オリンピックと自衛隊(10)

近代五種支援隊は新潟県高田駐屯地の第2普通科連隊を基幹とし、
第30普通科連隊(新発田)の5名を加えた215名で構成されました。
協力業務の内容は次のとおりです。
馬術補助審判
馬術障害物の維持
馬術選手の前後検量
断郊コースの標示・維持
当該コース走者の監視
記録・成績掲示・呼び出し
競技運営本部などの設置・維持および撤去
馬術・断郊競技の競技中継中におけるコースの保守
成績掲示板・天幕などの輸送
競技運営に必要な通信
やること満載、盛りだくさんです。断郊とはあまり聞き慣れない言葉ですが、
郊外の田野や森林などを横断する、要はクロスカントリーのことです。
また、大賞典馬術競技の支援も近代五種支援隊が担当、以下の協力業務
を行なうことになりました。
馬場馬術用可動馬場柵の設置・撤収および入口扉の開閉
障害物の維持
大賞典障害飛越競技用障害物の設置・撤収
大賞典障害飛越競技用障害物の競技場への輸送
近代五種競技は、近代オリンピックの提唱者であるクーベルタン男爵が考案、
創設した「オリンピック生まれ」の競技で、馬術、水泳、フェンシング、射撃、
断郊(現在は断郊ではなくランニング。さらに射撃とランニングを交互に競技
するので、ふたつの種目を合わせてコンバインドと呼ばれます)からなります。
もとは男子のみの競技でしたが、2000年のシドニー大会からは女子種目も
加わりました。
当然ながら日本の近代五種競技の歴史は浅く、選手を出している自衛隊ですら、
当時はほとんど認識されていないのが現実でした。
そのため支援基幹要員は「近代五種とはどのような競技か」という、
競技そのものの内容を認識することから始めなければなりませんでした。
しかも第2普通科連隊には、スポーツ大会支援の経験がありません。
経験値0からのスタートでした。
1964年5月、支援要員の幹部など15名が選手選考競技会を見学し、
初めて近代五種競技を間近に見ました。
ただその後も新潟という地理的特性もあり具体的な訓練はかなわず、
座学程度しか行なえませんでした。オリンピックまであと5カ月の時点でこれです。
さらに不運というか、同年6月中旬から7月下旬にかけては、死者26名を出した
新潟地震や、1万3970戸が床下浸水するなどの被害をもたらした豪雨に対する
災害派遣に追われました。
近代五種支援隊長の青木修兵衛2等陸佐は『東京オリンピック支援集団史』に、
集結地である朝霞駐屯地に行くまで、支援任務達成のための具体的な計画を
立てることもできず、事前教育もろくにできなかった隊員が、華やかなオリンピック
の会場で厳正かつスマートに行動できるのか不安を抱いたと記しています。
無理もありません。
しかし環境が整ってからの自衛隊というのは、驚異的な忍耐力や愚直なまでの
真面目さで、周囲も驚くほどの成長、上達を見せます。
近代五種支援隊も例に漏れず、充実した訓練ができるようになった8月の
編成完結後はめきめきと練度を上げ、訓練の内容も部分訓練から総合訓練が
中心になっていきました。
特に技術上の問題で協力に多くのハードルが待ち構えていると予想される馬術
については、近代五種競技連合馬術部の協力を得て座学を受け、さらに現在の
西東京市にある、東伏見早大きゅう舎で馬の取り扱いの実地教育なども
行ないました。
小池武典1等陸士の手記によると、近代五種連盟の人から「馬は非常に臆病な
動物」と言われたそうだが「臆病なのはわれわれのほう」で、最初は「オーラオーラ」
の掛声もか細く、馬の顔色をうかがって近づく始末だったそうです。
手綱を持っては馬に引かれるという、笑うに笑えない光景も繰り広げられたようですが、
そこはさすがの自衛隊、最後は馬に乗ってグラウンドを1周できるようになった隊員
もいたほどでした。
一方、馬術競技の補助審判を務めた桑原京平3等陸曹によると、馬術競技に
まったくの素人である自分たちに審判ができるのかと不安は募るばかり、
しかも規約が細部まで網羅されていなかったため「考えれば考えるほどわからなくなった」
こともあったといいます。さらにはその規約自体も競技直前まで変更が生じたと
いうから、現場の苦労と混乱がしのばれます。隊員たちは不明な点はメモしておき、
関係者に直接質問することもたびたびだったとか。日本での歴史の浅い競技ゆえ
の混乱かもしれません。
大賞典馬場馬術は馬術競技のひとつです。1932年のロサンゼルス大会で、
ウラヌス号に乗る西竹一選手が金メダルを獲得した競技でもあります。
それだけではピンと来ない人でも、映画『硫黄島からの手紙』に愛馬と共に登場した、
戦車第26連隊を率いるバロン西といえば「ああ、あの人!」とわかるかもしれません。
大賞典馬術競技については、近代五種競技の馬術競技と支援内容が重複する部分
も少なくなかったため、技術的な点での特別な訓練は必要としませんでした。
といっても、支援するために必要な訓練はもちろん行なわれました。
大賞典障害飛越競技を支援した北村和彦陸士長は訓練の際、障害物に
「まるで石うすみたい」と衝撃を受けました。肩に担ぐとあまりの重さに腰が曲がる
ほどです。そんな恰好で閉会式に集まった観客の前を歩いたら笑い者になると
おののくたび、「自衛隊の支援は自衛隊のみが評価されるのではなく、日本全部に
通ずるもの」という上司の言葉が頭の中をめぐったといいます。
近代五種支援隊最大の難関であり最大の見せ場でもある任務は、実はこちらの
大賞典馬術競技にありました。それは「障害物撤去」という一見なんの変哲もない
作業なのですが、その話はまた来週に。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)5月26日配信)