神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(9)

2011(平成23)年3月11日。
その日、火箱は午前から防衛省の防衛事務次官室で開催されている情報委員会に出席していた。
参加者は防衛事務次官、統幕長、陸海空各幕僚長、情報本部長、内局の防衛政策局長ほか課長クラスを含めて10名ほど。奇しくも統幕長以下陸海空自衛隊のトップが一堂に会する会議中だった。
15時30分には久留米の幹部候補生学校に向かい、卒業式で訓示を述べる予定になっていた。
時計を見て「そろそろかな」と退出準備を始めようかとしたそのとき、次官室が大きな揺れに襲われた。
「おっ、なんだ!」
火箱の背後の壁に飾られている大きな絵画が波打つように激しく揺れている。「危ない、頭に当たりますよ!」と中江事務次官から声をかけられ、慌てて隣の折木良一統幕長と左右から額縁を押さえた。これほど強い揺れを経験するのは、火箱にとって初めてのことだった。
「東京がこれほど揺れるとは。どこだ、震源地は」
すぐにテレビのスイッチを入れると、東北の太平洋沖を震源とするマグニチュード8.4(のちに9.0に修正)の地震で津波警報も発令されている。
昨年訪れて見てきた建て直したばかりの東北方面総監部庁舎や、1960(昭和35)年のチリ地震で松島を襲った津波の高さなどを君塚栄治東北方面総監から示されたことが脳裏に浮かんだ。同時に、第10師団長時代に起きた能登半島地震のことを思い出した。
名古屋の官舎で大きな揺れを感じた火箱は「震源地が離れているのにこれほど揺れたということは、現地ではより大きな被害が出ているはずだ」と考え、「一刻も早く現地へ」と、怒涛の勢いで指示を出して部隊を現地に派遣したのだった。
「能登半島のときと同じだ。東北はとんでもないことになっているはずだ」
東北地方は30年以内に大地震が起こるのがほぼ確実と言われていたから、東北方面隊も自治体とともに「みちのくALERT2008」と呼ばれる訓練を実施するなど、防災対策にはとりわけ力を入れてきた。しかし、この地震は予想されていた規模よりはるかに大きかった(政府の見積もりではマグニチュード7程度の地震が想定されていた)。
「『東北地方で発生する地震には東北方面隊の約2万人で対応する』という当初の地震対処計画では、とても対処しきれないはずだ。全国から部隊を集めて東北に送らなければ」
会議は即刻中止となり、火箱を含む4幕僚長や会議に参加していた者たちは、それぞれの部屋へと飛び出して行った。
会議が行なわれていたのは11階、統幕長室は14階で陸幕長の執務室は4階だ。エレベーターは止まっており非常階段に向かうとき、火箱は統幕長に「部隊集めますから!」と言った。別れ際だったのでいいも悪いも返事を聞くことのないまま、4階まで一気に駆け下りた。
災害における人命救助には「72時間の壁」がある。この時間を過ぎると著しく生存率が下がるため、1分1秒でも早く、被災地に大部隊を送り込み生存者を救出しなければならない。
「全国から部隊を集めるといっても、どこを送るか」
階段を駆け下りながら頭の中は目まぐるしく動き、構想を固めた。
「戦争も災害も初動が大切だ。これは戦争だ。負けたら国は亡びる。絶対に負けられない」
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和三年(西暦2021年)6月24日配信)