神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(20)

犠牲者が出ることを覚悟で計画された、原子炉にホウ酸をまくという、火箱が名付けた「鶴市作戦」。
幸いなことに、放水などによって原子炉の冷却が進んだおかげで、この鶴市作戦は実行されず幻の作戦となった。
火箱が乗り込んだヘリが2号機上空でホバリングすることも、空挺隊員が建屋屋上に降り立つこともなく、この作戦によって殉職者を出すことも回避された。
しかし当時、日本中が注目していた放水作戦の陰で、このような作戦も進められていたのだった。
もうひとつ、いまだ国民にほとんど知られていないミッションがある。
陸自ヘリからの放水をきっかけに地上からの放水も始まったものの、依然として原子炉や燃料プールの温度計測系は計測不能となっており、放水等による冷却効果の有無を得る手段はなかった。東電に聞いても「センサーが壊れていてわからない」という。
そのとき技術研究本部(現:防衛装備庁)佐々木達郎本部長から「NECに委託して開発中の高性能サーモグラフィー装置なら、建屋の表面温度を計測できる可能性があります」と提案があった。
「よし、それをやりましょう。協力をお願いします」と即答した。今やこれだけが唯一の手段だった。
計測には3月17日に福島第一原発3号機上空からの放水を実施した第1ヘリコプター団を利用することになった。
チヌークの床には放水時と同様、被ばくを最小限に抑えるためタングステンシートが敷かれ、サーモグラフィーも遠隔操作できるようにした。陸自隊員におけるこのチヌークの改造は、技本の職員たちが「もうできたの!?」と驚くほどの速さだったという。
サーモグラフィー装置を扱うには専門的知識が必要だったため、すべての計測に技本の技官も4人1組のチームを組んで同乗する必要があった。しかし、危険な原発上空には災害派遣に従事している自衛官でなければ行けない(技官は自衛官ではなく技術職)。
そこでチヌークに乗り込む技本の職員を一時的に陸自へ出向させ、陸自の命令を受けられる形を取った。技本の技官たちは一時的に陸上自衛隊の隊員となり、命をかけて原発上空へ赴いたのだ。
3月20日に最初の計測を実施。建屋表面温度は100℃以下なことがわかった。
その後「キリン」による地上からの大放水が予定されていたことからも、最低最悪の事態は回避されるのではないかという希望が生まれた。火箱はこのとき、初めて「原発はなんとか持ちこたえてくれるのではないか」と思うことができた。
この日から4月26日まで25回表面温度調査を実施、東電などに情報提供した結果、「内部の壁が燃えさかっている」などの未確認情報も否定された。また、ヘリコプター映像伝送装置による上空からの原子炉や燃料プールの詳密映像は、東電の技術者にとって非常に役立った。
陸自に出向という形を取ってまで危険な任務を遂行した技本の職員、そして2度の放水のみならず何度となく原発を往復した第1ヘリコプター団の隊員たちは、間違いなく隠れた英雄である。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)9月23日配信)