海上自衛官(3)

被害者の家族と米海軍との板挟みで苦しむ日々が続きます。それはつまり、行方不明者の家族と米海軍の関係が著しく悪いということでした。そんなとき、林1佐が「私が生まれる前に母も海難事故で息子を亡くしました」と話したことで、家族の態度が変わったそうです。
加害者だと思っていた林1佐の家族も自分たちと同じ思いを経験していた。これは家族にとって大きな驚きでした。ということは、自分たちの気持ちをわかってくれているのではないか。
 自衛官を含む家族の態度が次第に変わり、林1佐の立場にも理解を示すようになっていきました。そして家族から「愛子さんに会わせて欲しい」という声が上がり、愛子さんとご家族は話す機会を得ました。
 ともに涙を流し、つらい思いを共有し、互いの気持ちに寄り添う時間は、慣れない土地で行方不明の息子、娘を探す家族にとって、わずかでも救われるひとときだったのではないでしょうか。
 米海軍の艦艇が行方不明者の捜索をしている様子を、家族はいつも陸から見つめていました。「生存している可能性が極めて低い」という合理的な理由で、米軍は捜索を早々に打ち切ろうとしました。それを止めたのが林1佐です。
 海上自衛隊の場合、家族から「ありがとう、もう十分です」と言われるまで、可能な限り捜索を続けようとします。家族の気持ちが納得するまで、見つかる可能性は限りなく低いとわかっていても捜索をやめません。その姿勢を米海軍にも強く求めたのです。
 米海軍がいよいよ大規模な捜索活動の打ち切りを決定した後も、「小規模でも捜索活動は継続して欲しい。さらには作戦行動中の艦艇・航空機が周辺海域を航行・飛行する際には、海面の捜索を兼務して欲しい」と林1佐は進言しました。これが、人の生死に関係した事故に対する日米の考え方の相違を埋めるための苦労の第一歩でした。この日米間の考え方の相違が、このあと遺体や遺品に対する想いの違いにおいても浮き彫りになってくるのでした。
 また、責任者が家族へ直接謝罪するという話になった際、林1佐に「日本式の謝罪のしかたを教えて欲しい」と言ってきたそうです。「Youではなく、ちゃんと〇〇さんと相手の固有名詞で話すように」。林1佐は自分よりも階級が上の海軍士官に強い口調で言いました。頭を下げてお詫びしなければいけないと言うと、日本人からすれば軽い挨拶でも交わしているかのようなおじぎをしたため、「そうじゃない、自分の靴の先を見つめるほど頭を下げるのがお詫びだ」と、その士官の頭をぐいぐい押して、「この角度まで」と教えたそうです。階級社会の軍隊では考えられない光景ですが、海軍士官は林1佐にされるがままでした。そして実際に家族に会った際は、教わったとおりに深々と頭を下げ、家族すべてをYouでもMr.~でもなく、日本式に「〇〇さん」と呼び、謝罪したのでした。
 林1佐は言います。
「母は決して自分の思いを口には出しませんでしたが、米海軍関係者、被害者のご家族、日米両国での世論などの狭間で私がもがき苦しんでいたとき、たった一度だけ胸の内に秘めた思いを語ってくれた言葉が今でも忘れられません。

『洋の東西を問わず、人は誰でも誰かの息子や娘として生まれ、いつかかならず誰かの父か母になるのだよ』。

大切な家族を失った人、誰かの大切な人を奪った人、立場は異なっても“思いはひとつ”、“誠意を示せば必ず通じる”ということを伝えたかったのかもしれません。大切な家族と一緒に乗り越えた任務から私が得た貴重な教訓です」
 89歳になった愛子さんは(2015年当時)、もう一度ハワイに行ってえひめ丸の慰霊碑に手を合わせたいと言っているそうです。そしてハワイに行くまでは別々に暮らしていた林1佐と愛子さん、帰国してからは一緒に暮らし始めました。口には出さなくても、困難な時期を乗り越えたことで、母子の絆はいつしか強くなっていました。
 ここまではJDA Clubに掲載された記事に加筆したものです。
 愛子さんは今年9月、林1佐が見守るなか、90年の生涯を閉じられました。ご冥福をお祈りいたします。
 私事ですが棺の中にJDA Clubの記事を入れてくださったと聞き、胸が熱くなりました。
 また、この連載は今回の3回で完結する予定でしたが、林1佐からさらなる情報提供のご協力をいただけることとなったため、来年のメルマガは「海上自衛官04」からスタートする予定です。与那国島レポートはその後となりますのでご了承くださいませ。
 今年も読者のみなさま、そして管理人様のおかげで、メルマガを続けることができました。本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
 それではよいお年を!
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)12月22日配信)

読者より

いつもお心のこもったレポートを楽しみに拝読しております。
林一佐を支えるお母様のご立派な姿勢に胸を打たれました。
軍人と言わず一般人と言わず、だれでも壮絶なドラマを
背負って生きていると思います。
 若干ずれた話になることをお許し下さい。
近時、海外派遣時の我が国の自衛隊員のモラルの高さが
外国の軍隊から称賛される旨の記事を目にします。
それらを見聞きするとき、義和団の乱に際して派兵された
日本軍の規律を守る姿勢が高く評価された史実を思い浮かべます。
その後の日本軍、とりわけ陸軍の変容ぶりを考えると、
自衛隊ですら環境が変われば、非難やそしりを受ける行動を
することが無いとは限りません。
戦後、努力をコツコツと積み上げて今日に至る自衛隊員並びに
関係者への評価が変わることの無いよう、これからも努力して
いただきたいものです。
 毎回の渾身のレポートの作成はお疲れになるかもしれませんが、
これからもご自愛のうえがんばってください。(F)
誰でもドラマを背負っている、まさにその通りですね。
取材したのは1年半近く前ですが、お話を聞きながら
涙をこらえるのに必死だったことを、昨日のことのように
覚えています。あたたかいメッセージをありがとうございました。
(渡邉)
今回の渡邉さんのコラムの自衛官については全く知らないものでした。
まだ連載2回目ですが、これは多くの方に知ってもらう必要の
ある内容だと感じました。ぜひ書籍化希望します。(K)
ひとりでも多くの方に知っていただきたいという思いで、
今回メルマガでもご紹介させていただきました。
けれど確かに、もっともっと知っていただきたいですね。
励みになるメッセージ、ありがとうございます。
(渡邉)
林一佐の母上は大した方ですね!
自宅にまでかかってきた電話を書き留めて渡すとは…。最初はさぞ混乱したでしょうが、冷静に対処されたことには感動すら覚えます。
聞いてあげて自分一人で背負い込まず、林一佐に伝える。危機対応のお手本みたいです。こういう方であれば、適切な慰めの言葉も相手に伝えることができたことでしょう。こういう良いお話は、もっと拡散していただきたいものです。(B)
私も同じように感じました。ご本人も心細かったはずなのに、
毅然とした態度でいらしたことに感服しました。
今回の記事も、ぜひお読みください。ありがとうございました。
(渡邉)