オリンピックと自衛隊(8)

今週は支援の中心となる陸自の訓練について、詳しく見ていきます。
 陸自はジープ隊基幹要員訓練と支援関係幹部教育を皮切りに、所要の支援群隊の基幹要員に対して各種教育訓練が行なわれました。この時期はまだ支援集団編成完結前のため、主要な教育訓練は東部方面隊が担任しました。
 4月、各国選手団長用ジープ操縦手250名が、走行1万km以上無事故の実績を持つ隊員から選ばれました。
 輸送学校は訓練に先立ち、2月から約40日かけて都内主要道路の状況、交通量、そして各競技場の状況などを調査して、車両操縦手集合訓練に必要な教官資料を提供しています。
 選手団長のジープ操縦手以外にも、ジープ隊基幹要員教育が約1カ月行なわれました。この時期に行なわれたほかの支援関係の訓練が1週間程度だったことを考えると、やはり選手団長や関係者を乗せて走り慣れていない都心の道路を走行するというのは、相当高いハードルだったのでしょう。
 実は輸送がうまくいくかいかないかは、オリンピックの評価に大きく関わっています。
 過去のオリンピックでは、一度たりともスムーズな輸送が行なわれた大会がありませんでした。それほど輸送支援は難しいものであり、防衛庁にとっても最大の難関だったのです。
 このほかには、選手村基幹要員訓練やライフル射撃基幹要員訓練、近代五種基幹要員訓練と支援群・隊長要員集合訓練も行なわれました。
 東部方面隊以外では、北部方面隊はスペイン語、東北方面隊は英語、中部方面隊はドイツ語、西部方面隊はフランス語と、選手村支援群管理事務所要員に対する語学教育を、部外講師を招いて2~3週間実施しました。普段は地元の方言で話している隊員たちがスペイン語やらフランス語やらを必死に学ぶ姿を想像すると、どこかユーモラスです。ちなみに選手村関係に関わる幹部100名は、最初から語学堪能な者が選出されたそうです。
 また、馬術支援隊の東北方面隊は5月に約1週間の馬術連盟主催の審判教育を、さらに8月中旬に七戸で行なわれた総合馬術競技最終予選会に協力して実施訓練を行ないました。
 中部方面隊は6月中旬に自転車競技支援隊を仮編成、祝園弾薬支処や鈴鹿サーキットなどで追従訓練、安全追い越し訓練、急制動訓練を行ないました。自転車競技支援も輸送と並ぶ、きわめてハードルの高い協力業務でした。
 なお、集団司令部は1964年に入ってからOOCなどとの会議に出席できるようになっていましたが、開会式までのカウントダウンが始まっている5月以降は、OOCその他関係部外機関との調整も、ようやく直接行なえるようになりました。
 それまでは防衛事務次官を委員長とする防衛庁東京オリンピック準備委員会(正確にはその事務局であるオリンピック準備室)と陸幕のオリンピック準備室が対外的な窓口となっていました。防衛庁側の窓口がいくつもあることは対外的な混乱を招くため、オリンピック支援集団司令部が「いつから、どの範囲まで」関係機関と直接調整するかの判断は、確かに難しいものがあったでしょう。けれど集団司令部としては、「やっとか!」という思いがあったことは想像に難くありません。
 そして担当業務ごとにいよいよ活発な調整、連絡が始まると、とりわけOOCとの調整は広範多岐におよびました。記録によれば「OOC経費予算の折衝は曲折が多かった」とありますから、金銭面ではだいぶ丁々発止の攻防があったと思われ…というよりも実際にあったことが東京大会の教訓として記録に残っています。
 こうして着実に準備が進むなか、7月には防衛庁とOOCとの間で東京大会の運営に関する協定が正式に締結されました。
 8月にはいよいよ支援部隊の編成も始まりました。
 最初に編成されたのは、選手村開村と同時またはそれ以前から協力を始める必要のある業務(選手村・輸送の各支援群)と、事前に相当な訓練と準備を現地で実施する必要のある近代五種、射撃、自転車、ヨットの各支援隊です。
 陸自は9月15日までに残りの部隊も編成完結、東京オリンピック支援集団の陣容が完全に整いました。21日には防衛庁長官臨席のもと、東京オリンピック支援集団観閲式を挙行しています。
 じわじわとオリンピック本番が近づいてきました!
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)5月12日配信)