オリンピックと自衛隊(9)

先週は1964年の最終フェーズにおける陸自の準備や訓練についてご紹介しました。
 同時期の海自はコース標示浮標の設定、陸上基地要員などの準備に必要な部隊から逐次編成し、10月初頭に編成を終えました。
 そしてこれまで今ひとつ影の薄かった空自ですが、ブルーインパルスは1年半にわたって五輪飛行の訓練を重ねていました。
 7月に満を持してOOC関係者を招いて発表会を開催、9月19日にはOOCから五輪飛行の実施要請が提出されます。
 そしてついに10月1日、五輪飛行隊が臨時編成されたのでした。
 なお、OOCから防衛庁への支援の要請は、最後の最後、9月末日にさらに追加されました。
 大会時の役員・選手に対する応急治療後の医療を行なうため、自衛隊中央病院への協力を要請されたのです。
 応急処置は各会場の医療救護室で行ないますが、これで不十分な患者については各会場から至近距離の病院と契約し、そこで医療を行なうというものでした。ちなみに診療にかかる費用はOOCの負担です。
 これで協力態勢はすべて完了しました!
 選手村支援群は8月22日から、ヨット支援任務部隊は9月1日から、そしてその他の部隊は9月15日からそれぞれ協力をスタート。
 10月8日、オリンピック支援集団長は心をひとつにして任務を完遂するよう、最後の訓示を行なって隊員を激励。
 翌日の9日には、集団全員に対して「全支援隊員に告げる。万国の旗われらを見る。真心をこめて自己の任務を完遂せよ」という電報を発しました。電報というところに時代を感じます。
 あとは開会式当日を待つのみです。
 さて、オリンピック支援集団協力の実施とその成果についてですが、結果を先にお伝えします。
 支援集団は開会式における式典支援群の協力を皮切りに、指揮下13個群隊計4625名で、15日間にわたりのべ約1万1000名の競技協力を実施しました。
 この4625名とはオリンピック支援集団を構成する人数であり、支援集団隷下以外で支援に関わった隊員も含めると、総勢約7000名におよびます。
 支援集団は選手村ならびに輸送関係は約80日間、のべ8万8000名の協力を実施。
 陸海空各自衛隊に防大生まで加わった臨時編成部隊にも関わらず、きわめて順調に協力任務を完遂したことで、陸自は「自衛隊史上前例のない大規模な臨時編成部隊であったが、寄合世帯の弱点を克服し見事な部隊運用を展開した。これは各級指揮官の卓越した指揮統率・最高の栄誉を自覚した全隊員の行動・周囲の温かいバックアップ等が結集した成果であった。この協力の世界に対し国内はもちろん、参加国の役員・選手からも絶賛を送られた」と盛大に自画自賛しました。それもよしと十分思えるほど、自衛隊はよくやりました。
 OOC会長から感謝状および盾を贈与、防衛庁長官からも1級賞詞を授与されていることからも、自衛隊のはたらきに対する感謝と高い評価は、客観的に見ても確かなものでした。
 来週は近代五種競技支援についてご紹介します。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)5月19日配信)