西部ニューギニア第35師団・東2929部隊(歩兵第219連隊)玉砕記(4)

通称号が「東(ひがし)」の旧陸軍第35師団(東2935部隊)。兵員の多くは、東京、神奈川、千葉、埼玉など関東方面出身者。中国戦線(北支)から西部ニューギニアへ転用され、当初西部ニューギニアのマノクワリに司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)隷下、ソロンやマノクワリを拠点に、ビアク島、ヌンホル島などの玉砕戦に参加。
しかしながら、同師団生還者らによる、いわゆる公式な師団史などは編纂されることなく、強いて挙げれば、濠北方面遺骨引揚促進会が昭和31年8月20日に発行した『濠北を征く–思い出の記 椰子の実は流れる』に収録されている「第35師団の作戦」(筆者は小林公雄元第35師団参謀長)が、唯一公式な概要説明である。しかし、この小林元参謀長の
原稿も、同氏が(元第三十五師団参謀伊藤常男の集録を基礎とす)と記しているように、情報源は伊藤常男元参謀の手記にある。

インドネシア文化宮(GBI)は、この度、同元参謀が終戦後の昭和23年10月に初稿を著し、そして7年後の昭和30年7月にようやく、ガリ版印刷ながらごく少部数で発刊した『西部ニューギニア 東部隊作戦記 椰風』を、古本市場から入手した。その内容の歴史的価値は計り知れない。同じく西部ニューギニアに展開した第36師団は『雪第三十六師団戦誌
』を発刊し、後世に貴重な資料を残している。その意味で、伊藤常男元参謀が著した第35師団に関する、分かり易く纏められた同書は、西部ニューギニア戦線の実態を知る上で、他に類を見ない歴史資料といえよう。

尚、ここで紹介する動画の資料は、『椰風』の中より、特に「歩兵第219連隊(東二九二九部隊)」に関わる部分を抜粋して、戦友会(七中会、菜釜会)が小冊子化したものである。

インドネシア文化宮は、これまでにも、希少戦記を動画化し、広く後世に残すこと努めてきた。例えば、「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho’s West New Guinea」、『西部ニューギニア 東部隊作戦記 椰風』などだ。