F-4EJ配備部隊の歴史(2)

1973年に百里で第301飛行隊が創設されたのを皮切りに、1974年に第302飛行隊(千歳)、1976年に第303飛行隊(小松)、1977年に第304飛行隊(築城)、1978年に第305飛行隊(百里)、1981年に第306飛行隊(小松)と6個飛行隊が新編され、F-15Jが導入されるまで日本の防空を担う主力戦闘機として運用されました。また、偵察柄のRF-4Eは第501飛行隊(百里)にRF-86Fの後継機として配備されました。

しかし1986年にF-104Jが実戦部隊から退役してからは、空自の防空任務はF-4EJではなくF-15Jが主力戦闘機となりました。

第303~306の各飛行隊は順次F-15Jに機種更新、第301飛行隊と第302飛行隊(1987年12月9日、ソ連軍の偵察機が沖縄上空で領空侵犯をした際に自衛隊初の実弾警告射撃をしたのが、当時那覇基地に所在していた第302飛行隊のF-4EJです)は最終的にいずれも百里に移動。偵察部隊の第501飛行隊と合わせ、空自のファントム部隊すべてが百里に集結するというファントムネストが誕生したのです。

第301~306飛行隊および第501飛行隊の変遷を、もう少し詳しくたどってみます。

まず第301飛行隊は、1972年に百里基地で臨時F-4EJ飛行隊が編成され、F-4EJ戦闘機2機が配備されました。航空自衛隊で最初のF-4運用部隊です。

1973年には対領空侵犯措置任務に加えて搭乗員の機種転換訓練も担当するマザースコードロン(母体飛行隊)として、第7航空団隷下に新編。1985年、新田原基地の第5航空団隷下の第204飛行隊がF-104J/DJからF-15J/DJへ機種更新すると共に百里基地へ移動することに伴い、第301飛行隊は入れ替わる形で新田原に移動。1991年には機体寿命延長と能力向上を目的とした改修を行なったF-4EJ改戦闘機に機種更新されました。

その後、F-4EJ改の部隊配備が減少したため管理の一元化、さらに南西方面への戦術強化などを目的に、F-15Jを装備する第305飛行隊とまたしても入れ替わる形で、2016年に再び百里基地へ移駐しました。

そして2020年12月にF-4EJ改はラストフライト、運用終了。空自で最初のF-4運用部隊が幕引きも担う形となりました。同年、F-35Aへの機種改編に伴い三沢基地へ移駐、第3航空団隷下へ編入します。

1973年から2020年まで半世紀近くにわたり単一機種の運用を続けた、世界的にも珍しい部隊です。

第302飛行隊は1974年に空自2番目のF-4EJ飛行隊として第2航空団隷下に配属されました。千歳基地におけるF-15の新編と那覇基地のF-104部隊の解隊に伴い、1985年に那覇基地へ。1992年にF-4EJ改の受領を開始しました。

2009年にF-15Jを運用する第204飛行隊と入れ替わる形で茨城県百里基地へ移動して以来、首都圏の防空任務に従事してきました。第301飛行隊より一足早くF-35Aへの機種改編と三沢基地への移動が決まったため、2018年12月2日に行なわれた百里基地航空祭では特別塗装機を用意、国内だけでなく海外からも熱いファントムファンが百里に結集して会場を盛り上げました。北海道から沖縄、そして最後はファントムネストの百里と、第301飛行隊同様、単一機種で日本の空を守ってきた稀有な部隊です。

2019年3月に三沢基地への部隊移動記念式典を実施、北部航空方面隊第3航空団隷下へ編入しました。F-4時代は空自戦闘機部隊の中で最大サイズとしても知られた垂直尾翼に描かれたトリコロールカラーのオジロワシがF-35Aではどうなるのか注目されていましたが、ステルス性の観点から白1色、さらに小さなサイズになったものの、マークは継承されました。