軍事・インテリジェンス動画まとめ

Just another WordPress site

[日本軍] 野砲・山砲 WW2 Japanese Field gun&Mountain guns

time 2019/03/02

[日本軍] 野砲・山砲 WW2 Japanese Field gun&Mountain guns

日本ニュースより、大日本帝国陸海軍で使用されていた野砲、山砲の射撃・運用シーンを抜粋しました。(改造)三八式野砲、九五式野砲、四一式山砲、九四式山砲などが確認できます。各シーンは日本ニュースの号数順に並んでいます。

 四一式山砲は日露戦争における主力山砲であった三十一年式速射山砲の射程不足、発射速度不足、方向射界皆無といった欠点の解消のために開発され、1911年(明治44年)に制式制定された。四一式山砲は駐退復座機を備えていたため射撃速度は10発/分程度まで上げることに成功した。また、当初の分離薬筒方式を完全弾薬筒方式に改めてからは、最大20発/分が可能となった。
 重量540kg、馬6頭で分解運搬(駄馬)ないし、馬2頭で牽引運搬(輓馬)可能。山砲として開発されたため人力による分解運搬も可能であり、山岳戦や森林・密林地帯で威力が発揮された。また、構造が比較的簡単であるため組み立てや操作が容易であった。配備以降、帝国陸軍の主力山砲として主に師団砲兵たる山砲兵連隊で運用され、第二次世界大戦においては九四式山砲とともに主力山砲のひとつとして終戦まで運用が続けられた。なお、本砲は海軍陸戦隊でも使用されている。
 歩兵連隊では本砲の75mmの大口径と短砲身18.4口径(口径長)ながら低伸性に優れた弾道を生かし、対戦車砲として使用されることもあり、徹甲弾(鋼板貫通限界厚は射距離100mで50mm、射距離500mで46mm、射距離1000mで43mm)も配備されていた。大戦後期にはタ弾(対戦車用成型炸薬弾)である二式穿甲榴弾も配備された。タ弾は射程距離に関わらず75~100mmの装甲を貫徹することができた。(wikiより抜粋)

sponsored link

down

コメントする




CAPTCHA


最近のコメント

    

    sponsored link