特別記事「偕行会」について--ある経理部士官の投稿

2020年4月21日

From:荒木肇
2012年(平成24年)7月18日(水)
□ご挨拶とお礼
 T山様、お忙しい中、いつもご提案、ご教示ありがとうございます。
10式もおっしゃる通り、ほんとうにハイテクというか、進化形というか。
省力化やデータリンク化、その他もろもろ。見たこと知ったこと
すべてはとても書けませんが、秘密の塊です。車内の様子なども
見たい人がいっぱいいるでしょう(主に外国人)。戦車乗員数の問題は、
装填手が要るかどうかですね。陸軍の場合は片手装弾の速さに
関係していると思います。
 徳田先生、とんでもないご迷惑をおかけしたようです(笑)。
樺太戦史の研究家は某大学に勤務されておられます。
珍しいところの研究を続けておられる奇特な方です。
 それにしても、九州地方にお住まいの方、お見舞いを申し上げます。
また、京都でも出水の被害があったとか。これもあらためて
お見舞い申し上げます。
□偕行社について
 陸軍将校の研究親睦団体として1877(明治10)年に発足した
団体です。まさに西南戦争の勃発直前のことでした。
その名の起こりは、支那の古典『詩経・無衣の篇・第3章』にある詩から
とられました。以下、公益社団法人偕行社のパンフレットから多くを
引用させていただきます。
 修我甲兵(よろい、うちもの、うちそろえ)
 興子偕行(二人で行こうぜその時は)
 あに、衣なしといわんや(着る物がないなんて言うものか)
 なんじと裳を同じくし(君とズボンを共用しても)
 王ここに師を興さば(王が軍を発起したなら)
 我が甲兵をととのえて(鎧と兵器を整えて)
 なんじと偕に行かむ(君といっしょに出かけよう)
 偕行社の機関誌、『偕行社記事』にはお世話になりました。
学生時代にたまたま祖父の荷物の中から昭和7(1932)年の
1冊を手にして以来、陸軍の生の姿を見られるものとして収集、
整理をしてきました。
 史料を読むのは、まさに過去の人たちとの対話です。
大正時代の記事を読むと、「本間雅晴陸軍歩兵大尉による『軍隊
スポーツを学校教育に取り入れる方法』などと題した提言がのって
います。のちにフィリッピンで非業の死をとげられた将軍の若い時代の
自主研究の一環でしょう。
 そんな貴重な文化遺産が公益財団法人偕行社に保存されています。
もちろん、防衛大学校図書館、目黒の防衛研究所の書庫などには
かなりの部数が置かれています。そこには、陸軍将校たちの研究あり、
論争あり、列国軍事情報の紹介あり、陸軍の日常生活の一部が赤裸々に
描かれている。これを知らずして、師団数がどうの、戦略がどうのと
いう議論ももちろん大切ですが、私などは大正期、昭和戦前期を
語れないと思っております。
 なお、偕行社は現在、退役幹部自衛官も入会するようになり、
私の知り合いの方々も役員等を務めておられます(もちろん、完全な
ボランティア活動)。そうしたご縁から、私もこのたび、
「賛助会員」として入会を許していただけました。
 私は目黒の防衛研究所に所蔵されている「偕行社記事」を、
ごく一部ですが調べさせていただきました。まさに「時代相」を
見つめるための宝の山です。今回、ちょっとノモンハンから離れて、
特別に一人の経理部士官の投稿をご紹介します。
▼佐伯正一一等主計の投稿
 佐伯一等主計(大尉相当官)は歩兵第四十六聯隊づきの高級主計だった。
ときは1927(昭和2)年のことである。歩46は九州長崎の大村に
駐屯していた。佐伯主計は「経理思想普及の為め、聯隊内に印刷配布した」
ものを偕行社記事に投稿し、雑録に掲載された。隊内配布用といいながら、
将校団内部の回覧用で、たいへん貴重な資料である。
 原文は聯隊経理委員である歩兵大尉との対話体で、
たいへんわかりやすい。原文の雰囲気を損なわないように、
解説もつけてまとめてみたい。
歩兵大尉がいう。「暖房用の石炭は不足がちだが、これは我慢するとして、
兵舎の電灯は何とかして明るくできないものだろうか」
佐伯主計 「なにぶん多くもない消耗品の定額から年間で千二、三百円も
電灯料金を支払っているものだから・・・」
歩兵大尉 「いつか将校集会所の講話で、委任経理の積立金は一本と
なって、かれこれ流用ができるようになったということを聞いたが。
部屋を明るくするのも給養の一環と考えれば、糧食の方からもって
くるとか、被服の予算からするとか聯隊長かぎりの権限ではないか?」
佐伯主計 「それは法規の上からいえば問題はないが、当隊の現況を
理解してもらいたい。今言われた被服というのも、当隊の財産は師団内
歩兵隊中第4位でしかない。各部隊を通じると、第13位になるような
わけで、他を応援するような余力がない。」
●荒木解説 第46歩兵聯隊は久留米に司令部をおく、第12師団の
隷下であり、歩兵第24旅団に属した。師団内の歩兵聯隊はほかに、
小倉歩14、福岡歩24の第12旅団と久留米の歩48聯隊だった。
この4隊の中でもっとも積立金も少なかった。他部隊といえば、
久留米の第1戦車隊、騎兵第12聯隊、野砲兵第24聯隊、
工兵第18大隊、輜重兵第18大隊などである。
 また、第12師団は小倉に野戦重砲兵第2旅団(野重5、同6聯隊)、
下関重砲兵聯隊、佐世保重砲兵大隊、鶏知(けち・対馬)重砲兵大隊、
太刀洗の飛行第4聯隊などを平時には管轄していた。
佐伯主計 「陣営具の方も、定額の大部分は修理に回し、新調という
ことには積立金の利子でやろうというような方針。次に馬匹の定額
だけど、歩兵隊の馬はわずかに30頭くらいだから貧弱な経費だ。
けずっていくらというものではない。糧食費だけれど、まかない料
だけでも年間およそ12万円。これに現品給付の米麦を換算すると、
1年間ではゆうに20万円をこしてしまう。
だから、ここから電灯を明るくする経費を出したら・・・という
きみの意見は一応もっとも。ただし、当地の物価は久留米に比べると、
一般に高い。もっとも久留米は経理部長の指定によって、
まかない料は1日19銭で、当地は19銭4厘となっているが、
営内者は実に不利な状態である。」
●荒木解説 陣営具というのは野戦などで使う天幕(テント)や、
野外炊事器具などである。当時、深刻な大不況の前ではあるが、
歩兵隊のまかない料が年間20万円。ちなみに一般米価は
10キロ当たり3円20銭くらいだった。兵隊は主食定量が
1日6合(900グラム)であり、米7、麦3の割合だった。
現品給付というのは、日曜祭日などに申告すると外出者には相当の
米麦を支給した。また、野外演習などで出動する部隊にも、
未調理の「現品」を支給する規定があった。面白いのはこうした
ことの記録がろくに残らないことだ。兵士が年末年始休暇で帰郷する。
そのときにも現品給付がされる。おそらく地方によっては、
休暇の兵卒が持ちかえった軍隊の銀メシが家族みんなのご馳走に
なったことだろうが誰も記録していない。
歩兵大尉 「君の説明でよく分かった。ぼくらは士官学校で経理に
関してはおおよそを習ったが、そのころは無味乾燥なもので
居眠り半分に聞いていた。今では頭の中に経理ということはあまり
残っていない。」
●荒木解説 これは歩兵大尉の皮肉だろう。経理学校出身の経理官
からすれば、兵科将校たちの経理観念のなさは困っていたはずだ。
しかも、聯隊の経理は、この佐伯主計のような高級主計と中少尉級
の経理官、わずかな本部付きの経理准士官や下士が実務者として
加わり、聯隊付き中佐(戦時の特設聯隊長要員)をはじめとする
兵科将校たちが委員として運営していた。専門家尊重の陸軍であるから
経理官は大切にされた。その意見も尊重されてはいたが、
以下は経理官の日頃の鬱懐がよくわかる文章である。
佐伯主計 「委任経理とは、きまった金額や分量・・・米麦の
ように・・・を隊長にわたして、その使い道についてはその隊長に
お任せするといったやり方だ。あまったカネ、さまざまな廃品、
空き箱、缶詰殻、残飯等を払い下げたときには、その代金を積立金
として隊に保管して、自由につかう。これは『聯隊長の請負給養制』
といっても大きな間違いにはならない。」
▼被服についての話
歩兵大尉 「昔の人の話によると、昔は兵が満期除隊するにあたって
軍服をひとそろい支給されたというが、また祝祭日の加給品はたいし
たもので、各兵は折り詰めをさげて下宿などに持っていって酒の肴に
していたなどという。これから見ると、昔はよほどゆとりのある経理
だったのじゃないか?」
佐伯主計 「まったくだ。解説しよう。昔の六鎮台時代は世の中の
物価も安かったし、経費もいまみたいに切りつめたものじゃなかった。
その後、軍備拡張時代になって経費節減がいわれるようになり、
明治28・9年くらいから前後数回にわたって定額の節約がおこな
われた。その例でいえば、昔の主食定量6合は軍隊に対しては米だけを
交付した。その結果、あまった米麦の差額は委任経理にくりこまれた。
だから、祝祭日の加給品が今よりもっと派手だっただろう。
また、昔、軍靴は1組6カ月の給与期限だったのが、6ヶ月半になり、
7か月になり、現在では7ヶ月半となった。1ヶ月半の節約になった。
これを1人あたり、1年間の金額に換算してみると、2円15銭4厘
だけ節約したことになる。聯隊の総人員を約1500名とすれば、
聯隊1年間で3231円になる。これを帝国陸軍の兵員をおおよそ
20万人とみると、一カ年で節約できる金額は43万円あまりになる。
この額はほとんど、歩兵1個聯隊の年間総経費と変わらない。」
●荒木解説 日清戦争の以前は主食の6合はすべて米で支給された
らしい。しかし、営内者はそのうち3割が麦だから、およそ1.8合は
麦になる。安い麦を購入して、白米を売る。その差額が自由に使えた
ということになる。日清戦争はこの時点で、およそ30年余り前。
「古い人」といってもまだ50代だろう。そんなお年寄りが語る
昔の「兵隊ぐらし」はけっこう豪華な話になったに違いない。
 
 この後、軍隊経理や内務経理についての佐伯主計による啓蒙がつづく。
▼糧食についての話
佐伯主計 「(表の形にして掲載してある)左の表は本年入隊兵の、
入隊前の常食についての調査である。長崎市では70.2%が米、
米麦混食が24.6%、米麦甘藷が1.7%、麦が3.5%。
米食の低い所では、東彼杵(ひがしそのぎ)郡の12.5%、
壱岐の16.7%。全体の調査では、米が30.5%、
米麦が33.4%、米麦甘藷が11.0%、麦食が16.4%となっている。
 主食は現品交付だが、まかない料は1日1名19銭4厘。
これで肉、野菜、調味品、温浴に対する燃料代や調理手、機関手の
給料も払わなければならない。節約は重要であり、たとえば1厘では
たくあん漬け6匁(約22.5グラム)を買うことができる。
現在、帝国陸軍衙の炊事場を総計すると、約300か所。1日3回の
炊事だと900回、これを1年で見積もると32万8500回になる。
そこでどこか1か所の炊事場が洗米、あるいは配米のため流失させる
米を1合とすると、一年間で328石5斗の損失になり、
それは平時の歩兵聯隊に対する40日分の糧米になる。
●荒木解説 この年、内閣府で初めての全国家計調査があった。
1世帯の平均月収は130円95銭。支出は食費が30%だから、
およそ40円とみていいだろう。1家族が3世代で平均8人くらい
だから、1人あたり5円。兵卒が19銭4厘だからざっと5円80銭
あまりか。すると、佐伯主計がいう『国民生活で中等程度』という
言い方が合っている。また、帝国大卒サラリーマンの新卒平均年収が
1500円だった。月収100円が中流の証しだったというから、
陸軍士官では大尉にならないと「中流」にはなれなかったわけだ。
なお、ついでに男性のスーツは100円前後。将校服もなんだかんだで
100円くらい。位階勲等にふさわしい姿をするのが当然の社会とは
いえ、家計はたいへんなことが分かる。
▼被服、皮革について
佐伯主計 「軍用被服のうち羅紗(絨)でつくられているものは軍帽、
軍衣袴、外套、雨覆、巻脚絆が主となっている。この質はたいへん高い。
地方向きにはふつう再生毛(古い毛織物を解いた繊維)もいれるが、
軍用絨にはそういったものはない。この原料がほとんど外国に頼って
いる状態で、有事を考えるとおそろしい。
 皮革の状態も同じ。ふつう牛一頭からとれる軍靴は、
編上靴(へんじょうか)で5組、長靴(ちょうか)で3組でしかない。
牛の生産状況は、内地、台湾、朝鮮を合わせて、およそ300万頭
ぐらいである。うち、朝鮮牛は背嚢に利用し、幼牛や乳牛などの軍用に
できない牛もいる。軍靴に使える牛はわずかに120万頭あまりである。
これでは、有事に100万の軍を動かしたら、わずか2年あまりの
需要を満たすしかない。
 軍衣袴(ぐんいこ・上着とズボン)や軍靴を暖炉や火鉢などで
こがしているのを時々見ることがある。あれはもってのほかである。
営内靴(えいないか・古い軍靴の上部をはぎ取って、かかと付の
上履きにしたもの)のかかとを踏み曲げて履いている者もいる。
これを見ても矯正してやらない幹部は『未だ實學の蘊蓄不十分』。
靴下などもまだ使える物が廃品、あるいはゴミ捨て場に落ちている。
古靴下の返納数の統計は、大正13年度は14,896足、
同14年度は12,154足で、2742足が節用された。
●荒木解説 佐伯主計の指摘はなおつづく
 野外演習の休息などでも、腰を下ろす場所に気をつけさせるがいい。
雨天の外出先で、雨の中、フード(頭巾)もかけずに軍帽を濡らし、
雨水を垂れながら散歩する兵卒がいる。『上官の監視外に於ける
各兵己の官物尊重心の反映であって・・・』とたいへん細かい
指導事項にあふれている。時は不景気、陸軍への風当たりは冷たく
なる一方だった。陸軍は在営を歩兵科などでは1年6カ月にする
などのさまざまな手を打った。
 いかがだろうか。戦闘記がお好きな方にとっては、退屈なつまら
ない話かも知れません。あるいは、軍事とは戦略論や、戦術論が
ほんとうだと思っている方々にとっては、価値などない話題かも・・・と
思います。
 次回はまたノモンハン、その前夜の時代にもどります。
(以下次号)
(荒木肇)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
☆今回のマガジンの評価をお願いします
◆とても面白かった
┗ http://clickenquete.com/a/a.php?M0001396Q0036194A15f6e
◆面白かった
┗ http://clickenquete.com/a/a.php?M0001396Q0036194A20fc6
◆どちらかといえばつまらなかった
┗ http://clickenquete.com/a/a.php?M0001396Q0036194A38d70
◆つまらなかった
┗ http://clickenquete.com/a/a.php?M0001396Q0036194A46980
○結果を見る
┗ http://clickenquete.com/a/r.php?Q0036194Ceb9b
○コメントボード
┗ http://clickenquete.com/a/cb.php?Q0036194P00Cc18b
締切:2012年07月22日18時00分
協力:クリックアンケート http://clickenquete.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【前回のアンケート結果】
とても面白かった (27票) 77%
面白かった (5票) 14%
どちらかといえばつまらなかった (1票) 3%
つまらなかった (2票) 6%
● 著者略歴
荒木肇(あらき・はじめ)
1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、
情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研
究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務め
ながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受け
る。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。
◆主な著書
「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイ
ド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供にも嫌わ
れる先生」「東日本大震災と自衛隊」
(いずれも並木書房 http://www.namiki-shobo.co.jp/ )
「日本人はどのようにして軍隊をつくったのか」
(出窓社 http://www.demadosha.co.jp/
———————————————————————–
■兵頭二十八さんの問題意識
<わが国の軍事図書情報の総合環境を、すこしでも改善するために、
広く皆様のお知恵をあつめたいものと念じております。>
(兵頭二十八さん)
⇒アイデアありますか?
———————————————————————–
■必読メルマガ紹介
———————————————————————–
荒木肇さんのメルマガです。http://www.melma.com/backnumber_174026/
———————————————————————–
北野幸伯さんのメルマガです。http://www.mag2.com/m/0000012950.html
———————————————————————–
斎藤吉久さんのメルマガです。http://www.melma.com/backnumber_170937/
———————————————————————–
OJINさんのメルマガです。http://www.mag2.com/m/0000074019.html
———————————————————————–
————————-
***いかがでしたか?***
気に入っていただけましたか?無料再配信で知識をシェアしましょう!
購読者の皆様、発行者・編集者・ブロガー・ウェブマスターの方々へ:
本メルマガ内の記事の再配信は無償です。ただし、記事やブログ投稿は、
変更加工せずそのままお使いください。また、コンテンツ使用にあたっては、
出所明記とオリジナル記事へのリンクが義務付けられます。
この情報は、おきらく軍事研究会が発行するメールマガジン「軍事情報」が
提供しました。
お問い合わせと無料購読のご登録は、下記のURLにお願いします。
http://okigunnji.com/index2.html
————————-
***その他お知らせ***
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個人情報を伏せたうえで、
メルマガ誌上及びメールマガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂くことがございます。
あらかじめご了承ください。
記事の著作権は荒木肇に、記事以外のすべての著作権はメールマガ
ジン「軍事情報」発行人に帰属します。
最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝しています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、心から感謝しています。
————————-
発行:おきらく軍事研究会(代表・エンリケ航海王子)
著者:荒木肇
http://okigunnji.com/
okirakumagmag@gmail.com