神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(18)

3月18日
東電、自衛隊、消防庁、警察機動隊などが入り乱れ、放水と工事の実施が混乱し始めていた現場を鑑みて、官民・省庁間の枠を超えた調整の必要性が高まっていた。そこで細野豪志内閣総理大臣補佐官の名の指示書が出された。
これによると、オフサイトセンターの指揮統制権を自衛隊が持ち、指揮をしろという。
いくら原発が未曽有の緊急事態になっているとはいえ、自衛隊に対する指揮権限を持たない首相補佐官名の指示書1枚で、自衛隊がほかの省庁を指揮できるわけがない。
警察の放水の指揮を要請されたときもそうだが、自衛隊が「指揮」というときは、生殺与奪の権限を示す。究極の言い方をすれば「死ぬかもしれないが行ってこい」と命令できる権限である。
結局、20日に改めて内閣総理大臣名による指示書が出され、自衛隊は指揮するのではなく「自衛隊が現地調整所において一元的に管理すること」と修正されていた。
この日は2度目のヘリの放水が予定されていたが、陸上での電源復旧作業を優先するため中止となった。自衛隊の地上からの放水は実施、その後予定より大幅に遅れて17時半過ぎに東京消防庁のハイパーレスキュー隊が到着した。自衛隊が1回に放水できる量は50~60トンだが、ハイパーレスキュー隊の機材だと1時間に100トン放水できる。
ようやく到着したものの、原発内に散乱しているがれきが邪魔し、海水を汲み上げるスーパーポンパーが岸壁まで近づけない。迂回すると3号機から離れすぎ届かない。しかもハイパーレスキュー隊は機材設置が終わった段階で作業困難と判断し、放水しないままオフサイトセンターに撤収してしまった。その報告を受けた海江田万里経産大臣は、「自衛隊が代われ!」と激怒したという。
結局、ハイパーレスキュー隊は自衛隊の援助を得て、日付が変わった19日の夜中から未明にかけて2度の放水を実施、東京に帰った。その後、ハイパーレスキュー隊長の涙ながらの記者会見を、事情を知る火箱ら自衛官は複雑な思いで見た。
「放水用のキリン(大型コンクリートポンプ車)が到着するので、原発内のがれきを除去してくれ」という要請もあった。
(それはうちにしかできないことなのか? ほかに頼めるところはないのか?)
喉まで出かかった言葉をぐっと飲みこみ、戦車に排土板をつけてがれきを除去するよう指示した。
ところが今度は東電が「戦車がむき出しになっている配線を全部切ってしまう」と慌て、結局ゼネコンが除去することになった。
(じゃあ最初からゼネコンに頼んでくれよ……)
放水と並行し、陸自内でいくつもの作戦が計画されていた。そのひとつが、最悪の状況になったときにおける東電社員の救出作戦である。
いざとなったら放射線遮蔽効果が高い戦車や装甲車で突入できるよう、96式装輪装甲車、通称WAPCの上部に手すりをつけて改造したものを8両準備し、ピストン輸送で全員避難させる計画だった。このため中央即応連隊を「いわき自然の家」に待機させ、いつでも行動に移せるように予行をくり返していた。
また、幻の作戦となった「鶴市作戦」も、公にされないまま粛々と準備が進んでいた。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)9月2日配信)