神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(30)

2023年6月15日

世間では自衛隊をおぞましい戦闘集団、殺し屋集団と思っている人もいる。
確かに自衛隊は事故も起こすし悪事を働く弱い隊員もいる。火箱はそれも含め、秘密事項を除きありのままの現実を見てもらいたかった。
だからなにか不祥事、トラブルが発生した際は、すぐに記者クラブにピンナップしに行った。彼らに伝えない限り、国民にも伝わらないからだ。「また事故起きたんですか?」と言われるほど出し、「申し訳ありません、以後気をつけます」と言いながら出し続けていると、次第に記者たちから「陸幕は隠していない」と思われるようになっていった。
ほかの部署の人間が隠そうとすると徹底的に抗戦した。陸幕広報に対しては、ほかの部署から「そういうことまで話してもらっちゃ困る」と、同じ組織ながら敵のように思われることもあったが、それにもひるまなかった。
「事実があるのになんで隠す?」
「いま原因を調べているところだから」
「それは原因がわかった時点でまた報告すればいいだろ!? 何時何分に起きたっていう事実だけは確かなんだから、それだけをまずは伝えないといけないだろう」
「まだQ&Aができあがってない」
「だから全部用意できなくても、確実にわかっている事実だけ一刻も早く出すんだって。そこさえわかっていれば記者は記事書けるじゃないか。新聞記事ってのはそうなっているだろ?」
いつ、どこで、誰が、なにを、なぜ、どのようにという5W1Hのうち「なぜ」の部分が後回しになっても、なにが起きたかという事実関係だけで新聞記事の1段目は成り立つ。事故や事件の背景となる詳細は2段目以降だ。その詳細がわかってから初めて発表するのでは遅すぎる。
広報に勤務してそのことを知った火箱は、だからこそ新聞の1段目の情報をなによりも早く提示することが大事だと考えた。そもそも新聞社はとっくに事実関係については掌握している場合が多く、あくまでも言質が欲しいのだ。ならばなおさらわかっている情報だけでも先に出すべきだという姿勢を貫いた。
これは陸幕長になっても変わらず、隠す必要のないことまで公表しない原稿を渡されると「俺は言うよ」と自ら直した。
自衛隊は、ややもすればひとりよがりになりがちなところがある。任務の独特の閉塞性ゆえ、思考が世間と微妙にずれつつあっても気づかず進んでしまう危険をはらんでいる組織でもある。
だからこそ火箱は「自分たちは常に(マスコミを通して)国民の目にさらされているのだ」という感覚を研ぎ澄ませた。これこそが、異動先を知ったときに「俺の状況終わった」とまで思った陸幕広報での勤務経験で培った大きな財産だった。
今と同様、当時も自衛隊に好意的なメディアとそうでないメディアは明確にわかれていたが、火箱は媒体や記者によってどこまで伝えるかの線引きを変えることはしなかった。また、記者の関心ごとについて自分のコメントでは記事にならないと判断した場合は、陸幕長や陸幕の各部長への取材をセッティングしたり、それがかなわない場合は「陸幕広報として、その件についてこういうことではないか」などとフォローした。そこに「親自衛隊」「アンチ自衛隊」の垣根はなかった。
その姿勢が信用につながり、当時はアンチの媒体でも自衛隊に好意的な記事を書いてくれるところが出たほどだった。もちろん事故が起きればがっつり責められたが、その際も「事実は事実。だがおかしな憶測をなぜ加えるのか」と、火箱のほうも容赦なく文句を言った。そんなやりとりを記者たちと続けているうちに、しまいには記者が書いた原稿を見せて「火箱さん、こんな感じでいいですか」と言ってくるような一幕もあったほどだ。
記者たちにありのままの自衛隊を見てもらいたいとの思いから、防衛庁でのやりとりだけでなく、彼らを全国の部隊、現場に連れて行くことを積極的に企画した。防衛記者研修である。
戦車への体験搭乗、雪の積もった酷寒の演習場でのテント宿営や自衛隊用スキー体験、銃剣道体験など。ひとえに現場で汗を流す自衛官を実際に見てもらいたかったからだ。
当時の産経新聞の岡論説委員から教わった「百聞は一見に如かず、百見は一験に如かず」という言葉は体験、経験を重視する火箱の胸に響いた。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和四年(西暦2022年)12月29日配信)