明野駐屯地航空学校(8)

明野の航空学校の話が思っていたより長くなりますが、私も楽しく連載させていただいています。
明野駐屯地の所在する三重県伊勢市に隣接する松阪市は、世界に誇る黒毛和種ブランド松阪牛で知られていますが、私にとっては今も昔も「松阪高校」が真っ先に思い浮かびます。
というのも、高校時代に部活動でグライダーを操縦していた頃、全国の数少ない航空部が集まって開催される全国滑空選手権に、松阪高校も出場していたのです。実は松阪工業高校か松阪商業高校も出場していたのですが、どちらなのか記憶が曖昧です。しかも母校と松阪の3校を検索したところ、すでにどの高校にも航空部は存在していませんでした!
戦前、戦中は動力付きの固定翼を操縦する前にグライダーで訓練したという歴史に加え、あいさつはすべて敬礼、選手権の後部座席に乗ってジャッジする教官は陸軍航空隊出身というミリタリー色の強い航空部という存在は、日本航空学園(山梨)以外の高校の部活としては異色だったかもしれません。当時はまったく意識していませんでしたが……
そんな過去もあって、敬礼にはちょっとうるさい人間になってしまいました(笑)。いきなり余談で失礼いたしました。
さて、先週は幹部航空操縦課程に入校中の学生たちを指導する教官をご紹介しました。
本日は図上演習最終日の様子をご紹介します。
図上演習とは図上演習とは実働を伴わない演習で、古くは「兵棋演習」、欧米では「WAR GAME」と呼ばれているものです。
第1教育部では、FOC(幹部特修課程)とAOC(幹部上級課程)に入校中の学生が1週間に及ぶMM(図上演習)の最終日を迎えていました。
MMは戦術能力の向上を目指し、将棋の駒を動かすようにさまざまな状況を地図の上で表示する演習で、今回は師団クラスの戦闘を想定、師団長役のみ教官とし、残りは学生によって2個師団を構成しました。
普通科や機甲科といった職種、多彩な部隊からなる師団の中で、「航空科をいかにアピールし戦況が有利になる使い方をしてもらい作戦を進めるか」というのが今回の主旨です。言葉に語弊があるかもしれませんが、おもしろいですね。そう聞いただけでわくわくします。「うちをうまく使ってくれ! そうれば優勢になる!」という主張を通すための根拠を示す必要があるわけです。
MMは富士学校などでも行なわれますが、航空科に特化したMMはここ明野の航空学校でのみ行なわれています。
1師団、2師団とも室内はG1~4に区分されており、学生たちは自分が割り当てられた任務に応じた場所にいます。
G1は人事や部外教育、民生を担当するほか士気高揚を図るため新聞を発行するなどの任務を担当。
G2は情報、G3はG2の情報をもとに実際に部隊を動かす要、G4は兵站となっています。
ちなみに師団が使っている教場の壁には、MMの期間中、こまめに発行されていた新聞が貼られていました。こういう何気ないことが、士気の高揚につながるのです。
すべての流れをコントロールし、対抗部隊役も担っているのが統裁部です。
ここには師団が立案した作戦計画が随時提出されるので、それに応じて状況を付与していきます。つまり学生達の手の内を知った状態で、彼らがより追い詰められるような課題を与えるわけです。
師団が偵察機を出しその方向が的確だった場合、対抗部隊を見つける、あるいは撃墜されるかといった判断は、審判室でサイコロが振られて決まります。本当にサイコロを振るんですよ。
審判室には演習の支援を行なう教官がいて、操縦士役の学生が自身の行動を逐次報告に来ます。教官はここでの判定を統裁部にフィードバックすることで、また新たな状況が付与されるのです。
教官のひとりが、学生たちはほとんど寝ていないで状況にかかりきりだと教えてくれました。
図上とはいえ状況が錯綜し現場が入り乱れることも多く、情報を整理することも難しいそうです。
参加しているAOCとFOCの学生はすべて航空科で、なんらかの特技をすでに所有していますが、MMではその特技をあえて考慮しません。そのため操縦士役が本来の特技は通信だったりしますが、それが航空科全体を見据えた運用という観点からは大事なことなのでしょう。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和元年(西暦2019年)12月12日配信)