神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(31)

2023年6月15日

広報時代に忘れられない大きな出来事が2つある。
ひとつは朝霞駐屯地の警衛が、元自衛官に刺殺された事件だ。
銃を奪うのが目的で、現場には犯人のOD色の軍手が残されており、そこから「これ、うち(陸上自衛隊)のじゃないのか?」という話になった。
マスコミは容疑者が逮捕される前にその人物の名前と元自衛官であることを突き止め、陸幕広報に問い合わせてきた。だがこんな一大事のときに限って広報室の面々は出払ってしまっており、対応できるのが火箱ひとりしかいない。まだ報道B担当の駆け出しだったから、その重圧たるや相当なものだった。だが、言うべきことは言うという姿勢はここでも通したかった。元自衛官の名前や所属していた部隊などの情報も、すでに火箱のところに届いていた。
ところが「長官への報告が済んでいないから陸幕広報はまだなにも言うな」というお達しが届いた。とはいえ、記者たちは陸幕広報室に殺到している。すでにテレビのニュースでも容疑者の名前が出ていたから、隠していてもまったく意味はない。それでも「陸幕広報は言うな」と言う。上からの指示と記者との間に立って、火箱は頭を抱えた。
そのときひとりの記者が「火箱さん。自分が容疑者の名前を出すので、それに応じる形にしたらどうでしょう」と言ってきた。自分が元自衛官の名を言ったり文書を配ったりすると報道発表となり、長官(内局)の顔を潰すことになってしまう。だが記者から「元自衛官の名前は○○ではないですか?」と尋ねられたら、「調べてくる」といったん下がり、それから「調べた結果、該当する人間かはわかりませんが同姓同名の隊員はいました」と返せる。これならば報道発表にはならず、さらに記者たちも裏が取れたことになる。うまい手だった。
さらに「どういう隊員でしたか」と聞かれたので、「ナイフを持っていたということはマニア的なところがあったのかもしれないが、勤務中にそういう面は見られなかった」と答えた。
火箱が取材対応にこだわったのは、この事件で自衛隊に対する誤ったイメージを国民に抱いてほしくなかったからだった。ナイフによる犯行だったから、「自衛隊はナイフを振り回す訓練ばかりしているのではないか」「殺し屋みたいな訓練ばかりやっているのではないか」と誤解されることだけは避けたかったのだ。
実際、「ナイフを用いた訓練は毎日やっているのか」という質問もあり、「銃剣をつけた状態での訓練はするが、ナイフはレンジャー訓練などにおいて携行が許されており、主は蛇やカエルを裁くための生存自活のため使用する。一般隊員にはそういう訓練の科目はありません」と、いちばん伝えたいことをはっきり言った。
もう1件は横須賀で起きた、海上自衛隊の潜水艦なだしおと遊漁船の衝突事故である。
この事故に陸幕広報として関わっていたわけではないが、自衛隊が一方的に悪者に扱われている報道を見るほど「応援しなければ」という思いが強まった。
確かに事故が起きたのは遺憾なことだ。国民を救うべく自衛隊が多くの死者の生起に関わったのは残念である。
このとき、マスコミは「なだしおの乗員は見ているだけだった」という救助された女性のコメントを誇張するかのように、なだしおの隊員が誰も助けず無視していたかのように編集された映像を流し、国民に「自衛隊は溺れている人を見殺しにした」という印象を刷り込んだ。火箱からすれば、悪質な情報操作だった。実際、この情報には誇張のあったことが後に判明しているほか、救助された女性のコメントについても、海上保安庁長官が誤解であると数回否定している。
事故の後、記者たちは海幕広報に詰めていて、陸幕広報には息抜きに来るような状態だった。そこで火箱は記者たちに「この報道おかしいんじゃないの? 新しい事実だって出てるのに、なんでそこは無視するんだ」。すると記者が言った。「その事実は自衛隊に有利な話じゃないですか。それを書いてもデスクが載せてくれないんです」
国民に向けて発信する内容がゆがんでいるとわかっている記者もいた。しかし火箱は、このときも「自衛隊は叩いておけばいい」という空気を感じ取っていた。誤解が後から訂正されようが、海難審判で双方に責任ありと判決が出ようが、とにかく「悪いのはすべて自衛隊」だった。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和五年(西暦2023年)1月12日配信)