陸上自衛隊防災マニュアル(3)

阪神淡路大震災の教訓により、法整備や各種対策が講じられました。今回はその続きからです。
 政府の防災基本計画も4年ぶりに修正され、情報連絡体制の充実や共同の防災訓練の実施など、平常時から自衛隊と地方公共団体などとの連携もより強化されました。同年10月には防衛庁防災業務計画が修正、自主派遣の基準が次のように定められました。

  • 関係機関に対して当該災害に係る情報を提供するため、自衛隊が情報収集を行なう必要があると認められること
  • 都道府県知事等が自衛隊の災害派遣に係る要請を行なうことができないと認められる場合に、直ちに救援の措置をとる必要があると認められること
  • 自衛隊が実施すべき救援活動が明確な場合に、当該救援活動が人命救助に関するものであると認められること
  • その他、特に緊急を要し、都道府県知事等からの要請を待ついとまがないと認められること

 また、震度5弱以上の地震が発生した場合、災害派遣要請の有無に関わらず速やかに自衛隊の航空機により発生地域およびその周辺について目視、撮影等による情報収集を行ない、官邸などにその情報を伝達できる態勢も整いました。
 熊本地震でも14日の地震発生から21分後には、福岡県の航空自衛隊築城基地からF-2戦闘機が緊急発進、続いて9州北部の各基地・駐屯地からヘリコプターやP-3C哨戒機、U-125A救難捜索機が発進しています。
 東日本大震災でも、情報収集のため飛行した自衛隊のヘリから撮影された、川を遡上し田畑を飲み込んでいく津波の光景は、いまだ記憶に新しいものです。
 さらに状況に応じ、関係地方公共団体などへ連絡要員を派遣、情報収集を行なうこととしています。
 次に、東日本大震災における自衛隊の災害派遣についてご紹介します。
 2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生しました。
 マグニチュード9.0、阪神・淡路大震災の1450倍ものエネルギーの地震であり、死者・行方不明者1万8455名という甚大な被害を受けた未曽有の災害です。
 さらに福島第1原子力発電所事故により、自衛隊の災害派遣は地震・津波被害に対する災害派遣と原子力災害派遣が同時に進行することとなりました。
 防衛省は14時50分に防衛省災害対策本部を設置、15時30分には第1回防衛省災害対策本部会議を開催しています。この早さにご注目ください。道県知事からの災害派遣要請も岩手県知事の14時52分を筆頭に、阪神・淡路大震災に比べきわめて早い時点で行なわれています。
 自衛隊は震災発生当日の深夜までに約8400名の人員と航空機190機、艦船25隻を投入、翌日には2万人、4日後には約7万名の人員が救援活動に従事。
 陸自東北方面総監を指揮官とする初の統合任務部隊も編成され、航空機による情報収集、被災者の捜索および救助、消火活動、人員および物資輸送、給食支援、給水支援、入浴支援、医療支援、道路啓開、がれき除去、防疫支援、ヘリコプター映像伝送による官邸および報道機関等への情報提供、自衛隊施設(防衛大学校)における避難民受け入れ、慰問演奏、政府調査団等の輸送支援を実施しました。
 災害派遣の活動実績は延べ人員約1058万人(1日の最大派遣人員約10万7000人)が出動し、人命救助1万9286人(全体の約7割)、遺体収容9505体(全体の約6割)、給食支援約500万食、入浴支援約100万人、物資輸送1万3906トン、給水支援3万2985トンと、その規模は阪神・淡路大震災をはるかに上回るものとなりました。
 また、原子力災害派遣については3月11日~12月26日の間で、避難支援、給水支援、人員および物資輸送、原子炉冷却のための放水、モニタリング支援、ヘリコプター映像伝送による官邸および報道機関等への情報提供、上空からの撮像、集じん飛行支援、現地調査団等の輸送支援、除染活動の拠点となりうる役場の除染を実施。延べ人員約8万人が従事しました。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)9月15日配信)