オリンピックと自衛隊(2)

前回は第18回オリンピック東京大会開催が決まるまでのお話でした。今週からはオリンピックに向けた防衛庁の動きをご紹介します。
オリンピック東京大会の開催が決まったのが1959年です。
開催までの5年間、防衛庁はどのように準備を整えていったのでしょうか。
そもそも防衛庁にはどのような協力が求められたのでしょう。そしてその要請すべてを防衛庁は受け入れたのでしょうか?
それがわかるのが、東京大会の公式記録です。
防衛庁の協力に関して記載されている東京大会の公式記録は、OOC、文部省、防衛庁がそれぞれ作成しています。
もっとも細かく記載されているのは当然ながら防衛庁の記録で、協力の要請があった項目と引き受けた項目についての詳細も記載されています。
文面はあくまでも淡々としていますが、その文脈の合間に、OOCと防衛庁の間で何度も行なわれた支援業務についての攻防がちらついています。そこには「自衛隊にやってもらおう」という思惑のOOCと、「そこまで頼んでくるか」と抵抗する防衛庁という構図が浮かび上がってくるのです。
東京大会までの5年間、防衛庁がオリンピックに向けてどのように準備を進めていったかは、3つのフェーズにわけられます。
それぞれのフェーズで防衛庁の支援内容も変わっていったので、準備の様子を振り返りつつ、支援内容の変遷も見てみることにします。
1960~1962年度
基礎的な準備段階の時期に当たります。
どの部門をどのように協力する必要があるかを調査し、協力する場合の法的根拠、協力準備態勢、協力開始時期などについて検討し、関係法令を整備し、基本的方針の決定を見た段階です。
1960年8月、防衛庁は職員3名をオリンピックローマ大会に派遣して、イタリア軍の協力状況を調査しました。
するとイタリアの場合、軍が協力することは「国際的慣例であり法律以前のもの」と、法的根拠がないことが判明します。これは防衛庁にとって相当な驚きだったことでしょう。
けれど実際のところはイタリアだけでなく、他国も軍のオリンピックへの協力に関する法律は、少なくとも当時はありませんでした。「オリンピックが自国で開催されるのは数十年、数百年に一度のこと。国を挙げての祭典であることは間違いなく、それに軍が協力しないなどありえない」というのが、各国の共通した認識だったのです。
しかし日本の場合はそうもいきません。防衛庁はすでに国民体育大会やアジア大会などのスポーツイベントへの協力を行なっていましたが、その法的根拠が明らかでないために、いろいろ不便が生じつつありました。そこで1961年に自衛隊法を改正します。このように法を整えたのは、他国とは一線を画したところです。
少し堅苦しくなってしまいますが、改正された内容は以下のとおりです。
(運動競技会に対する協力)
第百条の三  防衛大臣は、関係機関から依頼があった場合には、自衛隊の任務遂行に支障を生じない限度において、国際的若しくは全国的規模又はこれらに準ずる規模で開催される政令で定める運動競技会の運営につき、政令で定めるところにより、役務の提供その他必要な協力を行なうことができる。
(運動競技会の範囲)
第百二十六条の十二  法第百条の三に規定する政令で定める運動競技会は、次の各号に掲げるものとする。
一  オリンピック競技大会
二  アジア競技大会
三  国民体育大会
四  ワールドカップサッカー大会
(運動競技会の運営についての協力の範囲)
第百二十六条の十三  法第百条の三の規定により運動競技会の運営について協力を行なうことができる範囲は、次の各号に掲げるとおりとする。
一  式典に関すること。
二  通信に関すること。
三  輸送に関すること。
四  奏楽に関すること。
五  医療及び救急に関すること。
六  会場内外の整理に関すること。
七  前各号に掲げるもののほか、運動競技会の運営の事務に関すること。
(運動競技会の運営についての協力に要する費用の負担区分)
第百二十六条の十四  第百二十四条の規定(※注 土木工事等の実施に必要な費用のうち旅費を除く隊員の給与、食費、車両等の修理費以外は、工事を委託してきた側が負担するというもの)は、法第百条の三の規定により運動競技会について協力を行なう場合の費用の負担区分について準用する。
こうして法整備ができた1961年7月、OOCから防衛庁へ、東京大会の運営支援に対して正式な依頼がありました。
支援事項は自衛隊法第126条の13に規定する事項全般についてです。この法律を見れば一目瞭然ですが、要はオリンピックのあらゆる部門で協力を求められたということになります。
次回はOOCから依頼のあった支援内容についてなどをご紹介します。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)3月31日配信)