航空自衛隊 警戒航空隊(2)

AWACSをすっぽり収められるとあって、ハンガーも巨大です。整然と片付けられたハンガー内で黙々と自分の仕事をこなしている隊員たちが、やけに小さく感じます。面白いのはAWACSを囲んでいる足場で、ロートドームの部分はその形に合わせて円形になっていること。この足場そのものも、年に1度しっかり整備されるそうです。
このロートドーム、一見薄い皿のような感じですが、実は直径9・1m、厚みはなんと1・8mもあります。レーダーアンテナですから、飛行中もくるくる回転しています。旅客機B-767の上にこんな大きなロートドームを取り付けるとなんて、機体の安定性などはどうなってるの? と思ったところ、なんと操縦にはなんの影響もないそうです。
AWACSの機内は機密も多いのですが、取材時に撮影を許可された場所だけでも十分に興味深いものでした。
窓がないせいか、オペレーションルームだけを見ていると、まるでオフィスの一室のようです。そこにはミッションクルーコマンダーの指揮下、兵器管制官や警戒監視員、通信や電算機、レーダーの整備員などが並んでいます。後部には休憩エリアがあり、足を伸ばして休めるようになっています。
機内を案内してくれたパイロットである3等空佐によると、「長時間のフライトが多いので、オペレーションルームや休憩エリアのシートは、少しでも快適な座り心地になるように考慮されています。この飛行機の中で一番悪いシートに座っているのはパイロットですね。眠くならないようにでしょうか(笑)」とのこと。確かにコックピットの座席だけはやけに無骨な造りで、おせじにも座り心地がよさそうには見えませんでした。
浜松と三沢を行き来している警戒航空隊司令にも話をうかがいました(取材時はまだ部隊改編前だったので那覇に部隊はなく、対本部が浜松と三沢の2か所にあったのです)。この隊司令、かつてはF-15で大空を自在に駆け巡った、生粋のファイターです。

「1月のうち1週間は三沢にいるようにしています。指揮官の現場進出というのはとても大切なことです。自分の目で見て肌で感じることによって、部隊をどう指揮するか考えなくてはなりません。現場に行くことによって、電話で報告を受ける場合でも伝わり方がより正確になるし、聞いた内容についてもイメージが湧きやすいんです。そうすると部隊の状況判断が正確に把握できるようになり、判断を誤らない。これが部隊指揮の鉄則ですね」
「三沢にいる部隊が大変なのは、任務が付与されたら即、機動展開をしなければならない点です。AWACSは機動展開せず、ここ浜松から前方に移動するのが基本ですが、E-2Cは滞空時間が長くないので、必要な場所に一番近いところに展開させ、そこから使うんです。それからやはり場所柄、冬の天候も厳しいものがありますよね」

三沢の部隊もさまざまな苦労があるはずですが、どうしてもAWACSという華やかな機種のある浜松が脚光を浴びがちです。同じ警戒航空隊という部隊でありながら注目度に差が生じやすい状況は、三沢の隊員たちの士気に関わらないのでしょうか。

「そう危惧されるかもしれませんが、彼らは非常に高い意志を持って任務を遂行しています。自分たちには迅速に機動展開して任務をこなせる実力がある、そう自信を持っているんです。だから淡々と任務をこなして淡々と帰ってくる。E-2Cは航空機の維持管理も非常に大変で、第1整備群にかかるプレッシャーは相当なものなんですが、忙しければ忙しいほど彼らの士気は高いんです」
「警戒航空隊全体の動向ですが、9・11以降、新たな脅威であるテロを対象とした任務が付与されるようになりました。そもそも警戒航空隊が発足したきっかけがミグ事件だったことからもわかるように、今までは軍用機という純軍事的な対象だけを追っていたのです。ところが9・11後は、空を飛んでいるものすべてを警戒しなければいけなくなりました。警戒する対象が大きくなったわけです。そういう時代だからこそ、訓練ひとつ取ってもその目的や本質を意識し、考えながら行わなくてはらない。その訓練の必要性を認識しなければならない。それが国家国民の負託に応えるという究極の目的につながっていくのです」

われわれは国家国民を守る義務を負った奉仕人なのですと、隊司令は話を締めくくりました。
「われわれは奉仕人」という言葉はその後もずっと心に残っていて、拙本『オリンピックと自衛隊』の「おわりに」でも触れました。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(令和元年(西暦2019年)5月30日配信)