彼を知り、己を知る
己を知ったら、彼のことを同時に知らねばなりません。
本講座が、スペインやラテンアメリカに関する知識から、読者の皆さん個人、
個人における知恵が導き出せるように意図され設定されているものである以上、
先ずは、より深くスペインのことを知るために、戦略(ストラテジー)的、情
報(インテリジェンス)的、そして、両者を統括している”兵法的な思考法
(脳の実践活用の方法論)”から述べ、読み取る力を増幅させて行きたいと思
います。
読者のあなたは、この講座で述べられている「戦う思考法」を己の”血”と
“肉”と”骨”と”命”と”魂”に染み込ませて行き、他人のものではない自
分自身のものにして行っていただくことを念じております。本当は、読者の皆
さんには、顔つき目つき雰囲気が今の自分とは違って来るようになっていただ
きたいと思っているのです。これぞ”財産”というものです。
そもそも、身の上に将に来らんとする問題を解決しようとすること、
即ち、”戦い”を踏まえて「知る」ということは、自分単体だけで終わる行為では
なく、自分を囲む環境、敵そのもの、敵を囲む環境、敵の”敵”になる人・原因や
その活用条件の存在、利害関係の無い第三者と第三者を囲む環境、それに問題の
進展によっては、漁夫の利を手中にすることが可能な者の所在(有ることを前提
として言う言葉が所在です)、あるいは、とんだとぱっちりを浴びる可能性のあ
る者の有無(確立二分の一の話しになります)、そして、己と彼との行為から
出てくる様々なリアクションの数々...即ち、凡そ、問題の処理に関わる
「コンテクスト(前後関係の考慮、文脈の認識のこと)」というものは、
総合的に当事者自身において意識されなければならないのです。
よって、このようなところから、現在、スペインに関する事柄から開始されて
いますが、読者のあなたは、本当は、日本のことも、スペイン以外の国々のこ
とも、同時進行で観察して行かねばならないということなのです。
あなたは、様々な事象から正しく、その”行間”を読み取ることが求められている
のです。そして、実践の段階では、”点”や”線”や”面”に固執しないで、
「システム」で対処すること...即ち、”立体”で対処することが求められる
ものであります。また、自分自身に存在する”我(エゴ)”からも、あれこれ感情
を刺激して自らの心を波立たせて止まない”敵”からも、さらに取り巻く環境から
も、もっと自由な思考で刻一刻を対抗して行くことが必要となるものです。
一つの問題に対処して、恐怖と不安を感じるのも心の自由ならば、勇気と悦楽
を感じるのも心の自由です。心は、そのどちらにでも従うものです。
この恐怖と勇気、苦痛と快楽を真ん中で統括している存在、それが仏教的に
表現するのならば”空”と言えるものです。
完全無色透明で二つの相矛盾する事柄の真ん中にあって何色にでもなる、有る
けど無い、無いけど有る...ここから、数字で言うと”2(恐怖/勇気、苦
痛/快楽、己/彼、味方/敵)”の平面ではなくて “3(所謂、弁証法的立
場、漢文で習った「中庸」の発想)”の立体になっているところを感じ取って
ください。
あなたは、今一度、上述のような言葉を噛みしめて、納得し覚悟をしていただ
きたいと思います。人とは、心から納得し、覚悟が決まって勇んでくれば、
たとえ火の中、水の中、どのような逆境でも、かつての神風特別攻撃隊や
硫黄島での激戦を戦った将兵(その人員構成、および、どのような方々が前線
にいたのかを一度調べてみるとよく分かります)のように生きることも死ぬこ
とも超越し、後世に残る”功(いさおし)”を成すものなのです。
この戦いを前提とした視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などのセンスが冴えてい
ない者、これが”素人”でもある訳ですが、読者のあなたは、段階を重ねて注
意することで、段々と”玄人”になって来るのです。今日は、無理でも、畳の
目程のたゆまぬ努力が必要です。
以上のような兵法的思考を踏まえて、ここでは、日本とスペインとが出会った
16世紀という時代の中で、先ず、スペインはどのような立場と条件を有して
いた国であり、それから日本がどのような立場と条件を有していた国であった
のか、そして、そこから何が言えるのか...ということについてお話しして
行きたいと思います。