神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(5)

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オリンピックと自衛隊

1964東京五輪は、自衛隊の支援なしに成功しなかった!
2020東京五輪も、自衛隊は同じ役割を求められることになる
知られざる自衛隊の苦難と栄光の歴史が、ここに明らかに!!
オリンピックに熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。

自衛隊家族会発行「おやばと」、「隊友」160715号、 「月刊モデルグラフィックス」2016/8号「月刊丸」2016/8号160712「防人の道 NEXT」「歴史群像」8月号(学研)160701 桜林美佐の国防ニュース最前線、「月刊世界の艦船」2016/9号、160809 政治学者・岩田温の備忘録 で取り上げられました。





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神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱芳文の半生(5)

前回は、火箱氏の幼少時から防大や幹部候補生学校を経て初めて部隊に配属されるまでの時期のご紹介でした。半年間(現在は9か月)の教育を経ていよいよ部隊に配属されることになり、火箱氏は「北方の最前線でソ連を追い払ってやる」をやる気満々でした。ところがまさかの沖縄! 第1混成団第1混成群第302普通科中隊(那覇)でした。
幹候を出て最初に那覇に配属された初級幹部には1つ上の先輩たちがいて、彼らが本土復帰後の沖縄に初めて配属され火箱氏が第2陣でした。しかし「幹候を出て最初の配属が沖縄」というケースは、普通科職種からはこの第2陣が最後となりました。それほど当時の沖縄は厳しいところだったのです。
ではここからが連載の本文です。

 

 

1974(昭和49)年9月、陸上自衛隊幹部候補生学校を卒業した火箱は第1混成団に配置された。
冷戦真っ只中の時代、最前線である北方(北海道)を第一希望の初任地としていた火箱にとって、1972(昭和47)年5月に返還されたばかりの沖縄に配置されることは本意ではなかった。幹候で一緒に学んできた同期も、沖縄には行きたくないと思っている者ばかりだった。現地部隊がどれだけ苦労しているか、話に聞いていたからだ。

 

火箱がどのような環境のもと、どのような部隊で働くことになったのかを知るために、第1混成団について触れておく。
返還後の沖縄に自衛隊を配置させるべく、1972(昭和47)年3月に北熊本駐屯地にて臨時第1混成群が編成された。同年8月には朝霞で第6高射特科群も編成され、この2つの部隊を沖縄に移駐し、1973(昭和48)年3月に第1混成団が編成された。

 

沖縄には復帰直後から那覇施設管理隊の約50名が駐在していたが、群の主力が赴いたのは1972(昭和47)年10月4日からである。YS-11が降り立った空港には100名余りのデモ隊が「日本軍上陸! 阻止粉砕!」のシュプレヒコールを叫んでいたそうだが、北熊本駐屯地でもすでに散々「沖縄派兵反対」「自衛隊移駐反対」とコールされていた隊員たちにとっては、出迎えのデモとしては想定内だった。
しかし2日後の10月6日夜には、約150名しかいない那覇駐屯地に対して約8000名(主催者発表では1万2000名)のデモが行なわれた。部隊側は籠城の準備を整えた上で駐屯地内の照明をすべて消し、一切の物音も立てず、ひたすら沈黙することでデモ隊の気勢を削いだという。
その後もデモは続き、駐屯地を訪問しての抗議行動も途切れることなく数カ月連続して行なわれるなど、沖縄の自衛隊への拒絶反応は相当なものだった。沖縄県民を悲惨な戦渦に巻き込んだ旧軍と自衛隊が同列に見られていたことが、デモ隊から「日本軍帰れ」と叫ばれていたことからもわかる。火箱が着任したときの第1混成団長である桑江良逢(正しくは1点しんにょう)氏の著書『幾山河』によると、これが「自衛隊帰れ」に変わったのは年が明けて1973(昭和48)年になってからだったそうだ。

 

若い火箱から見た桑江団長は、「将官というのはこんなにもオーラがあるのか」と思わせる人だった。
いつも柔和だがびしっとしていて立ち振る舞いに威厳があり、自分もこんな自衛官になりたいと尊敬する存在だった。
火箱らの着任を大いに歓迎した桑江氏は、空港にたくさんの出迎えを寄こしただけでなく、そのまま団長室に招いたほどだ。仕事に対しては厳しかったが、自宅に呼ばれたり食事をごちそうしてもらったりと、幹候を出たばかりの火箱らをかわいがってくれた。
団長と幹部候補生の距離がここまで近いのはかなりレアといえるが、桑江氏は防衛大学校で大隊指導教官や訓練課長を務めていたという経歴からも、これからいよいよ部隊に配置される若い幹部自衛官たちに目をかけ応援する気持ちが強かったのかもしれない。

 

 

 

(つづく)

 

 

 

(わたなべ・ようこ)

 

 

 

 

(令和二年(西暦2020年)1月30日配信)

 





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