支那による南沙諸島侵略の証拠



1951年、サンフランシスコ講和条約により南沙、西沙諸島の領有権を日本が放棄すると中国は領有権の正当性を主張し始め、南ベトナムとの領有をめぐり対立するようになる。
1973年、ベトナム政府が南沙・西沙諸島のフォクト州への編入を宣言すると中国は抗議声明を出し、領有権を声高に主張し始める。その年は、ベトナム戦争が終結し米軍が撤退した年でもあり、力の空白に乗じ主権の拡大を企図している。ベトナムは1970年代後半、膨大なバホー海底油田を発見すると南沙・西沙諸島周辺海域に多くの漁船や調査船を出し、領有化を進めていく。しかし、1982年に国連海洋法条約が制定され、沿岸国に大幅な海洋資源の権利が明記されると中国は海軍艦艇を派遣し、常続的な展開により、実効支配のテンポを早める。
そして、1988年、中国海軍は赤爪礁海戦により、南沙諸島を占領し軍事施設を構築、実効支配を確実なものにする。中国側から見れば、赤爪礁の海戦としているが、最近の「Spratlyへの侵入」という映像から見れば、浅瀬に旗を立てているベトナム兵に対し無警告に37㍉砲により67人の兵を虐殺し、その後ベトナム海軍の揚陸艦を砲撃し撃沈している状況が映し出されており、海戦とはほど遠い。
領海に侵入したからと言って、警告射撃も威嚇射撃もなく、突然、砲撃により虐殺あるいは撃沈する事は国際法にも慣習国際法にも著しく逸脱しており、許されるものではない。
中国は1992年、米軍がフィリピンのスービック海軍基地及びクラーク空軍基地から撤退すると南沙・西沙諸島及び尖閣諸島を含む領海法を制定している。以後、南シナ海の6箇所の環礁を占拠し建造物を構築し、遂に、2007年には西沙・南沙・中沙諸島までを行政区「三沙市」に指定し海南省に編入している。現在、それら環礁には、対空砲、対艦砲及びヘリポートを建設すると共に、中には、2,600㍍の滑走路や衛星通信ステーションまで建設し実効支配はもとより、その付近の海洋の制海権にもにらみを利かしている。言うまでもなく、この地域には、我が国のみならず各国の重要なシーレーンが存在している。
「領海等警備に関する立法の方向」泉徹(水交会研究委員)より抜粋
http://suikoukai-jp.com/other/kaiyouanpo/620izumi.pdf
泉さんは、元海将元自衛艦隊司令官。