陸上自衛隊通信団第301映像写真中隊(5)

映写中が海外に派遣されるのは、PKOなど自衛隊が一定の期間その土地で活動している場所へだけではありません。
大規模災害が発生した際、国際緊急援助隊法に基づき自衛隊が派遣される場所にも随行します。国内でも東日本大震災のような広域での大規模災害において、映写中は記録を後世に残す重要な責務を担っています。
だからこそ、彼らは自衛官の働きだけでなく、現地の目を覆うような惨状も撮らなければなりません。防衛省内にあるメモリアルゾーンで毎年実施される追悼式の撮影では、ご遺族の方の挨拶に思わずこみ上げるものがあるそうです。けれど隊員たちは目が涙で曇りそうになると「だめだそれじゃ」と涙を拭き、感情を押し殺して撮り続けます。中隊長はそれについて「彼らも人間ですからね、現場でぐっとくることもあります。でもその感情のままに撮っても必ずしもいいものが撮れるとは限らないと、彼らはよく知っているんです」と話していました。
相手のことを思いやりながらも流されない。これはなかなか難しいことですが、それが「徹する」ということなのでしょう。
「われわれは訓練を主軸とする部隊でありながら、実務の割合がきわめて多いです。それでも時間をやりくりして定期的に野外訓練をし、映像写真技術の向上にも取り組んでいます。常に一定の技術が維持できているのは、隊員たちが訓練と実務の双方に一生懸命取り組んでいるという何よりもの証です」。中隊長は自信に満ちた口調でそう締めくくりました。
 映写中の取材の最後に、映像小隊による石原都知事(当時)のビデオメッセージ収録に同行しました。自衛隊東京地方協力本部からの依頼で、東京都から自衛隊に入隊する若者が集う入隊激励会で上映するそうです。
都庁へ撮影に向かったのは5名。収録を行う部屋に入ると早速、先任陸曹がテーブルや椅子の移動を指示し、隊員たちがてきぱきと準備を始めました。台車から降ろされた器材がどんどんあるべき場所に正確に置かれ、空になったケースだけがいつの間にか再び台車にまとめられています。動作に無駄がないので(音まで静かだ)、無声映画を見ているような錯覚すら起こします。
念入りに照明のチェックをし、カメラや音声のテストをする。先任陸曹に「この撮影には必ず5名必要ですか?」と尋ねたところ、「ひとりで何役もかけもちすればもっと少ない人数でも撮影できます。とはいえ、6名で来たら来たで、その隊員にもちゃんと役目がありますよ」とのことでした。限られた人員で最高の仕事を、と言った中隊長の言葉がよみがえります。
 時間に余裕をもってセッティングを終え、石原都知事を「気をつけ」の姿勢で迎える。この美しく伸びた背筋の頼もしさ。数多くのVIPを撮影し、さまざまな状況でカメラを回してきた経験と実績に裏づけされた自信が、背中をより大きく見せています。
 映写中の取材中は、ほかの部隊取材では経験できないことがありました。まず朝、映写中の部隊があるフロアにエレベーターで上がると、開いたドアの正面にある掲示板にカメラマンと私の写真がどーん。前日の取材の様子が知らぬ間に撮影されていて、こうして翌朝に掲示されているのです。そして取材の最後には、それらの写真をコラージュにして1枚のパネルに仕立ててくれました。今も大切に保管しています。
 主役は常に、彼らがカメラを向ける先にいます。第301映像写真中隊は決して立役者ではありません、しかし彼らの部隊なしに記録を残すことはできません。
「撮影」という腕章はいかなる場所においても、揺るぎない圧倒的な存在感をこれからも示し続けるでしょう。演習で姿を隠しているとき以外は。
(わたなべ・ようこ)
(平成27年(西暦2015年)5月7日配信)