【第19回】 武家と庶民の違いは何か

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【第19回】 武家と庶民の違いは何か

こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 

楠木正成が活躍した元弘・建武の時代には、
武家だけではなく、公家や寺の僧なども鎧に
身を包み、武器を手に戦いに参加していました。
豊臣秀吉による刀狩や、徳川家康による
士農工商の身分制度よりも250年以上も
前のことです。

 

 同じように武装して戦っても、武家とそれ以外
の人々とでは、「本質的な違い」がありました。
それは、今日の軍人と民間人についても全く
共通することです。今回は『太平記秘伝理尽鈔巻第八』
からそのことについて解説している箇所を
紹介いたします。

 

 それでは、本題に入りましょう。

 

【第19回】 武家と庶民の違いは何か

 

六波羅探題、摩耶城攻略に失敗

 

 楠木正成が千早で鎌倉幕府側の大軍勢と
戦っていた頃、隠岐の島に流されておられた
後醍醐天皇は島を脱出され、伯耆国(ほうきのくに、
今の島根県)の土豪・名和長年に護衛されて、
船上山を御所とされた。

 

 そこから、後醍醐天皇は諸国の武士へ討幕
の綸旨(天皇からの命令書)を送られ、近国の
武士らが我先にと駆けつけて来た。このことを
知った京都の六波羅探題は、元弘3年(1333)閏2月、
京都に最も近い摂津国(今の兵庫県東部)の
摩耶(まや)城に立て籠もる赤松円心を討伐する
ため、佐々木判官時信と常陸前司時知に48ヶ所
の篝(かがり=京の辻々警固の篝屋に勤務する武士)の
軍勢と、京都に滞在している兵士ら、また三井寺
園城寺(みいでらおんじょうじ)の法師ら300余人らも
従軍させ、総勢7千余騎で摩耶山に向かわせた。

 

 軍勢は閏2月11日、卯の刻(午前6時頃)に
摩耶城の南側の麓から攻め寄せた。

 

 円心は弓部隊の足軽200人を麓に下ろし、遠矢を
少しばかり射込んで城に引き上げさせた。これを
追った寄せ手(攻撃軍)は、七曲と言う険しく狭い
場所におびき寄せられ、坂道で人馬が我先にと
もみ合って登っていた。

 

 そこへ円心の息子らが率いる小勢が激しく矢を
射込んできた。寄せ手軍は完全に奇襲され、互いに
人を楯にして、その陰に隠れようと慌てふためいた。
さらに赤松の軍勢500余人が側面と背面から
切り込んできたので、寄せ手軍は後方から崩れだして、
潰走した。逃げ道は深い田んぼや茨(いばら)が
生い茂る野に挟まれた一本道であり、途上でも
多くの兵が討たれたのであった。

 

 

円心3千騎に六波羅7千余騎は少なすぎる

 

 (以下、「太平記秘伝理尽鈔巻第八 摩耶合戦の
事付酒部・瀬河合戦の事」より)

 

 この戦いで、北条仲時・時益(ともに六波羅北・南両探題)
自らが向かっておられたなら、軍兵はおよそ4~5万騎
はあっただろう。これを二手に分けて、2万余騎は摂津
から向かい、2万余騎は丹波路から三草山を超えて、
赤松の後ろを遮り、播磨(今の兵庫県西部)へ乱入
すれば、赤松は亡んでいたものを、そのような智謀が
なかったのは何ともつたないものだと云えよう。

 

 また、佐々木時信らに京の辻々を警固する武士、
在京の集まり武士、三井寺法師などを駆り集めて、
7千余騎にて摩耶へ向かわせたのは、大なる過ちで
あった。赤松の3千余騎は、全て精兵たちである。
少なくとも、1万余騎で向かうべきだった。多ければ、
1万5千余騎ほどが望ましかった。

 

 

武士にあって郷人にないものは、「智謀」と「将」

 

 もしも郷人(村人、町民など)1000人を以て、
武士100人に対して戦わせれば、武士がいとも簡単
に勝つであろう。

 

 郷人にも力量の優れた者はいるであろう。また、
剛毅な心の者もあろう。あるいは、武家にも力量の
劣った者もいるだろう。また力量は優れていても臆病
な者もあろう。それなのに何故、1000人の大勢でも、
武家の100人に負けてしまうのだろうか?

 

 その理由を考えてみると、二つのことが云えるだろう。

 

 一つには、武家は職業として朝夕に武をたしなみ、
郷民は武を学ばない。これゆえに武道(=武術と兵法)の
智謀が劣っている。

 

 二つには、武家には独りの将がいて、兵は皆その命令
を重んじる。郷民には将がいない。将がいなければ、
戦における進退も鈍重である。鈍重であれば、勝つこと
は少なく、負けることが多い。これは「異体同心」では
ないからだ。

 

 

武士として心得ておくべきこと

 

 これゆえ、武家に生まれた者は、その道(すなわち、
武術と兵法)を知らないことを大いに恥とすべきである。

 

 武道を学ぶというのは、将は武の七書(注)を熟知して、
謀を好み、勝てる見込みのある戦を失敗せず、上手く
いかなければ、兵を引いて早く退き、敵の油断を突いて、
味方の作戦を練ることを怠らないのを云うのだ。これを
以て「表」とし、太刀打ち・弓馬・早業・力業・山岳の険難
を走っても疲れない。これらを以て「裏」とするのだとされている。

 

 また、兵は将の「裏」を以て「表」とし、「表」を以て「裏」と
するのである。

 

 武家に生まれた人は、その道に励まずして、何の役に立つ
というのか。実に恥ずかしいことではないか。その上、武道
を知らないような士は、少なくとも家を失い、大なるは国を
亡ぼす。心得ておくべきことである。

 

 (注)七書とは、『孫子』、『呉子』、『司馬法』、
『尉繚子(うつりょうし)』、『李衛公問対』、『黄石公三略』、
『六韜』のことをいう。

 

 

将たる者の宝「慈悲」「勇気」「智謀」

 

 源義家朝臣が語られたことには、

 

 「将のたしなむべきことは三つある。一には慈悲、
無欲にして下民を憐れみ、二には勇気。三には智謀。
この三つを兼ねている将は、古今に稀であろう」

 

 ということである。実に義に適った言葉である。

 

 将が自分のことだけを思って下民を育む心が少なければ、
下の者は疲れて将を恨むようになり、下知(命令)しても
従わない。将に勇気がなければ、一つの作戦の失敗に
より、勝てるような戦にも勝てなくなる。将に智謀が
なければ、部下の善し悪しを見分けられない。また勝つ
べき道理をわきまえず、兵をうまく指揮・統率することも
できない。「慈悲と勇気と智謀」、この三つを知ることが、
将の宝であらねばならない。

 

 武家に生まれた者が、その道を知らなければ、郷民と
同じである。

 

 また、諸国から寄せ集めた軍勢を率いて戦に赴(おもむ)く
のは、兵としてはあまり期待できないが、郷民よりはまし
であろう。誰もが武家であるからには、おそらく合戦の
やり方も知っているからである。それでも、昔から代々
仕えてきた将ではないので、将の下知を重んじない。
重んじないので、軍の進退が鈍重になる。このことから、
あまり期待できないのである。

 

 

寺の法師や駆り集めの兵では、赤松勢と戦えず

 

 三井寺法師は、軍というものを全く理解していない。
郷民とほとんど同じであろう。あの寺の法師らは、近年
は武術を習っており、その点では郷民に勝っている。
しかしながら、法師というものは自分勝手に行動し、
むしろ郷民よりも将を侮るものである。このように、
それぞれの優劣を入れ合わせれば、法師も郷民も
大差ないのである。

 

 その他は諸国から駆り集めた兵なので、(佐々木時信ら
が率いる)7千余騎は、赤松の兵1千騎にも値しないの
ではないだろうか。これらを以て円心を退治しようとする
のは、「卵を以て石を砕こうとするに等しいものだ」と
云われていた。

 

 

(「武家と庶民の違いは何か」終り)

 

(いえむら・かずゆき)

 

 

(平成26年(西暦2014年 皇紀2674年)9月26日配信)

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