F-4EJ配備部隊の歴史(4)
かつては北海道から沖縄まで全国にF-4EJ部隊が所在していましたが、2016年に第301飛行隊が新田原から古巣の百里に戻ってきてからは、第301飛行隊、第302飛行隊、第501飛行隊と空自のF-4EJ部隊のすべてが百里に集結。そのため百里基地はファントムネストとして国内のファントムファンのみならず、世界中のファントムファンにとってもまさに聖地でした。
なお、第501飛行隊の活動範囲は日本全土に及ぶため、ほかのファントム部隊と同じく百里基地に所在しているものの、所属は第7航空団ではなく航空総隊の直轄部隊となっています。1992年にはF-4EJ15機をポッド搭載のRF-4EJに改修し、新たに追加導入しました。
偵察飛行は戦術目的だけではなく、民生協力での火山観測や大規模災害での災害派遣時も行なわれてきました。
一時は老朽化するRF-4EおよびRF-4EJの後継機としてF-15Jを偵察機として改修することも検討されましたが、実現することなくとん挫(防衛省と光学・赤外線偵察ポッド受注先の東芝が互いに訴えるという裁判沙汰も起きました)。
有人の戦闘機を飛ばしてアナログ写真を撮るということ自体がもはや時代に即しておらず、機体の老朽化などもあり、部隊は2020年に廃止されました。
現在、偵察任務は三沢基地の偵察航空隊が無人偵察機RQ-4Bグローバルホークにより行なっています。先月、6月30日に3機目のグローバルホークが三沢機に到着しました。三沢基地には無人機運用の専門部隊である偵察航空隊が2022年12月に新編されており、先行して配備されたグローバルホーク2機の運用をすでに行なっていました。3機目が到着したことで、計画されていた運用体制が完成したことになります。
1971年7月に、2号機と共に小牧基地にやってきたF-4EJの初号機、301号機。各種検査などを経て、岐阜基地に所在する実験航空隊(現在の飛行開発実験団)に引き渡されました。ここは航空機や装備品、システムなどの試験や評価、基礎的運用研究を行なったり、技術研究本部の実施する技術試験及び技術研究に協力したりしています。さらにテストパイロットや技術幹部として必要な知識ならびに技術を修得させるための教育訓練を行なっています。
1972年、百里基地に臨時F-4EJ飛行隊が新編されると、301号機はパイロット教育用の教材として百里基地に「出向」。臨時の飛行隊が第301飛行隊に改編された後、再び岐阜基地に戻りました。
そして防空任務を担う実動部隊からF-4EJ改の姿が消えても、301号機は飛行開発実験団で飛び続けました。しかし2021年3月17日、301号機を含む3機のF-4EJとF-4EJ改がラストフライトを実施。「F4運用終了に伴うラストフライト及び記念式典」と銘打った飛行展示には、日の丸ファントムの最後の勇姿を見届けようと、多数のファンが集まりました。日本に初めてやって来た初号機が日本でのラストフライトの役目も担うとは、なんとも劇的で感慨深いものがあります。