MCV配備部隊&密着ルポ(3)

MCVを扱うのは機甲科職種の隊員、つまり全員がもと戦車乗りです。例えば第3即応機動連隊に改編される前の第3普通科連隊MCV中隊準備隊長の齋藤進之佑3佐(当時。今年3月には2佐に昇任、現在は北熊本駐屯地所在第8師団隷下第42即応機動連隊16式機動戦闘車隊長として活躍中です)は、74式戦車が装備されていた第6戦車大隊を経て富士学校でMCVに携わった後、準備隊長として名寄にやって来ました。準備隊での訓練の様子については、次のように話していました。

「準備隊は基本的に第2戦車連隊から異動してきた隊員を中心に構成されていますが、全国各地から異動してきた隊員もいます。教育は名寄で実施しており、誰も使い方がわからなかったMCVという新しい装備品について、砲の動かし方、操縦の仕方などをひとつずつ学んでどんどん上達していく姿を見るのはうれしく、やりがいを感じます。入魂式会場にMCVを運んできた操縦手も先日集合訓練に行った隊員で、今回はとても上手に扱えるようになっていましました」
「私が乗っていた74式戦車と比べると、MCVは射撃の機能もかなり高度化されている分、操作も難しく、すべてがネットワーク化されているので74式とはほとんど別物です。また、北海道は装填手のいない90式と10式戦車で育った隊員が多いですが、MCVには装填手がいます。一方、全国各地から来た隊員は74式経験者なので、彼らの力を使って装填手を育てています」

原隊もばらばら、乗っていた戦車もキャリアもばらばら。全国から集まった兵を最北の地で、しかもコロナ禍という特殊な環境下でひとつにまとめ上げるのには並々ならぬ苦労があったことでしょう。中隊長着任式での訓示は沁みるものがありました。
「1年前の今日、機動戦闘車中隊準備隊が立ち上がったとき、ここにはなにもなかった。MCVもない、モノもない、中隊新編のノウハウもない。全国から集まった十数名の機甲科隊員だけだった。この状況の中で新編業務を進め、戦力化訓練を積み上げてきた。そして全国からたくさんの仲間たちが集まった。まず、諸官の苦労に感謝と敬意を表したい。本当にありがとう。(略)『機甲斯くあるべし』を実践し、ともに頑張っていこう」

「機甲斯くあるべし」とは初代陸軍機甲本部長、吉田悳が機甲兵の模範を文面にしたとされるもので、現在の機甲科でも受け継がれている機甲スピリットです。「戦車ことごとく快走」「百発即ち百中」「練武必勝を期して」「陣頭報告(国)を誓う」というフレーズに機甲科魂がぎゅっと詰まっています。