与那国駐屯地と沿岸監視隊(5)

先週は隊員たちが島の人々に受け入れられるまでを紹介しました。
ただし、島民の「迷彩服」に対する抵抗感は根強いものがあります。一部の島民は制服の1つであり着用しているのが当たり前という認識でいてくれているようですが、島民の多くはこれまでの生活で一切接することのなかった迷彩服に威圧感や「軍隊」のにおいを感じるようです。
それでも町のイベントに塩満隊長らが迷彩服でも参加しているというから、島民の慣れ次第、というところもあるかもしれません。
経済効果も早くも出て来ています。
駐屯地等施設の建設時、島には最大800名の作業員が在住していたというから、ちょっとした「自衛隊バブル」と言われました。
与那国島の住民数は2016年2月末日現在で1490名だったのが、自衛隊配備後の同年7月末日現在1702名に増加。
自衛官とその家族が増えたことで町民税が概算で約4300万円アップ、さらに駐屯地の土地賃貸料1500万円も毎年入ります。実際にこれだけの収入が島にもたらされるようになった今、反対派の声がフェードアウトしていくのはある意味必然といえるでしょう。
災害派遣を巡ってある出来事も起こりました。
昨年4月、海岸で行方不明者が出た際、与那国町は沿岸監視隊に捜索を依頼しました。まつりの準備や草刈りなどさまざまな依頼を快諾してきてくれたのだから、ましてや人の命がかかっている事態で断られるわけがないと思っていたのでしょう。
しかし部隊は「沖縄県知事から災害派遣要請がない限り動けない」と返し、町を落胆させました。
その後、沖縄県知事から災害派遣要請を受けてから人員約50名、車両10両の捜索部隊を出しているのですが、最初の依頼を断られたことで、町側は「自衛隊が遠くなった」。
町側の気持ちもわかりますが、部隊が超法規で勝手に行動することは許されるわけがなく、それは行方不明者が誰であっても同じ対応だったはずです(その後海底から遺体で発見された行方不明者は、与那国町への自衛隊配備計画に反対する組織の共同代表を務めている人物でした)。草刈りやまつりの準備も、部隊側はかならずなんらかの訓練という名目で行なっているはずであり、役場の人たちがそれを認識していなかっただけです。完全に災害派遣と民生支援を混合してしまっているようです。
自衛隊という火力を扱う組織だからこそ決まりごとの遵守が不可欠だということを、自衛隊受け入れの可否に揺れた町だからこそ理解してもらいたいものです。なによりも、すぐに捜索できずに悔しい思いをしたのはほかならぬ隊員たちです。
しかし総合的に見れば、与那国島はこれから陸上自衛隊警備部隊が配備される石垣島、宮古島、奄美大島にとってよい手本となっていると言っていいでしょう。島を二分するほど賛成派、反対派双方がぶつかり、それでも現在は町の祭りに迷彩服姿の隊員が参加するまでになりました。双方の努力あってのことです。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成29年(西暦2017年)4月6日配信)