予備自衛官の招集
即応予備自衛官シンボルマーク即自採用企業への雇用給付金制度
「即応予備自衛官」(以後は即自と略します)を採用している企業には、一人当たり年間52万円の補助制度があります。
理由はつぎのとおりです。予備自衛官が有事の後方の警備や後方支援等の業務に従事することを前提としていることに対し、即自は常備自衛官と同等の任務を行うことを前提としています。そのため、年間の訓練日数も年間30日必要とされています。
企業側にとっては、年間の1/12も社員が不在になる状態になります。そのような平時における職場不在間の業務ローテーションの変更、代替者の確保、顧客への影響という企業の負担に対して報い、即自が安んじて訓練招集に出頭できるようにという趣旨で設けられているのが雇用企業給付金です。「有事の際に迷惑がかかるから」という理由ではありません。
招集前の調整
即自を招集する際に発せられる命令は、個人に対して為されるもので、強制力を伴う以上、尊厳性が必要(発令しても守られなければ、誰も応じるものがいなくなる。)です。実行可能性を担保する上でも、招集に応じられるか否かを事前確認する調整は不可欠です。
ですからこの調整は、「発令前の調整」という位置付けで考えるべきものです。その時点で招集に応じられない場合は、招集命令拒否でなく、個々人に対する命令そのものが発令されていないという話になります。
統率の基盤
「統率」は、指揮官の意思に強制的に従わせる「指揮」、隊員の士気を高めて能力を最高度に発揮するように感化させる「統御」、人・物・金の資源を効率的に運用する「管理」の3つから成ると自衛隊では幹部自衛官に対して教えています。
木に例えると、「指揮」が幹とすると、「統御」や「管理」は、それを支える根っこ。これらがしっかりしているからこそ、幹に栄養が行き渡り、枝に立派な花が咲くのです。
招集される(即応)予備自衛官を含め、隊員一人一人の身(心)上を親身になって掌握し、任務遂行と個人の幸福をどう調和させるか、その葛藤が初級指揮官の悩みであり、隊員にもそれは通じます。
これが統御であり、史記の中に「士は己を知る者のために死す」という言葉があるとおり、統御があるからこそ、死地にも身を投じ、人の何倍もの働きをし、命令が実のあるものになると考えます。招集命令前の調整も、統御に資するという視点から考えると、軽く片付けてよいものではないと思います。
ボランティアと予備自は違う
ボランティアは、個人の意思で参加、撤収、活動場所の選択が可能です。しかし、予備自が招集された場合、自衛官として国家意思を執行する立場になります。
命令と服従という中で、自分の意思に反して、死地に赴くこともあり、撤収も個人の自由意思ではできません。また、1人の自衛官の行為も、その結果責任は国が負うことになるのです。
予備自衛官とボランティアを同じレベルで、感情論的に論じるべきではないと考えます。
予備自衛官制度を維持するには
わが国が徴兵制を採用していない以上、赤紙一枚で招集できる時代ではないことも考慮すべきでしょう。
雇用企業の協力なしに、予備自制度は成立しません。長期戦になることを考えると、今すぐには招集に応じられなくても、雇用企業が代替者の調整が付くようになった状況での派遣も可能と思います。
現段階で直ちに応じられない(即応)予備自を交代要員として確保し、いつならば派遣が可能になるかという調整を雇用企業と行うことが現状でできる最大の努力ではないでしょうか。
「即応予備自衛官」(以後は即自と略します)を採用している企業には、一人当たり年間52万円の補助制度があります。
理由はつぎのとおりです。予備自衛官が有事の後方の警備や後方支援等の業務に従事することを前提としていることに対し、即自は常備自衛官と同等の任務を行うことを前提としています。そのため、年間の訓練日数も年間30日必要とされています。
企業側にとっては、年間の1/12も社員が不在になる状態になります。そのような平時における職場不在間の業務ローテーションの変更、代替者の確保、顧客への影響という企業の負担に対して報い、即自が安んじて訓練招集に出頭できるようにという趣旨で設けられているのが雇用企業給付金です。「有事の際に迷惑がかかるから」という理由ではありません。
招集前の調整
即自を招集する際に発せられる命令は、個人に対して為されるもので、強制力を伴う以上、尊厳性が必要(発令しても守られなければ、誰も応じるものがいなくなる。)です。実行可能性を担保する上でも、招集に応じられるか否かを事前確認する調整は不可欠です。
ですからこの調整は、「発令前の調整」という位置付けで考えるべきものです。その時点で招集に応じられない場合は、招集命令拒否でなく、個々人に対する命令そのものが発令されていないという話になります。
統率の基盤
「統率」は、指揮官の意思に強制的に従わせる「指揮」、隊員の士気を高めて能力を最高度に発揮するように感化させる「統御」、人・物・金の資源を効率的に運用する「管理」の3つから成ると自衛隊では幹部自衛官に対して教えています。
木に例えると、「指揮」が幹とすると、「統御」や「管理」は、それを支える根っこ。これらがしっかりしているからこそ、幹に栄養が行き渡り、枝に立派な花が咲くのです。
招集される(即応)予備自衛官を含め、隊員一人一人の身(心)上を親身になって掌握し、任務遂行と個人の幸福をどう調和させるか、その葛藤が初級指揮官の悩みであり、隊員にもそれは通じます。
これが統御であり、史記の中に「士は己を知る者のために死す」という言葉があるとおり、統御があるからこそ、死地にも身を投じ、人の何倍もの働きをし、命令が実のあるものになると考えます。招集命令前の調整も、統御に資するという視点から考えると、軽く片付けてよいものではないと思います。
ボランティアと予備自は違う
ボランティアは、個人の意思で参加、撤収、活動場所の選択が可能です。しかし、予備自が招集された場合、自衛官として国家意思を執行する立場になります。
命令と服従という中で、自分の意思に反して、死地に赴くこともあり、撤収も個人の自由意思ではできません。また、1人の自衛官の行為も、その結果責任は国が負うことになるのです。
予備自衛官とボランティアを同じレベルで、感情論的に論じるべきではないと考えます。
予備自衛官制度を維持するには
わが国が徴兵制を採用していない以上、赤紙一枚で招集できる時代ではないことも考慮すべきでしょう。
雇用企業の協力なしに、予備自制度は成立しません。長期戦になることを考えると、今すぐには招集に応じられなくても、雇用企業が代替者の調整が付くようになった状況での派遣も可能と思います。
現段階で直ちに応じられない(即応)予備自を交代要員として確保し、いつならば派遣が可能になるかという調整を雇用企業と行うことが現状でできる最大の努力ではないでしょうか。