神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(12)

最後に電話したのが北海道の北部方面隊だ。第7師団(東千歳)、第2師団(旭川)、第5旅団(帯広)、第11旅団(真駒内)という4師・旅団がある。

「道央・政経都市である札幌を担う第11旅団は動かせない。5旅団も津波が来るかもしれないから、今すぐには動かせないな」

同じ部署で一緒に勤務したこともある防大の3期下の後輩、千葉徳次郎北部方面総監に「2師団は出せるか」と聞くと「出せます」。「7師団は?」と聞くと、千葉総監が返事をためらった。
7師団は陸自唯一の機甲師団で、北海道防衛の虎の子である。「装軌車や装甲車で自走化された部隊のため、災害派遣には不向き」というのが千葉総監の考えだった。火箱はその意見を受け入れ、7師団については司令部を動かさず、一部の隊員だけを出すことにした。
また、方面直轄部隊である野戦特科部隊の第1特科団と北海道全域の防空を主任務とする第1高射特科団も出すように指示、さらに兵站については東北方面隊に依拠するのではなく「北方の部隊は自ら面倒を見ろ」と指示した。
というのも、北部方面総監部幕僚長時代の2004(平成16)年に発生した新潟県中越地震で支援要請に応じて部隊を派遣したものの、管轄の東部方面隊に増援部隊への兵站支援組織が不足し、満足な兵站支援を受けることができなかったという苦い体験があったからだ。結果、北部方面隊は岩手駐屯地に前方支援地域を開設し、自分たちの部隊の兵站基盤を確保した。
北部方面隊の移動で最大の問題は、被災地と陸続きでないことだ。部隊が機動展開するためには、隊員輸送のための輸送船が必要になる。

「船は俺がなんとかする。小樽でも苫小牧でもいい、どの港でもいいからとりあえず部隊を集結させておけ」

これまたざっくりした指示だったが、部隊はそれに従った。
杉本海幕長に連絡し支援を頼んだところ、あいにく海自の輸送艦はすべてドックに入ってしまっていて、出港まで48時間はかかるという。到底待てる時間ではないので、民間のフェリーを調達する指示、利用することになった。
5方面隊の各総監すべてに指示を終えたのは15時15分。地震が発生してから30分足らずという初動の段階で、火箱は以下の4点を押さえたことになる。
・各方面隊に残置部隊と派遣部隊、待機部隊を明示すること
・津波対応のため架橋能力、道路補修能力を持つ施設団を同時派遣すること
・人命救助と避難者の生活支援を当面の任務として優先させること
・兵站体制は北部方面隊、東部方面隊が被災地を挟むように支援すること
この結果、発災から72時間後には約3万人の部隊が現地で活動、3月18日には「陸海空10万人体制」が成立した。
最後の生存者が発見された3月19日までに救助された被災者の総数は2万7157名、7割以上を占める1万9286名を自衛隊が救助した(救助者のうち1万4937名は陸自によるものである。さらに、発災後72時間以内に自衛隊が救出した人は1万2351名だった)。
参考までに、警察の救助実績は3749名、消防461名である。阪神淡路大震災での救助実績が警察3495名、消防1387名、自衛隊165名だったことを考えれば、初動が「命」に直結していることを改めて思い知らされる。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)7月15日配信)