日本に初めてオスプレイが配備されたとき(3)

オスプレイが普天間飛行場に配備され訓練が始まってからは、「市内上空では禁止されている垂直離着陸モード(いわゆる回転翼、ヘリの状態です)で飛んでいた」という苦情が相次ぎました。
しかしエンジンナセル(エンジンを収容している両翼端の円筒部分)が84度までが転換モード(固定翼から回転翼、あるいはその逆に切り替わる状態)、85度から垂直離着陸モードというこの1度の差を、上空を見上げて肉眼で判別できるものでしょうか。
確かに政府側にも対応のまずさはありました。
オスプレイの配備は昨年からわかっていたことでありながら、国民に向けてパンフレットを用意したのは1年後、2012年6月でした。
しかもそのパンフレットには空軍のオスプレイCV22や、近年の墜落事故については触れておらず、指摘されてからその部分を後出しする形になるなど、信用されにくい状況を自ら招いた感は否めません。
米国側も「配備計画に変更はない」とおうむ返しに繰り返すだけでなく、地元住民の不安に理解を示す姿勢をもっと見せていれば、印象がまた違ったものになっていたことでしょう。
航空自衛隊の基地周辺でも騒音に対して苦情を言う住民はいます。国家行事で展示飛行を依頼されるほど人気と技術に定評のあるブルーインパルスでさえ、「うるさい」「危ない」と、地元での飛行を反対する人はいます。だからこそ自衛隊は地元とよりよい関係を築こうと、各種イベントを通じて地域住民とのコミュニケーションを密にしています。
「小学校の運動会があるからその時間帯は飛ばないで」、「斎場の上空を飛ばれるとお経が聞こえないから告別式の間は訓練しないで」、そんな地元の要求にすら、調整が可能な場合は対応しています。こういった気遣いを米軍も少しは見習ってもらえないかと、つい思ってしまいます。
米ハワイ州の空港2か所で「考古学的資源に対するダウンウォッシュの潜在的影響を懸念」という理由から訓練が中止されたことについても、「では自分たちは考古学的資源以下の扱いか」と、普天間飛行場の間近に暮らす人々を不快にさせたことでしょう。これについての説明責任も果たすべきでした。
ただ、日本政府や沖縄に対し、米側が従来では考えられないほどの配慮を行なったという点も忘れてはなりません。
オスプレイ墜落事故に関する日本の自己分析チームの受け入れ及び情報公開は異例のことだし、騒音を軽減するため、普天間飛行場での着陸方法は転換モードで飛行場に入ってから垂直着陸モードにするとしました。
岩国基地では防衛省の要望に応え、自治体の首長などを招きオスプレイの体験搭乗も実施しました。
自分たちのルールでしか動かない米国がこのような譲歩を見せていることも、見逃すべきではないでしょう。
たとえオスプレイが他機種に比べて危険なわけではないと理屈では理解できたとしても、たて続けに墜落事故を起こした航空機が地元に配備されるというのは不安だという心情はわかります。
その一方で、首をかしげたくなることもあります。
たとえば、沖縄南部の複数の自治体が率先して市民へオスプレイ配備反対集会への参加を呼び掛けていたことです。
市が大型バスをチャーターして市民を反対会場に運んだり、交通費を支給したりした自治体もありました。沖縄では「公」の定義はどうなっているのでしょう。
中城村と宜野湾市の職員労働組合はオスプレイ配備反対を示すバッジを作成、職員に配布しました。
反対派の一部が行なった風船や凧揚げによる飛行の妨害活動に至っては、オスプレイに反対する理由と行動の矛盾にあ然とさせられました。「オスプレイは危ないから反対」と言いながら、危険を誘発している反対派とはいったいなんなのでしょう。
さすがに仲井真弘多沖縄県知事(当時)もまずいと思ったのか、あるいは渡米中にコメントを求められたからか、それらの行為は行き過ぎと懸念を示しましたが……
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和二年(西暦2020年)3月12日配信)