神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(16)

3月15~16日
北澤防衛大臣から「官邸から、福島第一原発が非常に危険な状態なので、自衛隊に放水してもらえませんかと言う要請が来ています」と言われたとき、火箱は瞬時に「放射能拡散下の原発にバンビバケット(ヘリコプター用消火バケツ)に水を入れて放水することかな」と思った。
陸海空すべての自衛隊にヘリ部隊はあるが、海自は洋上での活動が中心、空自は救難部隊などもあるものの、山林火災などの災害派遣で出動する機会が多いのは陸自のヘリ部隊だ。
だが防衛大臣も統幕長も、「陸がやれ」とは言わない。大臣は「決死隊のようなことはさせたくない」と言う。
会議は「放水について検討する」で散会したが、陸自がこの危険な任務を担うことになると、火箱を含む全員が認識していただろう。
大臣室を出て、4幕僚長は統幕長室に移動した。しばし沈黙のなか、火箱は腹をくくった。
「統幕長、(陸自が)やるしかないでしょう。これから作戦を検討します」
陸幕の部長クラスを集めて会議結果を説明し、「状況不明、しかもリスクがある。成果も確信も持てないが、とにかくやるしかない」と情報収集を開始、統幕と共に作戦を練り始めた。その一方で、火箱の胸の中には「どうしてもっと早く言ってくれなかったのか」という悔しい思いがあふれていた。
政府が、東電が、もっと早く原発内部で起きている状況を詳細に知らせてくれていれば、わかっていることを包み隠さず教えてくれていれば、地上からの注水も全国からありったけの放水車を集めて一斉注水できていただろう。そうすれば1号機や3号機の爆発を防げていたかもしれない。少なくともこの3日間で自衛隊としての作戦を立てれば、違った方向で原発事故に対応できたと思うと悔やんでも悔やみきれなかった。
しかも、原発上空から放水するという要請があったこの時点でも、放射能が周辺や上空にどれくらい飛散しているのか、原子炉のどこまで近づくことができるのか一切わからない。原発の状況は火箱ですらマスコミ報道から知るしかない状態だった。
「作戦を立てるには敵の状況を把握しなければならない。敵=原発の状況がこれだけわからないと、作戦も立てようがない」
それが本音だったが、それでもやるしかない。
懸念されていることは、3、4号機の燃料プールが干上がったら放射能が拡散し、二度と原発周辺に近づけなくなること、そして原子炉内に海水は入れているが、枯渇すればメルトダウン、メルトスルー、最悪原子炉が破烈するかもしれないということだ。
この状況を踏まえ、統幕・陸幕で検討のうえ、まず4号機の燃料プールへの投下を行ない、次いで3号機への投下を行なうことになった。併せて2・4号機のホウ酸投入も準備した。
建屋上空でヘリの搭乗員や機体にどのような放射線被ばくがあるかも予測できないので、ヘリの密閉化とクルーに対する完全防護を指示し、また放射線遮蔽に有効だというタングステンシートをCH‐47ヘリの座席や床に貼った。
16日、14時20分。
ヘリが放水予定の4号機近くに到達すると、放射線量が高く線量計の警報機が鳴りっぱなしになった。
折木統幕長は「最初は無理するな、一度帰ってこい」と作戦中止を了承した。
しかし放水するとばかり思っていた火箱は思わず統幕長室に駆け込み、「時間がないのになにやってるんですか!」と、防大の2期先輩である折木統幕長に食ってかかった。
「明日は絶対やりましょう」
ただ、このフライトにも成果があった。モニタリングにより、機内の空間線量は予想以上に低く、4号機の燃料プールには水が入っているのを確認できたのだ。これにより、17日に3号機に放水することが決まった。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)8月19日配信)