになう大名である。そうでありながら、ここまで重く罰したのであるから、下の者はあえて法を犯すことがなかった。
掟を厳守して陣中の火災に対処
こうしたことから今、夜中に火災があったので、志貴の率いる一陣だけで火を消した。それ以外の諸陣は、武具を装着して下知を待っているところに、楠木が「ただちに出撃せよ」との命令を下したので、恩地が先陣となり、常のごとく二陣、三陣がそれに続いて出陣したのであった。下々の者たちは、
「あれは失火などではない。楠殿が謀で陣所に火をかけられたのだ」
などと少々知恵のある者は申していたという。
おりしも風が強くて正成の陣に火が移ったけれども、兵たちはちっとも動じない。正成が
「我が陣の兵1個組を遣わして飛び火を消火する。焼けた雑具(ぞうぐ)があれば正成がその費用を支払うぞ。皆、落ち着いていて感心だ、感心だ」
と命令した。
火事に誘われた城兵、総出撃
城ではしばらくの間、「謀られるな・・・」とのことで見物していたのであったが、正成の陣に火があがったのを見て、
「これは謀ではない。さあ打って出るぞ」
と云って、我も我もと走っていく。大将は「これは何事だ」と尋ねたけれども、我も我もと行くうちに、大将もこれらを統制しなければと城を出たので、城に留まった軍勢は、
「大将が出撃されたのであれば」
と、一人が出、二人が出ていくうちに、1万に少し足りなかった軍勢が、一人も城に残らずに出たのであった。
城を出た敵軍勢を追撃し、飯盛城を占領
陣形も整えず、一騎づつバラバラに出撃した敵は、恩地が1千余騎を二つに分けて備えているのと遭遇した。矢を一つも放たず、先陣の一軍がどっと叫んで攻めかかると、正成が本陣から太鼓を打った。これは、「兵を乱して敵を追え」との合図であった。
恩地は、この一軍には陣形を乱して追わせ、残るもうひとつの軍は乱さず、正成の本陣に軍使を向かわせて、「今夜、城を攻め取るべし」と伝えた。正成は、
「どのようにでも(恩地)左近太郎殿の思うようにせよ」
と言った。和田・正氏にも、「兵を乱して追え」と言ったので、4千余騎が兵を乱して大急ぎで追撃した。
城から出た敵の軍勢は、自分たちがこしらえた城戸・逆木(さかもぎ)に妨害されて、城へは入れない。恩地は500余騎で、逃げる敵には目もかけずに城へと突進し、大声で命令して云うには、
「城戸の外で首を取っても手柄にならないぞ。城中にいる手柄になるような敵と取っ組みあって討ち取れ。城の外で敵の首を取って、後で忠賞がないと云って手当ての者や私を恨むなよ。城に行くまでに返してくる敵があれば、討ち捨てにせよ」
とのことであり、軍使8人がこのことを後から来る味方の軍勢にも伝えて回った。
城へ押し寄せてみれば、門さえも開け放って、番する者は一人もいない。恩地は城に入って、先ず火をかけたのであった。楠木がやがて1万5千余騎にて城に入った。しかし、城に長く留まることなく、近傍の山に陣を堅くして取った。
夜が明けたならば、首4千余りを討ち取って、その日のうちに京都へ上った。和田泉州・弟の正氏・恩地らについては、残党を捜して討つために、飯盛に残し置いたのであった。
正成の生まれつきの才智
軍の法というものは、いかにしても厳格なものとしておくべきである。楠木の軍勢は、軍法と作戦のどちらもしっかり備えていたので、突然に火災が発生したけれども、戦いに勝ったのである。
常日頃から法を制定しておくにしても、書物から勉学するにしても、生まれつきの才智がなければ、このような時、冷静に「軍勢は出撃せよ」と命令できるものではない。生まれつきの素晴らしい大将であることがよくわかったと、一門の者も他家の者も、偏見なく楠木正成を褒めたのであった。
(「飯盛城攻略作戦」終り)
(いえむら・かずゆき)
(平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)12月12日配信)
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