朝鮮戦争における「情報の失敗」 ~1950年11月、国連軍の敗北~(22)

2020年4月21日

From:長南政義
2012年(平成24年)7月19日(木)
□はじめに
 前回、朝鮮戦争当時のマッカーサーの対中戦略に関し、
ソ連からの援助に頼る中国に対しても、第二次世界大戦でマッカーサーが
日本に対し実施した封鎖戦略が有効だと認識していた「パシフィック・ア
ナロジー」を説明した。
しかし、「パシフィック・アナロジー」には大きな問題が存在した。
「パシフィック・アナロジー」の前提となった、軍需・民需両面で
物資不足に悩む中国というマッカーサーの認識も、建国したばかりで
まともな統計を公表してない中国にあっては、情報機関の分析結果に
よって結論に大きな相違が出てきそうな問題であったのだ。
そして、これまでの連載で見てきたように、マッカーサーの情報幕僚
チャールズ・ウィロビーの対中分析には多くの欠陥があったのである。
では、ウィロビーの個性と前歴が彼の情報評価の手法やマッカーサー
との個人的関係にどのように影響しているのだろうか?
本題である「人的・政治的要因」の問題に筆を進めることとしたい。
▼マッカーサー、ウィロビーを絶賛する
 東京の極東軍司令部およびワシントンの政治・軍事意思決定者の
情報評価に影響を与えていたもっとも重要な人物は、マッカーサー
率いる極東軍司令部参謀部第二部長であったチャールズ・ウィロビー
陸軍少将であった。
もちろん、ウィロビー以外の軍人たちも司令官や幕僚として朝鮮戦争
において不可欠の役割を果たしていたが、ウィロビーは、朝鮮半島で
の戦争を迅速に終結させるというマッカーサーの戦略の立案および
執行の過程で最も重要な地位の一つを占めていた。マッカーサーは
国連軍に作戦計画のヴィジョンを提供し、ウィロビーが情報面で
それを支援する関係にあったからだ。
1950年10月15日のウェーク島会談におけるウィロビーによる
中国指導部の意図に関する評価は、トルーマン大統領および大統領
補佐官をして人民解放軍が朝鮮戦争に介入しないと信じ込ませるか、
もしくは少なくともマッカーサーが進めさせつつあった戦争を終結
させるための11月攻勢に対する反対の声を抑えるような内容で
あった。
マッカーサーはウィロビーのことをとても高く評価していた。
これはマッカーサーが以下のように書いていることからもうかがえる。
「彼は50年余りのわが軍歴の中で出会った最良のG2(情報)幕僚である。」
マッカーサーによるこの称賛は、排他的な組織風土を持つ極東軍
司令部内において、ウィロビーの地位を強固なものにするのに役立った。
ウィロビーも負けてはおらず、1954年に、失敗に終わった
マッカーサーの11月攻勢を讃えて以下のように述べている。
「マッカーサーは敵をして手の内を明らかにせしめるための一歩を
踏み出した。すなわち、マッカーサーの11月24日の攻撃は、
威力偵察であるが、前進もしくは退却する行動の自由を与えていた。
マッカーサーにより策案された機動は、モルトケにより有名となった
古典的なものであった。すなわち、分離した部隊による行動で敵の
移動軸を切断するものであったのだ。」
ウェーク島会談で示されたように、現実を直視しないという
マッカーサーとウィロビーという両者の性格が相互に交錯した時、
両者の持つ欠点は拡大し、その結果として両者が軽視していた
人民解放軍の手によって国連軍は潰走させられることとなった。
換言するならば、マッカーサーとウィロビーという、個性の強い二人の
個人的で職務的な性格の組み合わせが、朝鮮戦争における米国の戦略
目的に破滅的な影響をもたらす結果となったのである。
▼ウィロビーの個人的経験が作り出した中国に対する偏見
 歴史家にしてジャーナリストであるデイビッド・ハルバースタムは
遺作となった名著『ザ・コールデスト・ウィンター 朝鮮戦争』上下2冊
(文藝春秋、2009年)の中で、
「彼[ウィロビー]は、中国が鴨緑江沿いに大兵力を集中している
ことも、中国指導部が戦争に参戦するであろうと述べていたことも
知っていた。・・・[中略]・・・彼が自身のエージェントから収集した
あらゆることが、彼ら[人民解放軍]が戦争に参戦する計画を持って
前進していることを示していた」(原書より筆者翻訳)
と述べている。中国の朝鮮戦争介入を示す多くの兆候にもかかわらず、
ウィロビーは、戦争に介入するという中国指導者が発した公的声明が
単なる政治的レトリックにすぎないと評価しており、人民義勇軍の
一部が北朝鮮領内で存在を確認されて以降も、マッカーサー率いる
国連軍が直面している人民義勇軍の実際の兵力をかなり低く見積もっていた。
このウィロビーによる誤った情報分析は、ウィロビーがマッカーサー
のアクセス可能な敵軍に関する情報をほぼ排他的ないしは独占的に
支配していたため、ウィロビーの分析結果とは異なる競合分析が
マッカーサーの11月攻勢計画に否定的な見解を示さないように
することを確実にした。
ウィロビーは、1942年にマッカーサーの情報幕僚となって以来、
日本占領期のGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の
G2部長(情報部長)の時代も含め、太平洋戦争から朝鮮戦争に
至る間、約10年間の長期間にわたりマッカーサーの上級情報幕僚
として彼に仕えてきた。
この経歴からもわかるように、ウィロビーは、朝鮮戦争当時の
米陸軍が提供できる最も経験豊富な情報将校の1人であったことは
間違いない。それにもかかわらず、ウィロビーはなぜ中国指導部の
意図を正確に分析することに失敗したのであろうか。より具体的
には、ウィロビーの受けた教育、彼の個人的な経験および彼の政治的
見解が、1950年11月の時点で中国が朝鮮戦争に介入しないで
あろうという情報評価の誤りにどのような影響を与えたのであろうか?
ウィロビーが受けた教育、戦間期の個人的経験や職務履歴および
第二次世界大戦での経験が、強力で権威主義的な指導者に対する
熱烈な忠誠心、強烈な反共産主義感情、中国の戦争遂行能力に
関する偏見をウィロビーの中に教え込んだ。
ウィロビーの中に潜むこのような諸要素が、情報分析の際に大きな
欠陥となり、マッカーサーの首席情報幕僚としての彼の働きに
大きな影響を与えることとなった。1950年11月に、ウィロビーを
してマッカーサーの最後の攻勢計画を熱心に支持せしめたのは、
彼の中に存在したこのような偏見であった。国連軍の11月攻勢が
人民義勇軍の手によって挫折させられた後でさえ、ウィロビーは
マッカーサーと彼の計画に対し忠誠心を持ち続け、失敗の責任を
トルーマン政権と統合参謀本部にいるとマッカーサーが考えていた
政敵に負わせた。
▼ドイツ出身であることに起因するウィロビーに対する誤解と偏見
 第二次世界大戦勃発以前に陸軍青年将校としてウィロビーが受けた
教育や経験が、彼の性格や職業的エートスを形成した。
チャールズ・アンドリュー・ウィロビーは、ドイツのハイデルベルクで
ドイツ人の父と米国人との母との間に産まれた。初名をアドルフ・
カール・ヴァイデンバッハといい、幼少期をドイツで過ごし、
ハイデルベルク大学卒業後に米国人に帰化した。彼が「小ヒトラー」
と陰で呼ばれていたことからも窺えるように、ウィロビーがドイツ系
米国人であったことが、彼をしてさまざまな偏見、当てこすり、
誤解の被害者とさせた。
このような誤解や偏見の代表例をあげよう。冷戦期の米国の対外政策
形成に関与した有名な外交官ポール・ニッツエは、次のような誤った
回想を残している。
「ウィロビー(Willoughby)は、ヴィッツレーベン(Witzleben)大佐
と名乗っており、自身の名をウィロビーに改名した。ウィロビーは
第一次世界大戦の間、ドイツ側について戦った。」
ニッツエのこの回想は全くの誤りで、ウィロビーはヴィッツレーベン
と名乗った事実もなければ、第一次世界大戦でドイツ軍に所属した
こともない(ウィロビーは第一次世界大戦勃発以前の1910年に
米国陸軍に入隊している)。しかしながら、ニッツエのような知的な
人物さえウィロビーに対しこのような誤った認識を持っていたことは
ウィロビーが米軍内で置かれていた状況を象徴しているといえるで
あろう。
ニッツエはさらに、彼がウィロビーに対しどのような感情を抱いて
いたかについて次のように述べている。
「ウィロビーは典型的なプロシア人であり、ロマンチックな諜報将校
であった。彼は話してみて退屈な人物ではなかった。私と彼との
関係は決して悪いものではなかったが、私は彼の堅実さに関し少しも
信頼したことはなかった。」
ニッツエ以外のウィロビーの知人たちもニッツエの認識を共有して
いた。同僚から「チャールズ卿」として知られていたウィロビーは、
貴族的な流儀で他人を見下しているような印象を周囲に与えていた。
(以下次号)
(長南政義)
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●著者略歴
長南政義(ちょうなん まさよし)
戦史研究家。國學院大學法学研究科博士課程前期(法学修士)及び拓殖大学大学院国際
協力学研究科安全保障学専攻(安全保障学修士)修了。国会図書館調査及び立法考査局
非常勤職員(『新編 靖国神社問題資料集』編纂に関与)、政策研究大学院大学COEオ
ーラルヒストリー・プロジェクト・リサーチ・アシスタントなどを経る。
戦史研究を専門とし、大学院在学中より日本近代史の権威・伊藤隆の研究室で、海軍
中将中沢佑などの史料整理の仕事に従事、伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料
情報辞典』3巻・4巻(吉川弘文館)で大山巌や黒木為もと(木へんに貞)など陸海軍
軍人の項目を多く執筆。また、満洲軍作戦主任参謀を務めた松川敏胤の日誌を発掘し
初めて翻刻した。
主要論文に「史料紹介 陸軍大将松川敏胤の手帳および日誌──日露戦争前夜の参謀
本部と大正期の日本陸軍──」『國學院大學法政論叢』第30輯(2009年)、「陸軍
大将松川敏胤伝 第一部 ──補論 黒溝台会戦と敏胤」『國學院大學法研論叢』第38
号(2011年)などがある。
最新刊 『坂の上の雲5つの疑問』 http://tinyurl.com/7qxof9v
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著者:長南政義
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