斎藤吉久 『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか –宮中祭祀の危機–』
昨日 天皇陛下のご負担軽減のためと称し、宮中祭祀の一部を東宮殿下と役人に代替させる方針が発表されました。二月からスタートするそうです。
報道ではそれが新嘗祭なのかどうかはわかりませんでしたが、東宮殿下が何を代替されるのか。詳しいところを知りたいものです。
新嘗祭は、最も重要な宮中祭祀のひとつです。
天皇陛下の祭祀に対し奉り、皇室の歴史や神道に無知な役人が手をつっこむ風潮が定着することは、わが国の根幹を揺るがせる事態につながる、との警笛を昨年来打ちつづけられている方がいます。
■天皇・皇室のなんたるか
私はつねづね、「一番大切なものは目に見えず・耳にも聞こえない」といいつづけています。
そういえば、ある人に
「『星の王子様』を書いたサン・テグジュペリも同じことを言ってました」と教えていただきました。知りませんでしたが、テグジュペリという人は立派な人ですね。
わが国でもっとも大切なものは皇室のご存在、 天皇陛下のご存在そのもののなかにすべて含まれていると私は考えています。
そして国益とは、大御心を安んじ奉ること、にあると思っています。
それは目に見えません。耳にも聞こえません。
皇室の伝統、 天皇陛下のおことばを少しでも知っている方なら、私が言っていることはストンと腑に落ちると思います。
■皇室・天皇を知るよすがのない今
お茶の間に伝わってくるわが皇室情報は、
皇后陛下のファッションがどうたらこうたら、東宮妃殿下が云々、東宮殿下が云々・・・といったゴシップが主で、皇室と国家国体の関係に着目したものは一部を除き皆無です。
東宮殿下、東宮妃殿下を叩くことがあたかも正義(この言葉も大嫌いです)であるかのように錯覚させる風潮を作り出したゴシップメディアが、皇室ジャーナリズムと名乗る・・・
くだらなすぎます。
国民がこんな衆愚操作にいつまでも甘んじていると思ったら大間違いです。
なめんなよといいたいです。
天皇陛下や皇室に対し奉り敬意を持てなくなった風潮にある今のわが国に求められているのは、誠実な姿勢で皇室・神道の歴史・伝統を解釈・解説し、皇室の何たるか、 天皇陛下のなされていることの本質とはなにか、についてわかりやすく、真正面からお茶の間に伝える、真の意味での「皇室ジャーナリスト」「皇室ジャーナリズム」と思います。
私が思いますに、戦後その資格を持っていたのは、葦津珍彦先生のみであったように思います。
しかし、平成の御代になり、葦津先生の後継者足りうる方が出てきた感を、いま持っています。
■言葉を失いました
今回ご紹介する本の著者は、弊マガジンで毎号紹介している、
メールマガジン『誤解だらけの天皇・皇室』の斎藤吉久さんです。
献本いただいた本に挟まれていた斎藤さんからのお手紙を見たわたしは、思わず「えっ?」と言葉を失いました。
<私の初めての著書であるこの本も・・・・>
まさかと思いました。
説得力があって、前提知識がなくてもわかりやすく読みやすい、それでいて中身のある文章をメルマガで拝読しつづけていたためか、斎藤さんがこれまで本を出されていなかったとは思いもよらないことでした。
■わが自衛隊への処遇との共通項
一度読み終えて、また読み終えて、そしてまた読み終えて・・・・
最初は怒りに頭が熱くなりましたが、次第に熱さは下に降りてゆき、何度か読んでいく中で、何かが腹にストンと落ちました。
結局、戦後日本における皇室・ 天皇陛下への処遇は、わが自衛隊に対するそれとそっくりなんですね。
背景も事情も歴史も何も分からず、無機質な法律で頭がコチコチになってしまった人々が、有機的かつ柔軟性に富む形で継続を保ってきたわが国の最も重要な機能を、自分達でも理解・操作できるよう、無理やり法律の鋳型に押し込めようとしているわけです。
法律でできることなんて、人間社会全体の1割にも満たないというのに、わが国にとって最も大切な部分でさえ、それに気づくことなく10羽1からげに等しい扱いで処理しようとする人たち。
そしてそれを黙認する人たちが存在する。
天皇陛下と後世に生きるわが後輩たちに申し訳ない限りですね。
■すべては米のせい??
「すべては占領米軍が発した「神道指令」によるものだ」ということが、事実を無視した欺瞞であることも紹介されています。
米は占領後期になって、自分達の「トンチンカンさ」に気付き、解釈変更を実施。
その後独立してからこの神道指令は失効していたんです。
しかるに
<「宮中祭祀は皇室の私事」という解釈の見直しはなされませんでした。
「週刊文春」が指摘するように、行政の怠慢以外の何ものでもありません。>
ということです。
その後、宮内官僚は 天皇陛下から祭祀を奪うことが生きがいのようになってゆきます。
詳しい経緯は本を読んでいただきたいのですが、今もその系譜は脈々と受け継がれているようです。
■本の内容
あまり詳細を記すことはしません。
ひとつだけ申し上げたいのは、
天皇は天下万民のために祈る存在であるということです。
しかし、
数千年にわたり連綿と受け継がれてきたこの神聖な伝統を、つまらぬイデオロギーに基き、土足で踏みにじってテンとして恥じない輩がいる。それもわが同胞のなかに。
そしてそれを得意がる 天皇陛下の側近がいた事実。
私はこの事実に怒りを禁じ得ません。
もっと言えば、わが皇室・わが自衛隊に対する、こういう人に代表される戦後日本の姿勢こそが、今巷でワイワイ言われている世相の悪化、治安の悪化に直結しているように感じられてなりません。
ここを変えない限り、今後も何も変わらないでしょう。
国家にとり最も大切で神聖な部分を面白半分に踏みにじっている大人が、いくらえらそうなことを子供に言っても、純粋な魂を持つ子供はその欺まんを見抜いているんですよね。
話がそれました。
斎藤さんは昨年来、宮中祭祀を 天皇陛下から奪う動きに対し重大な懸念を示しておられます。私も啓発され、意を同じゅうしています。
それはなぜなのか?
これまでどういう経緯があったのか?
なぜ懸念を持つのか?
すべてこの本の中で説明されています。
■読み手としてはうれしい限りですね
この本には、くどいと思われるほどの説明があちこちで見受けられます。
その理由は、
・ 天皇・皇室に対する常識・情報・知識が国民の中であまりに不足している
・ゴシップジャーナリズムによる信じられないほどの曲解・誤解が社会に蔓延している
という認識を、著者の斎藤さんと編集者が共有しており、大切な部分はよほど強調しないと、正確な理解を期しがたい、との思いがあったのだろうと推察します。
私自身、このおかげで「宮中祭祀」への理解が飛躍的に高まりました。
また、特徴としてもう一つ挙げられるのが、前の章のまとめが、次の章の冒頭でかかれていることです。
これは読み手としてはうれしい限りですね。
通勤電車の中で毎日一章だけ読みつづけても、忘れてしまうという不安が残らない。忙しい方にとってこれは想像以上に大きなメリットです。
入門書としてお勧めできる所以です。
■本著の制作について
目に見えない耳にも聞こえない大切なことを言葉で表現するには、きわめて大きな困難を伴います。
斎藤さんは、まずメルマガでその難しい課題に挑戦し、見事に読者の期待に応えました。
その果実として本著が刊行されたことは、メルマガを手にとらない書籍マーケットのユーザーに斎藤さんの言葉が伝わることを意味し、実に意義のあることといえます。
あわせてお伝えしたいのは、斎藤さんと共に本を作った編集者の存在です。
以前、アリーマさんの翻訳ばなしをお伝えしたことがあります。
そのとき「本作りとは一つの事業を起こすようなもの」と書いた記憶があります。
特に、皇室・ 天皇といういってみれば微妙な話を本として出すことには、様々な外部的・心理的障害があったことと推察します。
そんななか、かくも素晴らしい内容の本を出す決心した出版社に、御礼を言いたいです。
あとがきでも詳細に述べられていますとおり、本著の内容は、斎藤さんが出しておられるメルマガが母体となっています。一メルマガ人として、このこともほんとにうれしいです。
硬派の分野でメルマガから本の制作という流れを作った出版社社長さんの慧眼と実践力と勇気に、心からの敬意を表します。
メルマガ⇒本ということで、通常の本作りとは違って長期戦になったそうです。
でも、労力に見合う素晴らしい作品に仕上がっていると感じます。
いや、出版と同時に、古典に入ったといってもよい素晴らしい内容です。
私は個人的に、皇室・神道について書かれた本を読んだのは、下の3つしかありません。
葦津珍彦選集、熊沢蕃山全集、『知っておきたい靖國問題』青林堂
神道系の方が書いたのはあまりに難解であり、一般向けにかかれたものはあまりに柔和すぎたり主張がどぎつ過ぎて引いてしまう・・・というところがありました。
エンリケ文庫の皇室・神道ギャラリーに、ずいぶん久しぶりに本が追加されたことをうれしく思っています。
■秀逸な「あとがきに代えて」
最後の章は圧巻です。
あとがきに代えて、と題された章には、もしかしたら、あなたがいまお知りになりたいこと全てが記されているかもしれません。
・宮内庁長官の発言に対する六つの指摘
・日本文明と皇室
・官僚による祭祀破壊
・三人との出会いへの感謝
なかでも最後の「三人との出会いへの感謝」はまず最初に読んでいただきたいところです。
英書ではよく「妻に捧ぐ」という文章が見られます。
わが国でも、奥さんに著者が感謝を伝えるあとがきが最近増えてますが、それでもまだ少数ですね。
しかし斎藤さんは違います。
これまで多数の硬派の本を見てきましたが、この本ほど、奥さんへの感謝の念を長く記したあとがきを私は見たことがありません。
<(前略)妻の存在なくしてこの本は考えられません。面と向かっては照れ臭くてなかなかいえない感謝の気持ちを込めて、この本を妻に捧げたいと思います。>
この文章を見たある女性は「なんだか私もうれしくなって涙が出ちゃった。斎藤さんの奥さん、幸せね」と言ってました。
■最後に
わが自衛隊と同じく、いやそれ以上にわが皇室には理不尽な誹謗中傷に対する反論の自由が与えられていません。
古来、皇室には権力が付随していないにもかかわらず、
戦後日本は、皇室から反論の自由すら奪ってしまったかに見えます。
しかし、反論すべきは反論しなければ、一部の悪意を持つ権力操縦者の手により、「歴史の既成事実」として扱われるようになり、こころある国民の誤解・曲解がすすむばかりです。
これは、「村山談話」の如く国益を損なうことにつながります・・・
在野にあって志と実力と見識を持つ、真の意味での
「皇室ジャーナリスト」「皇室ジャーナリズム」
の存在が、きわめて重要とされる所以です。
(軍事も同じです)
その資格を持つ斎藤さんは、わが国にとって珠玉の存在ではないでしょうか。
大切にしなければならない。あらためてそう思っています。
読み終えた今、あなたにもこの本を手にとって頂きたい、と心の底から思っています。
もしあなたの書棚に本を一冊置くスペースがあるのなら、ためらうことなくお求め下さい。
この本は、皇室・天皇の現在過去未来を把握するうえでまず手にとるべき、欠かすことの出来ない、頭号本です。
目に見えない大切なものを守るために、ぜひご一読ください。
ネパールのようにならないためにも、
「一家に一冊」
心からオススメします。
(エンリケ航海王子)
追伸
今上陛下がいま、お一人で立ち向かっておられるこの戦い。
あなたもこの戦いに参加しませんか?
今回ご紹介した本は、
『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか –宮中祭祀の危機–』
著者:斎藤吉久
発行:並木書房
発行日:2009/2/5
http://tinyurl.com/c6qpjc
でした
■もくじ
序章 稲作をなさる世界で唯一の君主
誰も見たことがない「天皇の祭り」
昭和天皇が始めた米作りの異例
「天皇のいちばん大切な仕事」
天皇は祭祀王である
伊勢神宮「神嘗祭」の祈り
「国中平らかに安らけく」
餓えた民がひとりでもいるのは申し訳ない
いま危惧される祈りの断絶
第一章 繰り返される祭祀の形骸化
「祭祀の調整」を宮内庁が発表
入江侍従長による新嘗祭の「簡素化」
祭祀破壊の真因は政教分離
掌典長の回答書も空しく
さまよう神道指令の亡霊
天皇制反対の確信犯
「宗教的活動」には当たらない天皇の祭祀
日本の伝統工法を壊す宮中三殿の改修工事
第二章 側近たちが破壊した宮中祭祀
激務以外の何ものでもない
昭和五十年の祈年祭に起きた「タタラ事件」
祭祀嫌いの入江侍従長の工作
理由にならない「お口のお癖」
神を畏れぬ所業
「無神論者」富田宮内庁次長の登場
親祭を貫かれた昭和天皇
第三章 裏切られた神道人の至情
現役掌典補の勇気ある問題提起
占領下の便宜的措置をそのまま放置
いったん破られた神道指令下の解釈
「神社本庁になら誠意を持って回答する」
宮内庁の揉み消し工作に屈せず
神社本庁の主張を認めた掌典長の見解
晴れぬ祭祀軽視の疑念
掌典長の「公式見解」には拘束力がなかった
第四章 明らかな神道差別の背景
GHQ宗教課職員ウッダードの証言
最高裁も絶対分離主義を否定
政教分離という名の神道弾圧
さらに根強い朝日新聞の厳格主義
宗教色豊かなアメリカ大統領就任式
ジャーナリズムはアメリカの政教関係を正しく伝えていない
明らかな神道差別。二つの理由
神道を「侵略的」と考えたところが間違いの出発点
「朝鮮の祖神をまつるべきだ」という神道人の建言
侵略主義でも軍国主義でもない神道的道義精神
憲法の政教分離原則が反天皇論者の道具に使われている
戦前の方が厳格だった政教分離主義
第五章 政教分離はキリスト教問題である
宗教的中立性を要求する一神教的発想
藤林最高裁長官「追加反対意見」の矛盾
昭和七年の上智大学生靖国神社参拝拒否事件
靖国参拝を認めたカトリック教会
中国では孔子崇拝儀礼への参加を認める
バチカンは国民儀礼としての靖国神社参拝を許可
皇室祭祀は信教の自由を圧迫しない
第六章 宗教的共存こそ天皇の原理
多宗教化する一神教世界
キリシタンの神社さえある
天皇の祭祀は「宗教的活動」に当たらない
記紀神話でも裏づけできる縄文人と渡来系弥生人との同化
最初の稲作は水田耕作ではなかった?
「日本稲の南北二元説」と「神祇革命」
第七章 多様な国民を多様なままに統合する祭祀
悲劇の天皇が書き残された帝王の道
年末年始の多忙な祭祀の日々
人の見ないところで行なわれる天皇の祭り
皇室第一の重儀・新嘗祭の食儀礼
皇祖と天皇と国民の一体化
第八章 女系は万世一系を侵す
神道思想家・葦津珍彦の女帝否認論
明治の皇室典範制定過程で否定された女帝容認論
女帝容認論はヨーロッパの王位継承と混同している
男統の絶えない制度を考えよ
万世一系の祭り主であるがゆえに女帝は認められない
女系継承を認めれば、天皇祭祀の連鎖が途切れてしまう
悠仁親王誕生でも続く女系継承容認論
第九章 参考にならないヨーロッパの女帝容認論
天皇の本質を見誤っている女帝容認論
女系継承のたびに王朝が交代するヨーロッパ王室
国民が王位継承者を選挙で選んできた北欧の伝統
男系男子継承によってのみ霊統・血統が継承される
全国に分布する父系継承の根拠
男系社会を否定する反天皇制研究
一元的な家族史論に無理がある
反天皇の立場に立つ「古代史」研究の無意味さ
第十章 的外れな東宮への要求
皇室を取り巻く三つの課題
議論の前提を誤る原教授「宮中祭祀廃止論」
妃殿下に「下船」を迫る西尾幹二名誉教授
「伝統」と「近代」の相克ではない
皇位を継承するのは妃殿下ではない
皇位の本質を見誤っている
祭祀の本質を語っていない
聞く耳を持たない「イデオロギー的世界」
長官の「苦言」騒動を招いたマスコミの挑発と誘導
高みの見物を決め込む朝日新聞
真実を隠蔽する「御忠言」
日本という多神教文明の危機
たったお一人で祭祀の伝統を守ろうとされている
あとがきに代えて –浅はかな側近こそご心痛のタネではないか–
羽毛田長官の発言の中身が軽すぎる
さらなる宮中祭祀の改変・破壊がないよう強く望みたい
空洞化が進んだ宮中祭祀
祭祀がストレスの原因とでもいうのか?
今日の皇室の危機はすなわち日本文明の危機
今回ご紹介した本は、
『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか –宮中祭祀の危機–』
著者:斎藤吉久
発行:並木書房
発行日:2009/2/5
http://tinyurl.com/c6qpjc
でした