陸上自衛隊防災マニュアル(1)

今週から新連載です。月刊「丸」2016年8月号に掲載された
「陸上自衛隊防災マニュアル」に加筆し、災害大国日本で培われた
陸上自衛隊の災害対処能力をひも解きます。
 まずは「災害派遣の苦い教訓 阪神・淡路大震災」として、
阪神・淡路大震災の前と後で自衛隊の災害派遣にどのような変化が
生じたかをご紹介します。
 次に東日本大震災の災害派遣では何が変わったか」として、
自衛隊の災害派遣を阪神・淡路大震災と比較します。
 そして最後は「災害対処へ対応するための平素から行なわれている
取り組み」として、自衛隊の現在の災害対処への取り組みと、
その一例として千葉県にある陸上自衛隊高射学校の防災訓練の
レポートをご紹介します。
 2016年4月14日21時26分頃、そして2日後の16日1時25分頃、
熊本県熊本地方を震度7の地震が襲いました。
 自衛隊はいずれの地震も発生直後から情報収集を開始、
14日に熊本県知事、16日には大分県知事から人命救助にかかる
災害派遣要請を受けました。
 以来、5月30日に撤収開始するまでの間に、即応予備自衛官を含む
人員延べ81万4200名(ピーク大時約2万6000名)、航空機延べ2618機
(最大時132機)艦船延べ300隻(最大時15隻)を派遣しました。
 ほか、4月18日~4月23日には米軍輸送機による輸送支援として、
米軍輸送機UC-351機、C-130延べ4機、MV-22オスプレイ延べ12機により、
生活支援物資等が南阿蘇村へ輸送されました。
 倒壊家屋からの住民救出、崩落した阿蘇大橋付近で行方不明者の捜索、
避難所における給水や入浴支援、物資配給、がれき搬出などに加え、
民間フェリー「はくおう」を休養施設として開放するなど、その活動は多岐に
わたりました。
 これら一連の活動が円滑かつ効率的に進み着実な成果を挙げたのは、
自衛隊が常日頃から災害派遣に備えていることや自衛隊が災害派遣するための
法的根拠が整備されていること、さらに自治体とのスムーズな連携など、
複合的な要因によります。それらは一朝一夕に構築されたものではなく、
1995年の阪神淡路大震災の教訓から積み重ねられてきたものです。
 自衛隊の災害に対する行動には「災害派遣」「地震防災派遣」「原子力災害派遣」
の3種類が定められています。
 それらの災害派遣をすぐに行なえるよう、平素からファスト・フォースと
呼ばれる初動対処部隊を全国158カ所の駐屯地に待機させています。
 ファスト・フォースは一定規模以上の地震が発生するとヘリによる偵察を行い、
1時間を基準とした陸自の出動、また海自の初動対応艦の出動などの体制を整えています。
 災害派遣には、
1・情報収集、
2・派遣部隊投入、
3・災害派遣活動
という3つの大きな流れがあります。
 まず災害が発生すると、自衛隊は災害派遣要請と前後して指揮所を開設、
情報収集を行ないます。それにより部隊の投入地域を検討し、部隊の前進目標
や経路を決め、自治体や関係機関との派遣活動に関する調整等を経て派遣部隊
を投入。そして人命救助や生活支援、増援部隊の受け入れといった災害派遣活動
を行なうという流れです。
 次回は阪神・淡路大震災における自衛隊の災害派遣とその教訓についてご紹介します。
(以下次号)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)9月1日配信)