【第8回】小勢をもって多勢に勝つ

終戦70周年記念出版 『大東亜戦争と本土決戦の真実―日本陸軍はなぜ水際撃滅(すいさいげきめつ)に帰結したのか―』(260ページ 定価1600円+税 並木書房)

【第8回】小勢をもって多勢に勝つ

ごあいさつ

 

こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

 前回に引き続き、『太平記秘伝理尽鈔』の
巻第一から『太平記』全四十巻が書かれた
経緯と、それぞれの巻の作者について紹介
いたします。前回は十巻までについてでしたが、
今回からは、十一巻以降についてです。

 

(引用開始)

 

 後醍醐天皇は、題号(書の名称)が定まって
いないということで、玄恵・智教・教円らに
命じられた。そこで、三人の僧は、武士等に
会って、物語の前後や虚実をそれぞれ尋ねて、
これを再び記した。『元亨釈書』の師(虎関師錬)
に命じて、序を書かせた。

 

 題号については、前に記したとおりである。(注)

 

 また、建武の頃、後醍醐天皇が山門に
居られた時、大友・少弐の振る舞いや、
五大院の右衛門の行いを後代の「嘲り」にせよ
とのことで、山門の護正院に命じて、これを
記させられた。正成が戦死した様子について、
「智・仁・勇」の三徳を備えていると、お褒め
のあまり、善智坊法印に申しつけて、これを
記させられた。これが十一・十六の巻である。

 

 南岸坊の僧正顕信が、(新田)義貞の
奏状・(足利)尊氏の陰謀、(足利)直義の
悪逆を記した。これが十三・十四の巻である。
この当時、義貞は鷺坂(さぎざか)・箱根の合戦
を自ら記した。これも十四の巻である。

 

(以上、「太平記秘伝理尽鈔巻第一 名義並由来」より)

 

(注)『太平記』という書物の題号(名称)が
四度改められたということ。詳しくは、本メルマガ
記事の第四回掲載の「ごあいさつ」をご参照ください。

 

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

 

【第8回】小勢をもって多勢に勝つ

 

(「太平記秘伝理尽鈔巻第六 楠天王寺に
出張の事付隅田・高橋並宇都宮事」より)

 

 

大将が臆すれば、兵も臆する

 

 楠木正成は常々、家の子・郎従や将(上級指揮官)
である者たちを諌(いさ)めて、次のように語っていたという。

 

 「敵軍と陣を張り、戦(いくさ)を決するときはいつでも、
我(われ)は無勢(少ない軍勢)、敵は大勢となるであろう。
そのような条件で、もしも敵と我の間隔が六町
(約655メートル)もあるのに、敵から意を決して
かかって来たとしよう。世間の将は、こちらが無勢で
あり、敵が大勢であるのを見て、臆して我の陣まで
敵を引き寄せて射立て、右往左往するところに
切って出ようとするであろう。

 

 しかし、これは大なる過ちであるぞ。大将が臆したのに、
どうして兵が臆さずにいることがあろうか。そうであれば、
攻めかかる敵の軍勢を恐れて、臆した者は耐え切れず
に備え(隊列)から脱落することになり、この臆した者
が落ちていくのに引きずられて、少し剛である者さえ
も落ちることになるのだぞ。

 

 人は勝れて剛毅であるのもまれであり、勝れて臆病
であるのもまれであるから、残るものはいよいよ少ない
のだぞ。

 

 

「居負け」とその対処法

 

 こちらの兵がまばらになったのを見て、敵はますます力を
得てかかってくる。その時、敵は時の声を発して、
我が陣へどっとかけ入るだろう。臆病になっている味方は、
堪えきれなくなって必ず敗けるものである。これを「居負け」と云う。

 

 このようにして負けることは、将の不覚の最たるもの
である。何とも口惜しいことではないか。そこで、
このようになってしまった時は、将自らが軍の備え
を歩き回りながら、このように下知(命令)して云うのである。

 

 『今日の戦には必ず勝てる方策がある。太鼓の合図
を守って各々前進せよ。人に抜きんでた振る舞いが
あれば、賞禄するぞ。』

 

 このように諸兵の気を引き締めてから、我が陣前
に帰り、敵の攻めかかって来るのを見る。敵との間が
六町の時は、五町(約545メートル)ほど敵が来て、
あと一町(約109メートル)ほどの距離に近づいた
ならば、陣太鼓を打って味方の軍を進めるのである。

 

 こうすることの利点は三つある。

 

 一つには、敵が攻めかかる時、こちらは後れを取り、
敵はその機に乗るものである。それでも我が軍を乱さず、
騒ぐこともなければ、敵も怪しむことであろう。
そこでこちらから進むことによって、今度は敵が気後れし、
我がその機に乗るのである。

 

 二つには、敵は五町以上の距離を前進して疲れて
おり、我は半町(約55メートル)を行くだけなので
疲れていない。

 

 三つには、敵は長い距離を前進して陣形・隊形
などの備えが乱れており、我は乱れていない。

 

 敵が3千を一軍として攻めかかるのに、我が1千の
軍であっても勝てるのは、躊躇(ちゅうちょ)せずに
断行することにある。その理由は、敵が3千を一軍とし、
我が千を一軍としたとしても、それは名目に過ぎない。
互いに進んで勝負をすれば、最前列の30~50人
が太刀打ちして負けた方の兵は、どれ程であろうとも、
皆敗北するものである。

 

 そうして、その軍勢が乱れた後は、再び備えを
調えるのが困難になる。負けた方の兵は、
足のままに走り逃げるばかりで、勝った兵は、
周りの動きに自分を任せて、ただ追い行くだけである。
こうなれば3千でも多くはなく、千でも少なくはない。

 

 

勇士・強弓を選りすぐる

 

 こうしたことから、将たる者が嗜(たしな)んで
求めるべきことは、頑強で勇猛果敢な太刀打ち
のため、鬼神をも欺き、命を塵(ちり)よりも軽く
思うような兵を、正成は十人集めたが、これを二十人
選りすぐり、これらに相応しい兵具を持たせる。
また、勇敢な強弓の兵士を、これも正成は十人
集めたが、二十人を自分の馬の傍らに置く。

 

 そして、「杉の先」陣形でかける時も、また、
「剣の先」陣形でかける時も、「魚鱗」の陣形で
かける時も、将が真っ先に進むのである。
この時、敵が太刀打ちしようとかかって来るのを、
我は太刀打ちの兵一人につき、射手を一人添えて、
間隔を二間(約2~3メートル)にして射るならば、
どうして外れることがあるだろうか。

 

 こうして、敵の動きが少し鈍ったところへ、
将が自ら攻めかかって突入するならば、
たちまちにして勝つのだ。

 

 

武芸に練達した勇士を育てる

 

 このゆえに、一軍の将である者は、勇士・強弓を
いかにしても集めるようにせよ。また、自分の
郎従の子供などを、幼少の頃から常に身近に
置いて、その勇気と武芸では何に器用であるか
を知らねばならない。勇気があるならば、さらに
近くに置いてこれを愛し、その器量に応じた武芸
を習わせ、十分に恩を与えて、これに親しくせよ。

 

 この世の宝は多くとも、少なくとも、武芸に
練達して勇気がある者は、希少な存在であるぞ。
天下第一の貴重な宝とは、勇気があり、しかも
武芸に練達している人物である。このことが
肝要(極めて重要)である。・・・」

 

 

諸国の将の賢愚を知る

 

 また、正成が云うには、

 

 「およそ武道を心に懸けようとする者は、
諸国の将の賢愚を知っておくことが第一である。
これを知ろうと常に意識していれば、諸人が
言うことから必ず知れるものである。

 

 諸人が言うことについても、知っておくべきこと
がいくつかある。人の毀誉(悪口と賞賛)に依らず、
その将の行跡(ふるまい)を聞け。誉めると云えども、
行いが道に外れていれば、愚であると知れ。
謗(そし)ると云えども、行いが道に適(かな)って
いれば、賢であると知れ。人の毀誉は、おのれの
意に合わなければ、愚人を褒め、少しでもおのれ
の意に違えば、賢人を謗るものである。ただし、
その毀誉する人の行いを見て、分別しなければ
ならない。日頃から聖なるものに意を懸けている人
の云うことは、少しは信じるべきである。

 

 また、その郎従が語るのを聞いて知れ。
人の郎従とは必ず、日常では主(あるじ)を謗ること
があっても、外の人に対しては主を誉めるものである。
誉める種類によって、その行跡を聞け。その(郎従
が語る)賞賛が信用できなかったり、ましてや郎従
が主を誉めないようであれば、その将は愚であると
知れ。ただし、その郎従の云うことから、先ずは
敵将の意図するところを知れ。百に一つも知れない
ということはない。

 

 もしも、このようにして知ることができなければ、
戦場において、敵部隊の配備の様子を見て、
その将の賢愚を知るものである。」

 

(「小勢をもって多勢に勝つ」終り)

 

 

 

(以下次号)

 

 

(いえむら・かずゆき)

 

(2014年7月11日配信)

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