昭和45年版 日本の防衛  「防衛白書」(2)

先週に続き、わが国初の防衛白書、「昭和45年版 日本の防衛」の中曽根康弘防衛庁長官(当時)による巻頭挨拶をご紹介します。
先週は現在の防衛白書に書かれている防衛大臣の巻頭文と比較していただきたく、まずは最新版の防衛白書の巻頭文を先に掲載しました。本文が長くなってしまったので、中曽根長官の巻頭文は冒頭のみのご紹介となりました。
今週は丸ごと掲載しますので、改めて最新版の防衛白書の巻頭文と比較しつつ、お読みいただければと思います。

「日本の防衛」の発刊にあたつて
国務大臣防衛庁長官 中曾根康弘
原水爆や大陸間弾道弾のような,人類がみずから作り出しながら,人類自身の生存や文化を脅かす兵器が出現した今日,また,飛行機のような輸送手段や,テレビのような伝播手段が極度に発達し,地球が狭くなり国境が従来のような国境の意味を持たなくなつた今日,「防衛」の問題は,もはや一国単位の内政事項としてのみでは考えられないし,また考えてはいけない時代となつた。
原水爆のような「業を背負つた兵器」を人間は造り出して,果して人間が自分の手でみずから作り出した原水爆を自由に制御できるかどうか。先史時代の爬虫類の中には,体の一部が闘争用に巨大化しそのために死減したものがあるそうであるが,今の人類も同じように超破壊力を持つ武器を抱え,その歴史上未曾有の生存をかけた試練に直面している。その危機は,世界の人々が人類として運命を共にする良心を強く持ち,国際協力によつて核兵器や大陸間弾道弾の製造や使用を統制管理しなければ乗り切れない。かくして今や,「日本の防衛」は単なる「日本の防衛」だけではない。それは「人類の防衛」に連なり,世界の連命の一端の責に任ずるものである。
したがつて,今日の防衛は,戦前,戦中の一国中心の単なる一国の軍事戦略を主としたいわゆる「国家防衛」と異なり,世界的拡がりを持つた人類的憂心に伴われ,そして総合的政治戦略に導かれた「国土と共同生活体の防衛」でなければならない。
日本の防衛について,最も大切なことは,このような良心を政策樹立の岩盤に打ち込み,その上に防衛施策を構築することである。そしてその上に作られた平和国家のイメージを全世界的に定着させ,国際的信頼を確立しなければならない。自衛隊は,この精神に立つて建設された。そしてそれは平和を守るための憲法に認められた防衛力なのである。それは世界平和を念願する政治に指導され,国土と共同生活体の防衛に徹し,海外に脅威を与える攻撃的兵器を持たず,また,海外に派兵せず,徴兵を行なわない。そして政府は非核三原則を政策として維持している。
私はこの考えに立つて,「非核中級国家」としての防衛構想を提唱した。今までの西欧的な考え方によれば,経済大国は必ず軍事大国になるという既成概念があつたが,われわれは,この考え方に挑戦し,軍事大国にならない経済大国,世界平和のための文化性と新しい時代の精神秩序を開拓しようとしている偉大な国民に日本人は進んで行くと訴えた。
だが,「非核中級国家」としての防衛構想は,まだ未熟なものであり発想の域にとどまつている。わが国の学者や実務家がさらにこれを開拓し,教示されるよう念願する。私はこの構想の中で,外交と文民統制(政治が軍事を指導すること。)と国民協力の3点の重要性を指摘しておきたい。現代の日本においては,外交が崩れれば防衛の過半は失われ,国民協力が得られなければ防衛の全てが存在し得ない。
文民統制の成否は,日本の「平和のための防衛政策」が成功するか失敗するかの鍵である。日本が過般の大戦に突入し,国民に未曾有の惨害を与えたのは,実に戦前における軍事の政治に対する優勢,すなわち,この文民統制の欠陥にあつた。
この惨害を繰り返さないため,かつ,新しい人類的脅威に世界と協調して対処するため,日本の文民統制の実状は,今後ますます常に精密に厳格に監察され,質的充実が図られなければならない。文民統制が充実されるためには,まず,政治や世論の側における安全保障に関する思想と施策の完璧が期せられなければならない。次いでその思想と施策の実現が国政の中で機構的に着実に保障されていなければならない。その中心は国権の最高機関である国会にある。文民統制の問題は,将来ますます機構的にも運用的にも強化充実される必要があると思われる。
次に現在の日本の防衛につきまとう二つの重要課題について考えてみたい。
自衛隊に対する憲法論については,今や自衛隊20周年記念日を迎え,われわれは,もちろん合憲を確信しているが,最高裁判所によつてその憲法判断の論拠と限界が解明されることは国民も期待しているのではないかと思われる。
日米安全保障条約の存統と運用もまた重要課題である。われわれは,同条約が明記するように,国連憲章の精神を忠実に守り,「平和と防衛」に徹して,存続,運用させようと念願する。世界の現状では,中立論も,非武装論もまたその組み合わせも,日本にとつては非現実的である。今日の世界では,自主防衛は必ずしも単独防衛ではない。最強国の米ソでさえ集団安全保障体制の中にその防衛を維持している。集団安全保障体制も,自主性をもつて国益を守りながら運用されれば自主防衛の一形態である。われわれは,相互安全保障上の日米協力の資任と限界を明確にし,このため日本固有の防衛体系を確立しつつ相互協力を効率的に行ない,日米安全保障条約を弾力的に運用しつつ在日米軍基地の整理統合を促進して行く。
最後に自衛隊の管理について一言したい。私は,長官に就任して以来,機会を求めて現地部隊をたずね,自衛官の生活に直接接触して来た。そして彼等の要望の多くは,実際の勤務と生活からにじみでた切実なものであることを知つた。
たとえば自衛官も市民であり,憲法の前では平等であるにもかかわらず,大学への受験や入学が拒否されていることに対する不満,北海道で行なわれる冬期演習に際して雪の上で幕営する場合,きびしい寒さから身を守るため,官給品以外に防寒具を自費で補足している実状等々。
私は,第一線を回つてみて,若い自衛官達が想像以上に使命感に燃え,真面目に勤務しているのを見て,しばしば目頭を熱くし,涙をかくすのに苦心した。もちろん,中には少数の不心得の自衛官もいる。しかし大部分は頼もしい日本の若者である。日本経済の高度成長につれ,自衛官の待遇と民間の待遇との隔差はますます開き, 募集は日に日に難しくなりつつある。
これが今日の自衛隊管理の最大問題のーつである。
先に民間人による「自衛隊診断の会」の勧告をいただいたが,自衛官の待遇改善は焦眉の急と指摘された。
以上のような諸点を重視しつつ,日本の防衛に関する報告と所信を記述した。いまだ必ずしも完全ではなく国民各層のご叱声を得て誤りなきを期したい。
国民各位のご理解とご鞭撻を切望する次第である。
昭和45年10月
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核兵器に対する嫌悪に近い強い拒絶や、今やその単語自体を耳にする機会が少なくなった「非核三原則」に関する記述、文民統制について巻頭文で触れていることなどからは、当時はまだ戦後25年と戦争の記憶がまだ生々しい時代であったことを感じさせます。また、自衛官の処遇の改善をここで述べるほど、昭和45年の自衛隊がまだまだ「日陰者」の存在として扱われていたことがわかります。
海自の対潜哨戒機を国産開発から一転させロッキード社のP-3Cを調達したことに関する疑惑もありますが、少なくとも中曽根氏が自衛隊を忌み嫌う政治家ではなかったことは間違いありません。
こんな熱い巻頭文が掲載されている防衛白書が今後刊行されること、あるのでしょうか?
(了)
(わたなべ・ようこ)
(令和二年(西暦2020年)1月16日配信)