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[日本軍] 豆戦車 WW2 Japanese Tankette

time 2019/03/04

[日本軍] 豆戦車 WW2 Japanese Tankette

 日本ニュースより、大日本帝国陸軍で使用されていた、九四式軽装甲車TK・九七式軽装甲車 テケ、などの訓練・運用シーンを抜粋しました。各シーンは日本ニュースの号数順に並んでいます。

 九四式軽装甲車は、元々は最前線で弾薬等の危険物を運ぶ牽引車としてカーデン・ロイド豆戦車 Mk.VIを参考に、1933年に開発された。1937年に支那事変が勃発すると、本車も八九式中戦車と共に機甲戦力として戦場に送られ、独立軽装甲車中隊が編成された。これらの部隊には戦車部隊と同じような任務を与えることが多かった。
 非常に小型の車両であったため、戦車としては非力な面もあったものの、簡易な支援態勢でも運用することが可能であった。専用のトレーラーでなく通常のトラックにも搭載でき、また工兵の支援や戦車橋がなくとも丸太2本を渡せば渡河ができるなど、歩兵部隊への追随には非常に好都合だった。
 武装は戦闘車両としては最低限の九一式車載軽機関銃1門を砲塔(銃塔)に持つのみで、本来は自衛用だった。後に新型の九七式車載重機関銃に換装された。機銃手の肩の力による人力旋回方式とはいえ、砲塔形式を採用した事により、使い勝手が良く、本車の長所として特筆されるものである。
 装甲は歩兵が持つ小銃実包の弾丸に貫通されない最低限の性能(厚さ8~12mm)として設計された。しかし実戦においては中国軍の持つ7.92mm弾仕様のモーゼル式小銃のような強力な小銃により、命中弾の破片が車内に飛び込んだり、場合によっては破損や貫通の被害を受けてしまった。ましてや37mm対戦車砲のような対戦車砲の前には全く無力で、大きな損害を出すこともあった。それでも、日中戦争では中国側が対戦車火器を有効に活用しなかったため、戦車のような活躍ができた。

 九七式軽装甲車は、手軽な豆戦車として使用され陸軍の機械化に大いに貢献した九四式軽装甲車(TK車)の改良後続型として開発された。主な改良点は、武装は機関銃のみの九四式と違い、生産数の1/3ほどに九四式三十七粍戦車砲もしくは九八式三十七粍戦車砲を搭載したことと、エンジンを燃え易く燃料消費が大きいガソリンエンジンから、燃え難く燃料節約にもなるディーゼルエンジンに変更したことである。(wikiより抜粋。)

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