海上自衛隊幹部候補生学校(11)

ごあいさつ

こんばんは。渡邉陽子です。
現在発売中の『PANZER』4月号に「神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生」第24回が掲載されました。ついに陸幕長時代に突入です。削減を続ける防衛予算、人員になんとか歯止めをかけようと奔走し希望が見えてきたとき、政権交代でどんでん返し。陸幕長としての力の限界を痛感し……詳しくは本誌をご覧いただければ幸いです。
また、『正論』で始まったばかりの連載「われらの女性自衛官」は、緊急事態宣言のため取材ができず4月号は休載です。ただ巻末の編集後記に当たる「羅針盤」で、編集長に連載の紹介をしていただいています。書店で見かけたらチラ見していただければ幸いです。

海上自衛隊幹部候補生学校(11)

取材時の海上自衛隊幹部候補生学校長へのインタビュー、前回の続きをお届けします。

「候補生たちがここでの教育を終え、遠洋練習航海を経て部隊に配置されると、自分より年上の、あるいは多くの経験を積んだ海曹たちの上に立って指揮を取らなければなりません。それは若い幹部にとって相当な重圧です。ですから、人を指揮するなら、まず人に指揮されることを学ぶ必要があります」
「さらに、部下の命を預かるにふさわしい知識や識見を身につけると同時に、部下から信頼されなければなりません。また、知識や経験がないと自信が持てずとかく萎縮してしまい、下からだけでなく上からも信頼されないでしょうし、部下の気持ちが分かる思いやりのある人間には育つことはできないでしょう。そのために、ここでは彼らに厳しい教育と訓練を科しているのです」
「基礎的知識や技能を身に付けるのはもちろん、気力・体力を振り絞って限界近くまで耐え、それを乗り越えることにより、不撓不屈の意志の力が養われ自信が身につくのだと思います。体で得た自信は決して忘れません。言い換えれば、物事の本質を頭ではなく体で理解していないと、強い幹部にはなれないということです」
「海上自衛隊の指揮官(リーダー)教育はこの幹部候補生学校に始まり、約1年の教育で、部下の先頭に立ち、指揮の中心となり、海上戦力の一翼を担う強い幹部に育てなければなりません。そのためには厳しく独特の教育にならざるを得ないと思っています。ただし、幹部候補生学校というのは候補生のためにあるところなので、学校すべてが候補生を中心に動くべきであり、ここでの価値判断の基準は、それが学生のためになるかならないかに置くべきだと考えます。もちろん私も“学生のために、学生と共に”ということを常に心がけています」

教える側にこの精神があるからこそ、候補生たちも心身共に厳しい毎日をこなしていけるのでしょう。

「私は先輩の学校長から、『候補生教育は麦踏みのようなものだよ』と聞かされたことがあります。麦踏みというのは麦そのものを踏むのではなく、麦の周囲の土を適度に踏み固めることによって強い麦を育てることです。麦そのものを踏んでは育つものも枯れてしまいますし、養分を与えることも必要です。麦が候補生だとしたら、麦踏みを行うのが教官たちなのです。さらに教官たちの持っている知識や経験、人間性、愛情、それらがぎゅっと詰まった養分を与えられることで強い麦に育ち、そこからさらにたくさんの強い実を実らせるのです」

海上自衛隊は帝国海軍からの伝統を継承し、その面影を色濃く残していると言われます。そもそもこの江田島自体が、帝国海軍の歴史そのものです。

「よく『江田島には帝国海軍以来の伝統がある』とか『この伝統ある江田島の地』といった言葉を聞きますが、具体的に『これが伝統である』と一言で言い表すのは困難だと思います。海軍兵学校が東京の築地からここへ江田島に移ってきたのは明治21年。そして、この赤レンガの海軍兵学校の生徒館ができたのが明治26年です。以来この江田島は、帝国海軍と海上自衛隊、海軍兵学校と幹部候補生学校という違いこそあれ、“海を守る、国を守る”という志を同じくするわれわれを、じっと見つめてきました。米海軍のバーク大将は、『伝統が海軍精神を形づくる。伝統に従え、なぜならば伝統こそが成功への道である』と言っています。世界に冠たる米国海軍がその心の拠りどころをアナポリスのジョンポール・ジョ-ンズに求め、英国海軍もネルソンやダートマスに求め、先輩の偉業を顕彰し、その遺跡に触れ、敬虔な気持ちを持って後輩にもそれを伝えているのでしょう。私はそれらに勝るとも劣らないのがこの江田島にあると思っています」

次週に続きます。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)3月4日配信)