明野駐屯地航空学校(9)

取材時の第1教育部長の1等陸佐は、単・複ローター合わせて約600時間の飛行時間を誇る操縦士でした。
東日本大震災の時はちょうど霞目駐屯地に勤務、東北方面航空隊長として地震発生から15分後には映像伝送装置付きのUH-1Jを上がらせ、そこから連続30時間にわたる人命救助活動を行なったそうです。真っ暗闇の仙台で夜間もヘリを飛ばせたのは、日頃からナイトビジョンゴーグルを用いて行なっていた訓練の賜物です。ヘリは有視界飛行が原則なので、陸自の航空部隊では夜間訓練はあまり多くありません。限られた訓練の成果をしっかり発揮できたということですね。
ちなみにこの第1教育部長、第12ヘリ隊長のときは平成19年7月の新潟県中越沖地震にも遭遇しています。そういった経緯から、陸自航空科が極度に即応力を求められること、災害派遣で航空機がその役割を最大限に発揮するのは最初の2~3日間であることを、身をもって知っている方でした。
第1教育部長のコメントです。

「第1教育部は師団や関係他職種部隊と密接に共同した部隊の運用についての教育を行っています。陸自航空科は、航空機を用いて時間的空間的に縦横無尽に行動する、いわば現代戦における空の騎兵だと思います。騎馬に当たる航空機の能力を最大限発揮するためには、航空科の特技を有機的に結集する、つまり特技者が集まる各部隊を有機的に組織化することが重要です。どの機能が欠けても航空科として機能を発揮することはできません。現在学生たちが不眠不休で取り組んでいるMMは、まさにそれを図上で実践しているわけです。彼らはこの先、陸自航空科職種を背負って立つ立場になります。自衛官ですから、国家の存亡を担う場面に遭遇する可能性もあります。だからこそ、今できることを淡々とやりなさいと話しています。また、上に立つ人間が部隊で失敗すれば部下から笑われますが、ここではみな同期。学生の間はプライドを捨て、大いに恥をかけとも言っています」

さて、今春に教育支援飛行隊から改編されたのは飛行教導隊です。
学生が航空偵察をしたいと言えば航空機を出し、展開地での行動を見たい、ヘリ火力戦闘の場面を見たいなどという要望には見本を見せ、時には敵役をこなし、幹部レンジャー課程の支援も行なうなど、各種訓練を航空機で支援しています。
要望が多岐にわたるため、それに応じるべく保有している航空機はUH-1、UH-60J、CH-47JA、OH-1、AH-1Sと5機種にもなります。隊員たちも最低2機種の操縦資格を保有しています(取材時、案内してくれた副隊長はなんと4機種の操縦資格を持っていました!)。
もともと教導隊と名の付く部隊にはその道のスペシャリストが集まるので、教育支援飛行隊にも腕に覚えのある操縦士がずらりと揃っています。これだけの機種を運用していること自体が、この部隊のレベルの高さを何よりも物語っています。
飛行教導隊の主任務は学生の教育支援やヘリを使った教導の研究支援ですが、中部方面総監部から要請があればチヌークで山火事の消火にも繰り出します。
かつては航空機の実用試験や運用試験も行なっていましたが、現在は飛行実験隊が担っています。ただし操縦用の教本に書かれている数値の領域を広げる検討などについては操縦士の腕が大いに関わってくるので、飛行教導隊が支援しています。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和元年(西暦2019年)12月19日配信)