【本の紹介】『日本軍と軍用車両─戦争マネジメントの失敗』林譲治(著)

2022年4月27日

こんにちは、エンリケです。

帝国陸軍の機械化史を、日本自動車産業史と連ねて
解説した通史。帝国陸軍輜重兵史の側面も持つわが
軍用車両の歴史が描き出されています。

地味ではあるけど決定的に重要な兵站、輜重兵科を
知るきっかけにもなる技術史であり、帝国陸軍が、
機械化(=自動車化)部隊を具体的にいかに作って
いったのか?が手応えあるかたちでよくわかる良書
です。

戦後日本では、

「帝国陸軍は野蛮な精神主義の権化で、近代的な装
備機械化などは軽視していた」

という、批判に見せた「根拠なき誹謗中傷」が、わ
が軍事セクターに対して行われています。

・帝国陸軍は世界的に見ても歩兵師団をはじめとす
る諸兵科の機械化に熱心な軍隊であった

・帝国陸軍は海外事情にも通じており、たとえば戦
車でも列強に劣らない火力と装甲を重視していた。

・自動車産業の立ち上げと陸軍部隊機械化がほぼ同
時並行で行われていた歴史

・たしかに兵站は最後まで軍馬中心であり、数少な
い自動車は故障で苦労したという証言が少なくない。

・機械化が思うように進まなかった根源の理由は、
シナ事変拡大に伴う師団数の急増と根こそぎ動員を
通じた兵站、人材不足の問題にあった。

という事実を無視した誹謗中傷に、少なくともあな
ただけは染まらないでいただきたいものです。
本著を読めば正鵠を射た背景事情を把握できますの
で、一読をおススメします。

もしシナ事変を早期に終わらせていれば、
当時のわが自動車生産能力のポテンシャルでわが陸
軍全師団の自動車化は十分可能でした。

ところがシナ事変が拡大し、派遣部隊が急増。自動
車隊将兵の経験知識は不十分になり、自動車の適切
な運用ができなくなり、「根こそぎ動員」を通して
自動車の需要に供給が追い付かなくなりました。

人材育成・兵站の裏付けを欠いた部隊の急増が自動
車の形式の混在、稼働率の低下を招き、それが、前
線での補給部品や燃料入手を困難にし、また稼働率
を下げる、というマイナススパイラルに入ったとい
うことです。

とくに見落とされがちなのが「人材不足の問題」と
感じます。

著者はこれについて「はじめに」で次のように指摘
します。

<日本陸軍の優位は、基礎教育の普及を背景とした
将兵の教育・訓練水準の高さにあった。しかし、根
こそぎ動員でそれが実現不可能となった時、自動車
一つ満足に運用できない事態に陥ったのである。>

シナ事変拡大の責任は派遣軍などの戦術レベルには
なく、大本営レベルの戦争マネジメントが失敗した
ことにあります。これが自動車の不足と稼働率の低
下を招き、そのツケを最前線の将兵が支払わされた、
ということではないでしょうか?

ただここで一呼吸置きたいところです。

昨日紹介した北野さんの『地政学』本のなかに、
こういう趣旨の言葉がありました。

「戦争は国民世論が起こす」

プーチンのクリミア侵攻に触れた一文のなかで紹介
されていたものです。

おそらくシナ事変当時も、政府や大本営の意思決定
を拡大方向に突っ走らせたのは、当時の国民世論だ
った気がしてなりません。背後でそれを煽ったのが
マスメディアであったろうことも。

この種の本を一般国民が読まなきゃいけない理由は
そのあたり(知的判断力の自律自立独立)にあると
私は考えています。

『日本軍と軍用車両─戦争マネジメントの失敗』
林譲治(著)
出版社: 並木書房 (2019/9/10)
発売日 : 2019/9/10
判型・ページ数(ソフトカバー) :A5判344
ページ
https://amzn.to/3sncTJb

では内容を見ていきましょう。

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◇はじめに

 島国である日本が外征部隊に対して兵站輸送を行
なうにあたり、大きく二つの段階に分けられる。
  それは日本から船舶・鉄道を用いて大本営や方
面軍などが管轄する領域における、いわば「戦略的
な兵站輸送」と、師団が担当する前線までの領域、
つまり「戦術的な兵站輸送」の二つである。
  この二つの分水嶺となるのが兵站末地であり、
自動車による兵站輸送が活躍するのも主としてこの
領域になる。今風に言えば、「ロジスティクスのラ
スト一マイル」の担い手である。
  日本陸軍の輜重兵部隊は、多くが馬による動物
輜重に依存していたことは知られている。アメリカ
軍やイギリス軍がトラックを自在に操るなかで、日
本軍は馬匹で物資を輸送し、時には人力で運んでい
た。
  それは確かに事実ではあるのだが、だから「日
本軍は精神主義一辺倒で機械力に理解がなかった」
と結論するのはいささか早計である。
  事実関係をみれば、日本陸軍は欧米諸国とほぼ
同時期に自動車の研究を始めている。工業基盤の遅
れから、自動車の国産化や量産化には時間を必要と
したものの、構想レベルでは諸外国に劣っていたわ
けではない。
  たとえば、とかく非力な存在として槍玉に上が
る九七式中戦車にしても、開発時の要求仕様は十分
に満たしていた。さらに言えば、同時期の世界の戦
車と比較すれば三七ミリが主力の中で、五七ミリ砲
を搭載するなど(歩兵直協のためではあったが)火
力重視の思想も読み取れるのである。
  また、運動戦を重視する立場から、歩兵師団の
自動車化にも日本陸軍は熱心であり、生産力の範囲
で着実に自動車導入が進められてきた。
  一つの転機は満洲事変とそれに続く熱河作戦で
あった。満洲事変で日本陸軍は初めて大規模な自動
車運用を経験した。さらに熱河作戦により、自動車
の可能性を学ぶこととなった。
  満洲事変の経験により日本陸軍の自動車政策は
一つの転機を迎える。ここでのキーマンは伊藤久雄
輜重兵大尉である。彼は陸軍自動車学校を経て、一
九三二年から三九年まで陸軍省整備局動員課に勤め
ていた人物である。
  彼は満洲事変でフォード・シボレークラスの自
動車が活躍したことから、後方の兵站輸送をこうし
た量産に適した大衆車に委ね、前線はディーゼルエ
ンジンを備えた重量級の軍用車が担うという、自動
車の棲み分けを提案している。
  この提案による大衆車クラスの量産はのちの自
動車製造事業法にて実現することになる。
  伊藤輜重兵大尉と並んで日本陸軍の機械化を語
るうえで忘れてはならないのが吉田悳騎兵監であろ
う。彼は機甲軍創設の立役者でもあるが、重要なの
は彼が機械化部隊を必要とするその理由にある。
  一九四〇(昭和一五)年一〇月、吉田騎兵監は
『装甲兵団ト帝国ノ陸上軍備』を発表する。この中
で彼は、一国の人口問題から軍の機械化を説く。一
国の人口は一朝一夕には増えない。そして工業社会
の戦争だからこそ、軍事力を下支えする工業を維持
するための労働人口は減らせない。ゆえに戦場に無
闇に兵力を送ることは労働人口を減らし、戦力低下
につながる。したがって限られた兵力で高い戦闘力
を維持するには軍の機械化を行なうよりない。
  この吉田騎兵監の提言は、諸外国に比較して労
働生産性の低さが問題となる今日の日本においても
傾聴に値する意見だろう。
  このように日本陸軍の自動車化・機械化への関
心は高く、決して精神力一辺倒ではなかった。
  だが一方で、日本軍の兵站は動物輜重中心であ
り、数少ない自動車についても故障で苦労したとい
う証言には枚挙に暇がない。
  この矛盾はどこから生じるのか? 本書の目的
もこの矛盾について考える点にある。
  一つ言えるのは、日華事変から終戦までの師団
数の急増と根こそぎ動員こそが、諸悪の根源であっ
たということである。
  日本陸軍の優位は、基礎教育の普及を背景とし
た将兵の教育・訓練水準の高さにあった。しかし、
根こそぎ動員でそれが実現不可能となった時、自動
車一つ満足に運用できない事態に陥ったのである。

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●目 次

 はじめに 1

第一章 日本軍と自動車産業 9

  発明家の時代 9

   自動車産業の黎明/日本最初の自動車メーカー

   軍用自動車の研究開発と自動車産業の誕生 13

   軍馬の数と質の不足/国産軍用車の第一号

  輸入から国産化へ 20

   自動車メーカーの誕生

  国家による自動車産業の育成 24

   陸軍の試算と思惑

  アメリカ自動車産業の進出 28

   欧米の自動車産業発達の背景/世界をリード
   したアメリカ

  アメリカメーカーの日本進出 33

   自動車輸入の拡大/フォード、GM日本上陸

  商工省標準型式自動車とその周辺 38

   軍用車は輸入か国産か?

  標準車の誕生 40

   国産振興委員会の答申/標準車量産の不振と
課題/陸軍の求める軍用車

  自動車製造事業法とその周辺 48

   一九三〇年代の自動車の分類/満洲事変での
自動車運用実績/日産と豊田の登場

  国産車量産に向けた法整備 58

   自動車製造事業法の目的/経済、産業の戦時
体制への移行

  戦時体制下の自動車生産 62

   自動車の需要供給の統制/戦争長期化の影響

第二章 日本軍の軍用車両 68

  ディーゼル車とガソリン車 68

   戦時下のメーカー統廃合

  自動貨車 71

ちよだ、スミダ六輪自動貨車/九四式六輪自動貨車
/九七式四輪自動貨車/一式四輪・六輪自動貨車/
日産80型・180型トラック/トヨタGBトラッ
ク・KBトラック/戦時規格型トラック─180N
・KC型/フォード、シボレーのトラック

  火砲の牽引車 94

黎明期の牽引車/九二式五トン牽引車/九二式八ト
ン牽引車/九四式四トン牽引車/九五式一三トン牽
引車/九八式四トン牽引車/九八式六トン牽引車/
牽引自動貨車

  戦車および装軌車両、装甲車両 113

日本陸軍の機甲化構想/輸入戦車/八九式中戦車/
九二式重装甲車/九四式軽装甲車・九七式軽装甲車
/九五式軽戦車/九七式中戦車/一式中戦車/一式
砲戦車/三式中戦車以降/装甲車/装甲兵車

  乗用車と小型車 169

戦前、戦時期の小型車生産/乗用車/自転車/オー
トバイ/三輪自動車

第三章 日本陸軍機械化への道 195

  馬匹から自動車へ 195

常設されなかった機械化部隊/動物輜重の実態

  自動車隊の黎明期 200

青島攻略─初の自動車運用/自動車隊の創設/シベ
リア出兵─自動車の本格的実戦投入/第一、第二自
動車隊の編制/陸軍自動車学校の創設/戦力近代化
と騎兵の役割

  陸軍の自動車化の進展 220

満洲事変で増強される自動車隊/上海事変の戦車部
隊運用/熱河作戦の兵站・輸送計画/川原挺進隊の
突進/百武戦車隊の戦果と教訓/独立混成第一旅団
の新編

第四章 日本陸軍機械化部隊の興亡 243

  陸軍の自動車運用の実際 243

兵站輸送での自動車運用/自動車隊の指揮統制/連
絡・調整の手段と方法/砲兵部隊との連携と要領

  自動車部隊の拡充 264

日華事変と自動車隊の改編/輜重兵科の自動車化と
その限界/騎兵機械化への改編と問題点

  ノモンハン事件の敗北と教訓 278

日本陸軍が遭遇した初の近代戦/ノモンハン戦の兵
站と自動車運用/ソ連軍の機動力、火力に圧倒され
た日本軍/戦車部隊の改編・新編/機甲兵科の創設
と部隊整備

  陸軍機械化部隊の太平洋戦争 300

マレー作戦─日本陸軍の電撃戦/「電撃戦」の実相
と生かされなかった教訓/兵站輸送と自動車の活躍
/有効活用できなかった機甲戦力

  大陸打通作戦 318

京漢作戦・湘桂作戦の企図と目的/主要作戦部隊の
戦力とその実情/困難続きの兵站線の維持/兵器行
政における日本陸海軍の不作為/故障を招いた背景
と要因/終始つきまとった整備の問題

 主な参考文献 340

 おわりに 342

———————————

いかがでしょうか?

この本で特筆すべきは、
軍用車両というツールの全体を包括的に捉えてつか
もうとする「マネジメント」の視点から描き出して
いることです。

現在のわが自動車産業が、軍と国家が生み出したと
いう事実に驚く戦後日本人も多いのではないでしょ
うか?

戦史と聞けば、戦闘兵科のことばかり取り上げられ
がちです。

ところが、戦闘力を維持するために兵站は不可欠で、
そのため活躍した輜重兵科への視座抜きで、戦史か
ら実像を把握することは不可能でしょう。

この種の兵站・輸送系の軍事本は類書が少なく、な
かでも一般向けに優しく分かりやすく記された書も
少ないですから非常におススメです。興味あればぜ
ひ読んでください。

「欧米諸国と我が国では、自動車産業の立ち上げに
あたって決定的な違いがあった」

など、実に新鮮な視座、面白い知識をたくさん得ら
れることでしょう。

著者はこの方。

林譲治(はやし・じょうじ)
1962年2月、北海道生まれ。SF作家。
臨床検査技師を経て、1995年『大日本帝国欧州
電撃作戦』(共著)で作家デビュー。
2000年以降は『ウロボロスの波動』『ストリンガー
の沈黙』と続く《AADD》シリーズをはじめ、
『記憶汚染』『進化の設計者』などを発表。
最新刊は『星系出雲の兵站』(以上、早川書房刊)。
家族は妻および猫のコタロウ。

『日本軍と軍用車両─戦争マネジメントの失敗』
林譲治(著)
出版社: 並木書房 (2019/9/10)
発売日 : 2019/9/10
判型・ページ数(ソフトカバー) :A5判344
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エンリケ

追伸

プロよりもアマのほうが、囚われのない柔軟な発想
で物事をとらえることができる面もあります。

アマを馬鹿にしないプロ、プロを尊重するアマ。
ひたむきで誠実で奥深さを備えた両者が、精力的に
ことばを飛び交わしあう軍事言論空間に我が国をし
たいですね。

『日本軍と軍用車両─戦争マネジメントの失敗』
林譲治(著)
出版社: 並木書房 (2019/9/10)
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