トーチ作戦とインテリジェンス(18)




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ドノヴァン、各諜報機関の縄張り争いに悩まされる

 

情報調整局の各部門が北アフリカに関する情報計画作成に取り組み始めた時、ドノヴァンは、情報調整局の役割を定めた法律で保証されている「その他の政府機関」が保有するインフォメーションに対する、情報調整局のアクセス環境を向上させるための活動を行っていた。

 

ドノヴァンが就任していた情報調整官のポストは、対外諜報活動に従事する米国政府の各諜報機関が行っている諜報活動を統括するためのものであった。しかし各諜報機関はこれまで掌握していた権限を手放すことに難色を示していた。

 

換言すると、ドノヴァンは各諜報機関の縄張り争いに悩まされていたのだ。たとえば、連邦捜査局のジョン・E・フーヴァー長官は、南米における諜報活動に関する権限をなかなか手放そうとはしなかった。

 

 

海軍情報局K機関のウォレス・フィリップス、ドノヴァンに協力を申し出る

 

1941年8月、ウォレス・バンタ・フィリップス(彼は、海軍情報局の「K機関」の人物で、海外12か国に所在するエージェントを統括する地位にあった)が、ドノヴァンを訪問した。フィリップスは、ドノヴァンに協力を申し出たのだ。

 

ドノヴァンは、この申し出をすぐに受け入れ、K機関のエージェントを現在の駐在地で任務につかせる決定を下した。K機関に所属していたエージェントの中には、海軍武官としてエジプトに勤務しているウィリアム・A・エディー海兵隊中佐のような人物も含まれていた。

 

 

ウィリアム・A・エディーとは何者か?

 

エディーは、米国人の長老派教会宣教師の息子としてシリアのシドン(サイダとも。現在はレバノン領)でうまれた。

 

高校を出るまで中東で過ごしたため、アラビア語を流暢に操り、アラビア語文化圏の文化や慣習に精通していた。その後プリンストン大学を卒業し海兵隊少尉に任官する。

 

第一次世界大戦中の1917年、第六海兵聯隊の一員としてフランスへと派遣された。アメリカ海兵隊がドイツ軍と激戦を展開したベロー・ウッドの戦いに参加して負傷し、片脚を失い、治療のため米国本土へ帰還した。

 

この功績で「戦闘において比類ない英雄的行為をした者」に授与される海軍十字章(海軍省が授与する勲章のうち、最高位の名誉勲章に次ぐ高位の勲章)、銀星章およびパープルハート章を授与された。

 

第一次大戦後、学問の世界に飛び込んだエディーは、ニューヨーク州のピークスキル・ミリタリー・アカデミーで教鞭をとり、1922年には『ガリヴァー旅行記』に関する博士論文を書き、プリンストン大学から博士号を授与されている。

 

1923年、エジプトのカイロにあるアメリカン大学の英語学科の学部長に就任する。しかし、妻子がエジプト生活に慣れることができなかったため、1928年に米国本土に帰国してダートマス大学で教鞭をとった。1936年には、ニューヨーク州のホバート大学の総長に就任している。エディーは、学問の世界で成功を収めていたのだ。

 

 

エディー、現役に復帰する

 

1940年12月、エディーは海兵隊司令官トーマス・ホルコム中将と偶然出会い、現役復帰を申し出た。ホルコム中将と話をした海軍情報局長がさっそくエディーと接触をとり、彼に「どのくらい早く任務につくことができるか?」と尋ねた。

 

ホバート大学理事会でエディーは「大学総長は、あきらかに私の愛着が失われた職である。私は海兵隊に復帰したいのだ!」と説明し、ただちにホバート大学総長の職を辞めてしまった。

 

海兵隊に海軍中佐として復帰したエディーは、それから二カ月以内に海軍部官およびK機関のメンバーとしてエジプトのカイロの地に再び舞い戻った。

 

K機関が情報調整局の指揮下に入るや、ドノヴァンは直ちにエディー中佐を北アフリカにおける情報収集の責任者に任命した。エディーは1941年9月14日にロンドン経由でカイロからタンジールへ移り、諜報網を組織し始めた。

 

 

ドノヴァン、北アフリカにおける諜報活動計画案を大統領に提出する

 

エディーが北アフリカで諜報網を組織している間、ドノヴァンはルーズヴェルト大統領と北アフリカにおける作戦活動に関する協議を続けていた。

 

ドノヴァンは、1941年10月10日に極秘裏に展開される諜報活動に関する計画案を大統領に提出した。さらに、同年12月22日には再度計画案を提出している。このときの計画案は、戦略計画立案のために、破壊活動、レジスタンス活動およびゲリラ・コマンドー部隊の使用を強調する内容であった。

 

この点に関して、OSS(戦略情報局)の戦争報告書(War Report)は次のように述べている。

 

「1941年10月に、G2(陸軍情報部)、海軍情報局および情報調整局の秘密情報活動の強化を要求された時、ドノヴァンは明確な計画を準備した。その内容は、大統領に報告したように、『副領事たちの行動を統一』し、副領事たちの努力を『刺激』することができる情報調整局の代表者をタンジールに配置することであった。

 

代表者は、自身の活動の安全を確保するため公的地位を持つことになるであろう。万が一、外交関係が破綻した場合にも運用し続けることができる秘密の無線通信網が確立されることになるであろう。さらに、外交郵袋と外交用通信の使用が効果的通信を行うために不可欠である、とも述べられていた。

 

12月22日附の大統領に対する覚書の中でドノヴァンは、エディーが説明を受けた計画を明らかにしている。

 

『現地の長たちの援助を獲得し、住民たちからの忠誠心を深め、第五列を組織・配置し、破壊活動用の物資を貯蔵し、大胆で勇敢な者たちからなるゲリラ部隊を組織・配置すること』」(United States War Dept. Strategic Services Unit History Project and United States War Dept, War Report of the OSS. New York: Walker, 1976.)

 

 

(以下次号)

 

(ちょうなん・まさよし)

関連ページ

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第32回
戦史研究家・長南政義さんの作品「戦史に見るインテリジェンスの失敗と成功」シリーズ第3弾 「トーチ作戦とインテリジェンス」(32) メールマガジン「軍事情報」で連載。
最終回
戦史研究家・長南政義さんの作品「戦史に見るインテリジェンスの失敗と成功」シリーズ第3弾 「トーチ作戦とインテリジェンス」(最終回) メールマガジン「軍事情報」で連載。