自衛隊の「平成の30年」(2)

先週は自衛隊初の海外派遣となった湾岸戦争における掃海部隊派遣の話を中心に、自衛隊の海外派遣について振り返りました。
今週は国内に目を向けて、自衛隊の災害派遣の変遷をご紹介します。
平成7(1995)年の阪神淡路大震災は、自治体と自衛隊の災害派遣に対する従来の姿勢や概念を根底から覆すことになった未曽有の災害でした。
当時はまだ自衛隊に対する風当たりは今よりも強く、特に関西地方はその傾向が顕著だったこともあり、自治体と自衛隊の連携というのは控えめに言ってもそうあることではありませんでした。
今でこそ自治体・警察・消防・自衛隊合同による防災訓練は各地で行なわれていて珍しいものではなくなりました。実際、私も2008年8月29日から4日間にわたり防衛省・自衛隊が行なった「平成20年度自衛隊統合防災演習(実動演習)」の最終日に当たる「防災の日」である9月1日に実施された近畿圏で初めて行われた大がかりな防災訓練「政府総合防災訓練(近畿府県合同防災訓練)」を取材しています。これは東南海・南海地震を想定した大規模な防災訓練でした。
阪神淡路大震災に話を戻します。
当然ながら地震発生後、自治体による自衛隊への災害派遣要請は遅れに遅れ、自衛隊もまた要請がなければ動くことができず(実際には訓練という名目で動き出してはいました)、自治体は自衛隊の「自己完結」という利点を生かすことができないまま多大な犠牲者を出しました。
このあまりに苦い経験が法改正につながり、教訓は東日本大震災で生かされることになったのです。
余談ですが、震災当時の与党だった政党の議員が、今から10年近く前でしょうか、「自衛隊の対応が遅れたから多数の死者が出た」旨を自身のブログに掲載し炎上、削除したところさらに大炎上したことをよく覚えています。
その議員は法務大臣まで務めたのですが(ひとりの死刑執行も行なうことはありませんでした)、ブログ内で「日本自衛隊」という存在しない表記をするなど、あまりに稚拙なブログの中身に「無知も休み休み言ってくれ」と嘆息したものでした。腹立たしさを通り越して、これが国会議員として発信する知見かと、あまりの無知さに失笑が漏れたほどです。その議員はその次の選挙で落選しました。
阪神・淡路大震災における救助実績は、警察3495名、消防1387名、自衛隊165名です。自衛隊の救助実績のみ3桁であること着目してください。
一方、東日本大震災での救助実績は、警察3749名、消防4614名、自衛隊1万9286名でした。
この自衛隊の飛躍的な救助実績アップは、初動対処部隊を整えていたことが要因に挙げられます。
また、地方自治体との連携という面では、近い将来起こると予測されていた宮城県沖地震への対処能力向上を目的に、東北方面隊全部隊、太平洋に面した24自治体、防災関係35機関ならびに一般市民を含めた約1万6000名もの人員が参加した東北方面隊震災対処訓練「みちのくALERT2008」の経験等が生かされました。
現在、初動対処部隊は「ファスト・フォース」という名称に改められ、自衛隊の災害に対する行動「災害派遣」「地震防災派遣」「原子力災害派遣」の3の災害派遣をすぐに行なえるよう態勢を強化。
2015年度には陸自人員約4000名、車両約1100両、航空機36機が全国の駐屯地で24時間待機し、一定規模以上の地震が発生するとヘリによる偵察を行ない、1時間を基準とした陸自の出動、また海自の初動対応艦の出動などの態勢を整えました。また、国や地方公共団体などが行う防災訓練にも積極的に参加し、各省庁や地方公共団体などの関係機関との連携強化を図っているほか、災害派遣活動を円滑に行なうためには平素から地方公共団体などと連携を強化することが重要だとして、防災の分野で知見のある退職自衛官の推薦などを行なっています。
平成30(2018)年3月末現在、全国45都道府県・291市区町村に432人の退職自衛官が地方公共団体の防災担当部門などに在籍しています。
このような人的協力は防衛省・自衛隊と地方公共団体との連携を強化する上できわめて効果的であり、東日本大震災などにおいてその有効性が確認されました。
(わたなべ・ようこ)
(令和元年(西暦2019年)7月11日配信)