明治維新にいたる80年

いわゆる明治維新は、幕末に突然起きて突然変わった。
ともいうべき感覚を持たれている人も多いようですが、明治維新は長い年月を経て成し遂げられたといえます。
一般的には高山彦九郎自刃をもって幕末の始まりといわれてますが、そこからでも以下に記すような歴史がありました。
1867~1868年の明治維新までに約80年かかっています。
いまの我が国はどのあたりの状況にあるか?
考えてみるのも面白いかもしれません。
林子平『海国兵談』発表(1792年)
ロシア使節ラクスマン、大黒屋光太夫を伴い蝦夷地根室に来航、通商を要求するも幕府は拒絶。(1792年)
高山彦九郎の自刃(1793年)
イギリス船、蝦夷地室蘭に来航。(1797年)
本居宣長、『古事記伝』を完成させる。(1798年)
伊能忠敬、蝦夷地を測量する。(1800年)
ロシア使節レザノフ、長崎に来航し通商を要求。(1804年)
江戸湾(東京湾)沿岸の砲台修築を起工する。(1808年)
間宮林蔵が樺太を探検し間宮海峡(タタール海峡)を発見する。(1808年)
イギリスの軍艦フェートン号が長崎に来航して補給を強要、長崎奉行・松平康英が引責して自殺(フェートン号事件)。(1808年)
ロシアの軍艦艦長ヴァーシリー・ゴローニン、国後島で捕らえられる(ゴローニン事件)。(1811年)
勝海舟生誕(1823年)
異国船打払令(外国船打払令、異国船無二念打払令)。(1825年)
オランダ商館付のドイツ人医師シーボルトに諜報の嫌疑がかけられ、連座した天文方・高橋景保ら処罰される(シーボルト事件)。(1828年)
西郷隆盛生誕(1828年)
頼山陽、『日本外史』出版(1829年)
天保の大飢饉(1833年 – 1839年)
水野忠邦、老中となる。(1834年)
竹島事件(1835年)
坂本龍馬生誕(1836年)
大塩平八郎の乱。(1837年)
生田万の乱。(1837年)
アメリカ船モリソン号、漂民を伴い相模国浦賀に入港するも、打払令により撃退される(モリソン号事件)。(1837年)
蛮社の獄(1839年)
高杉晋作生誕(1939年)
オランダ国王ヴィレム2世、親書を送り開国を勧告する。(1844年)
アメリカ使節ジェームズ・ビッドル、相模国浦賀に来航し通商を要求。(1846年)
条約締結と将軍継嗣問題の時代(1853年 – 1858年)
安政の大獄と桜田門外の変の時代(1858年 – 1860年)
公武合体策と尊王攘夷派の擡頭の時代(1860年 – 1863年)
尊攘派の蹉跌の時代(1863年 – 1864年)
薩長同盟と幕長戦争の時代(1864年 – 1866年)
大政奉還と王政復古の時代(1866年 – 1867年)
戊辰戦争の時代(1868年 – 1869年)