神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(28)

2023年6月15日

先週に続き、火箱氏の陸幕広報時代、どんより時期の続きからです。
仕事も悲しいほどわけがわからなかった。
電話がかかってきて「陸幕広報です」と出ることはできても、そこから先はなにを言われてもまるで対応できない。勝手なことを答えるわけにはいかないが、みんな忙しそうに仕事をしていて、そのつど電話を替わってもらうのも心苦しかった。
そもそも新聞や雑誌、テレビ番組がどのようにつくられているのかもまったく知らない。そんなこと、考えたこともなかった。しかし「敵を知れ」ではないが、報道担当として対峙する相手の仕事を理解していなければ、自分の仕事をこなすことはできないと考え、記者の行くところにはあちこち同行して必死に聞き取り勉強した。
また、報道担当A(新聞社などに対応)の先輩は電通で研修を経験してきた「陸幕広報の王道スタンダード」だったので、その先輩にもくっついてことあるごとに質問し、ほとんどOJTで教えてもらった。火箱は今でも先輩に心から感謝している。
記者が夜遅くまで広報室にいるときは、酒を作って一緒に乾きものをつまみながら雑談を交わし、その中から色々学んだ。「夕飯食いに行こう」と誘われ、記者と夜中に不健康な食事をしながら、マスコミの重要性やメディアの役割などを徐々に覚えていった。
終電がなくなり広報室のソファで朝まで仮眠することもたびたびだった。「野営訓練より寝心地がよくていいや」と思うようにしていた。
必死に学ぶ毎日だったが、着任早々、火箱はなんと陸幕長まで巻き込むほどのとんでもない大失敗をおかしてしまった。
当時は募集難で、人材確保に募集担当が四苦八苦していることは火箱も知っていた。その折、従来の自衛官募集のポスターとは毛色の異なる新しいイメージのポスターができ上がった。「自衛官募集!」とこてこてに押し出すのではなく、「自衛隊はあなたをお待ちしています」的な、イメージ重視のポスターができたのだ。当時はそういうイメージポスターが流行っていた。
このポスターについて、ある記者が「防衛庁の募集ポスターがイメージチェンジした」という旨の小さな記事を書いた。
するとその記事を見たのか定かでないが、写真週刊誌の女性記者がやってきて、そのポスターを貸してもらえないかと言う。聞けば「自衛隊もこういった新しいタイプのポスターを作成している」ということで、東京地連の募集担当者がポスターを貼っているシーンを撮影したいのだという。
このポスターをPRすることで、募集に少しは貢献できるかもしれない。しかも写真週刊誌の発行部数はかなりの数だし、銀行や床屋に置かれたら1冊が多くの人に読まれることになる。そう考えた火箱は、東京地連の快諾も得て、記者にポスターを貸した。
火箱にとっては報道担当としてほとんど初仕事に近く、広報らしいことができたと満足していた。
ところがである。ほどなくしてその女性記者から連絡があった。記事の内容が変わったと言うのである。
「自衛隊のようなイメージ重視のポスターを、同じ時期に日教組も作成していました。そこで自衛隊と日教組のポスターを並べて掲載する記事になります」
「日教組!?」
とんでもない話である。そんな記事にするとわかっていたら、決してポスターを貸し出したりしていない。女性記者とはいえ、火箱は相手が涙ぐむほど激しく抗議した。
「そんな記事承諾していない!」
「もう輪転機が回り印刷にかかっているので間に合いません」
火箱の顔から血の気が引いた。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和四年(西暦2022年)12月15日配信)