西部ニューギニア死の転進行(1) 寺村美都旗元第34戦隊陸軍曹長

インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho’s West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風「Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニューギニア探検雑記・八木健三』、さらに、マノクワリ→イドレ転進作戦の実相を描いた『野垂れヤカチ』、『今日の話題(Today’s Topix)戦記版』第2集臨時増刊号の「人喰密林戦記・暗黒の大自然との戦に二万の将兵白骨と化す」、『小説フアン』第12集の「玉砕の記録特集」の「ニューギニア玉砕記」などの戦史・戦誌を動画形式で公開してきた。

約1万数千名が命を落としたとされるマノクワリ→イドレ転進作戦に関しては、元電信第24連隊の中隊長だった植松仁作元陸軍大尉著の『地の果てに死す』(昭和51年1月10日、図書出版社)も詳細な体験記を纏めている。

今回紹介する「西部ニューギニア死の転進行」は、昭和44(1969)年12月31日、今日の話題社によって発行された『太平洋戦争ドキュメンタリー全20巻第17巻 陸軍急降下爆撃隊』に収められた一編である。著者は、飛行第三四戦隊の元陸軍曹長だった寺村美都旗氏。空襲下の、西部ニューギニアの要衝ホランジア(現ジャヤプラ)からサルミ、マンベラーモ川河口を経て、マノクワリ、コカスなどを経由して祖国日本へ戻るまでの苦難を描いている。