オリンピックと自衛隊(18)

今回も体育学校のご紹介です。
体育学校に入校し、自衛官という立場からオリンピックを目指すにはどうすればいいのでしょう。
体育学校の入校資格は競技によって異なりますが、高校か大学・社会人で一定の成績を残していることが条件となります。
たとえばレスリングの場合は「全日本選手権大会、全日本選抜選手権大会、国民体育大会(成人)のいずれかで3位以内」、あるいは「全日本大学選手権大会、全日本大学グレコローマン選手権大会、内閣総理大臣杯のいずれかで3位以内」が採用基準です。また、自衛隊入隊後に競技を始める選手が多い近代五種の場合、採用には水泳の成績が重視されます。
これらの条件を満たす者は「体育特殊技能者」として採用され、大学院卒は1曹、大卒は2曹、20歳未満は2士からスタート。入校後は特別体育課程学生、通称特体生として各種目の専門訓練に従事、という流れになります。
体育特殊技能者には満たないものの、将来的に有望な資質を持っているという選手の場合は、まずは一般曹候補生・自衛官候補生として入隊し、半年間の新隊員教育を受けてから一般部隊に配属されます。
つまり最初の部分は普通の隊員と同じ道を進みますが、そこから約5か月におよぶ特別体育課程学生候補者集合訓練に参加します。
この訓練で候補者たちはふるいにかけられ、選ばれた者は晴れて特体生として体育学校でオリンピックを目指します。
一方、選考から漏れた者は原隊に復帰、自衛官として国防を担ったり、体育指導者として隊員の指導を行なったりします。
これまで部隊経験を経ずに直接入校できる体育特殊技能者は20歳以上が対象となっていたため、高校生はどれほど優秀な成績を残していても、一般曹候補生・自衛官候補生として入隊し、半年間の新隊員教育を経なければ入校することはできませんでした。
しかし2020年を見すえ、東京でメダルを取れる有望な若手選手を獲得し育成するため、2015年度から高校生(正式には20歳未満)を直接体育学校に採用できる制度が始まりました。
2015年度は近代五種に1名、ボクシングに1名(ボクシング班初の女子選手である)を採用、一部メディアからは「スーパー高校生」というネーミングで紹介されました。2016年度も3名が採用されています。
特体生になれた者も、それで安泰ではありません。
新たな体育特殊技能者は毎年入校してくるし、集合教育で生き残って特体生を目指す隊員もいます。結果を出せない選手との「入れ替え」を毎年行なわなければ、体育学校の限りある定員で収めることはできません。
成績が思わしくない選手に「次こそは」という期待だけでいつまでも置いてやれるほど、体育学校も世間の目も甘くはないのです。
オリンピックでメダルを取って現役引退というのは選手としての理想的な王道ですが、それが叶うのはごくわずかな、限られた一部の選手のみ。
それでも自分の限界を感じて引退する者はまだしも、ケガや故障に泣く者、まだ競技を続けたいが結果が出せない者など、本人の意思に反して現役続行が難しいケースも少なくないのが現実です。
しかし現役引退=退職=再就職先を探す、とならないのが体育学校です。
もともと現役時代も特別国家公務員という身分の保証された立場である自衛官アスリートは、引退後も自衛官であることに変わりありません。とはいえ、右も左もわからない世界にいきなり放り込まれるわけではなく、各種教育を行なってから第二の自衛官人生がスタートします。
「この間までアスリートだったのに、いきなり小銃を持ってほふく前進しなければならないのだろうか」と不安がるのは行き過ぎで、戦闘職種だけでなく支援職種もあるように、仕事の内容も多岐にわたります。
たとえば、広報、隊員募集、援護などは、アスリートとしての知名度が生かせる職域です。また、隊員の希望や能力によっては、体育学校でのコーチやスタッフ、あるいは体育教育に従事することも可能です。「引退後も自衛官としての身分も生活も保障されている」という安心感は大きいものです。
引退に限らず、ケガや故障で試合に出られないときも、放り出される心配はありません。むしろトレーナーたちがその選手のためのプログラムを作り、ケガや故障をする以前よりも強い体になるよう、徹底的にサポートします。
体育学校で競技を続けられなくなった選手が、現役選手として競技を続けるために自衛隊を去っていくこともあります。けれど正直なところ、体育学校という枠の中での勝負で勝てなかった人間が、日本や世界を相手にして勝てるとは思いにくいですね。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
(平成28年(西暦2016年)7月21日配信)