【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4
ごあいさつ
こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。
さて今回は、前回に続く「飯盛城攻略作戦」の四回目、
いよいよ飯盛での城攻めが始まります。
楠木正成は、まず平群の小敵から攻め滅ぼし、その勢い
を以て、飯盛の大敵を討ちます。これは、後の世で織田信
長がまず浅井・朝倉・本願寺などの弱敵を討って、甲州へ
は一年に一度使者を送って音信を通じて、信玄を安心させ
ておきながら、機を見て甲州を取ったのと同じようなやりかたです。
それでは、本題に入りましょう。
【第28回】 飯盛城攻略作戦 その4
(「太平記秘伝理尽鈔巻第第十二 安鎮国家の法事付諸大将恩賞の事」より)
伏兵で城から出た敵を背後から討つ作戦
正成が千早に帰ったならば、「敵が出没した」との知らせが入った。そこで、河内国の三箇・新庄の辺りにいた兵を向わせ、楠木は翌日に再び千早を出発して、飯盛に向った。軍勢はおよそ6千余騎であった。先陣が久宝寺(八尾市)に着いた頃、楠木は若江の城に入った。
その夜、和田の和泉守・志貴・猶原(ならはら)等が3千余騎にて、飯盛の城下で前後に伏せて(=隠密に陣を取って)、正成自身は3千余騎にて教興寺(河内国中河内郡)という所にいた。また、野伏を5~6千人ほど集めて、手に手に松明(たいまつ)を持たせ、三軍に分けさせ、兵2~300人を同行させて、城から二里(約8Km)を隔てて陣を取るように見せかけた。
このように配置した楠木の企図は、
「城中の大将は謀才が無いので、おそらく夜中に兵を進撃させるであろう。そうなれば、楠木の伏せている軍勢で、後ろから敵兵の中に直ちに攻め込ませよう。正成はそれらの後ろにいて、飯盛山に登って城へ入ることになろう」
ということであった。
城の若い兵たちは出撃を希望
城中の兵たちは、これを見て、
「あっ。楠木が攻め寄せているぞ。おびただしい松明が・・・」
と言った。大将は、
「すでに敵に陣は取らせているのだ。すぐに出撃せよ」
とのこと。兵たちがすでに出発しようとしていたところ、清の五郎という一人の老武者が、
「敵が夜中に行動している時、その状況を知らずに兵を出せば、必ず敵によって討たれると云われておりますぞ。その上、楠木は武家の中でも戦(いくさ)の名人です。彼が兵を進めるのに対してこちらも城を出るからには、こうすれば勝てるという作戦がなければなりません。明けることのない夜というわけでもございません。夜が明けて敵の動く様子を見合わせてから、戦をなさってください」
と申したところ、若い兵たちは、
「たとえ楠木だからとて、何ほどのことがあるというのか。同じ人間の少し賢い者に過ぎないではないか」
と云う。その中に河村右近丞(かわむらのうこんのじょう)という者がいたが、この男が
「楠木は、おそらく小勢でありましょう。大勢であれば、白昼に攻め寄せるものです。夜中に陣を取って構えるのは、軍勢が弱小であるのを知らせまいとしてのこと。敵を恐れる余り、古狐にだまされてはなりません。夜中でございますれば、軍勢の半分を城中に残し置き、器量のある人に5~6千もの兵を指揮させて派遣されるならば、夜中で陣取りも思うようにできない兵を追い散らすことなど、思いのままです」
と、手に取るように作戦を具申したのであった。後に降参した月谷主殿助(つきやのとものすけ)が、このように語っていたという。
過半を残して出撃し、時の声を挙あげる
諸勢はこの意見に賛同して、河上(こううえ)・加地の両人を大将として、6千余騎を城から出撃させた。残りの兵は1万ほどであったが、それぞれ自らの陣を堅めた。加地が云うには、
「このような時には、城中にて時の声を発して後に出撃するものと承知しております」
とのことであった。そこで芦田の孫右衛門が
「それは楠木がかつて北条高時に語っていたことである。(筆者注:『理尽鈔』によれば、楠木正成はかつて鎌倉幕府の御家人であった。) 軍勢を出撃させた後にこそ時の声を発せよ」
と云うと、「ごもっとも」と同意して、両人は出撃した。城を出てから二町(約218m)ほどの所で、大将の陣から時の声を発した。諸陣も皆、これに従った。
早まって時の声をあげてしまった和田の陣
また、夜が明けたならば、城に残ったそれぞれの陣からも兵を出撃させようとしていた。楠木が潜ませておいた忍びの兵が、出撃する兵にまぎれて城を出て、急いで楠木の元に来てこのことを報告した。正成は、
「そうであれば、和田に次のように伝えよ」と云い、
「(今、出撃している)この軍勢を討ってはならない。先ず、味方の野伏を敵に追わせよ。そうすれば、あの松明が散じてしまったのを見て、城中の敵は残らず出撃するであろう。それを討て」
と命令した。すぐに軍使が向ったところ、すでに和田の陣は騒がしくなっており、早々と時の声を発して合戦に及んでいた。
楠木はこれを聞いて、
「すでに作戦とは違う状況になっていたか。ここで城に残る兵が打って出たならば、和田は討たれてしまうだろう。和田を討たせてしまっては城を落としたとて何の意味があろうか。城は後になって落とすことも難しくはない。すぐに全軍に時の声を挙げさせよ」
と言ったので、(飯盛の城下の前後に伏せていた)3千余騎が時の声を発した。城中ではこれに驚いて、すでに敗れたような雰囲気になっていたが、楠木は思うところがあって攻めなかった。城中では、もう城から出撃しようとは誰も思わず、陣という陣の守備を堅くしようとひしめいていた。
正成、和田勢を収容してから陣を引く
正成は、その陣に踏みとどまることなく、敵が全軍で出撃するのに備えて、(下がってくる野伏たちと)交差して、野伏たちが松明をとぼしていた場所へと押し出だした。和田の陣へ使いを向かわせて、
「状況が変わってしまった。敵を長追いしてはならない。夜が明ける前に、正成の陣へ来るように」
と命令して、佐太宮を後ろにして陣を敷いたところ、夜はほのぼのと明けた。
和田は合戦に打ち勝って、首などを取り持たせて楠木の前にやって来た。首はおよそ600余であった。その他の敵兵も城へ帰る者は少なく、散り散りになっていた。城中では楠木が退いていたのも知らず、敵は近辺にあるものと思って、警戒を厳にしていたのであった。
夜が明けて見たところ、敵は一人もいない。
「これは何事だ。合戦には負けている。敵が夜中からここにいたならば、今頃は陣を攻めているであろうに、敵が一人もいないとは不思議なことだ。先の時の声は狐のなせるわざか」
などと言う者もあった。また、「味方が遅れて発した時の声を敵と思ったのではないのか」などと言う者もあった。後に「敵の時の声は、間違いなくこの辺からだったぞ」などと云って、人を遣わして見たところ、兵が伏せていた跡があったので、
「敵は早くに引いてしまったのだろうか。これは一体どうしたことか」
などと言う者も多かった。
正成と郎従・恩地左近太郎の問答
もしも楠木勢の陣から時の声を発しなければ、敵が城から出てくることもあっただろう。そうなっていたら、和田は戦には負けたのであろうか。
後に恩地がこのことを楠木に問う。正成は云う。
「私であれば、時の声を発しなくても、まず城を出ることはないだろう。血気の勇者が、夜中に味方の兵の城を出て、思いもよらず足元で討たれたりなどすれば、血気も覚めて臆病心になるものである。それゆえに出撃などしないのである。しかしながら、実は必ずしもそうではない。大勢の兵の中に、少しでも戦のコツを弁えている者があれば、出撃して勝つこともあるだろう。そうなれば、和田殿は討たれてしまうに違いないと考えたので、わざわざ時の声を挙げさせたのである。
また、敵が城を出たところを正成が後ろから入ったならば、城は落ちたであろう。『この城は落とすのが難しい城か、また落とすのに長びけば諸国に朝敵が多くできるだろうか』と思っていたならば、和田が討たれてしまおうとも、城を落としたであろう。しかし、飯盛は百日の内には、容易く落とせるような城ではないか。ここで和田殿を討たせてどうなるのかと思ったからこそ、時の声を発せば城中の者どもが恐れるだろうと判断したのである。」
その時、恩地左近太郎が申したことには、
「正成殿が時の声を発せられた時、敵陣は激しく動揺しておりました。攻め入っておられたなら落ちていたことでしょう。にもかかわらず、お引きになられたのは、どうなのでしょうか・・・」
とのことであった。楠木は云う。
「よくこそお尋ねになられた。実に仰せのごとく、後になって私もそのように思ったけれども、その時には気付かなかったのである。名将であれば飯盛をその夜に落としたことであろう。しかし、正成には将の器が足りなかったので、最良の判断ができなかったのだ。何とも恥ずかしいことである。」
恩地は、
「誰しも時にはそのようなことがございます」
と申したのであった。
(「飯盛城攻略作戦 その5」へ続く)
(いえむら・かずゆき)
(平成26年(皇紀2674年 西暦2014年)11月28日配信)
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